【岩手とのゆかり】黒田騒動と盛岡藩

ツイッターでツイート
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1015117  更新日 平成31年2月21日

印刷大きな文字で印刷

黒田騒動で盛岡へ配流となった栗山大膳(くりやまだいぜん)をご紹介します。

黒田長政(くろだながまさ)公が亡くなった後、新藩主になった忠之(ただゆき)はわがままし放題でした。
注意できるのはご意見番の栗山大膳(くりやまだいぜん)ただ一人でしたが、それもしりぞけられ、挙句の果てにお家の危機を招きました。

お家の危機を救うため、大膳は幕府に「訴状」を差し出し、主君である忠之を訴えました。
寛永9年(1632年)から10年(1633年)にかけて、忠之と大膳以下の多くの重臣たちが江戸に呼び出され、裁判を受けることになりました。

その結果、忠之は「不行跡」により一旦領地を召し上げられますが、過去の戦での先祖の功績が大きかったということで、新たに領地をあてがわれることとなり、この騒動も一件落着となります。
このように、大膳が身を捨てて福岡藩を救った大芝居が「黒田騒動」です。
こうして黒田藩はとりつぶしを免れ、忠之は島原の乱や長崎警護の任務で活躍し、城下町の賑わいのために尽力しています。

また、大膳は「主君を直訴した罪」で盛岡藩に配流されることとなりましたが、盛岡では罪人扱いされることなく過ごし、62歳で生涯を終えました。

大膳の墓は、岩手県盛岡市の「恩流寺」にあります。

アクセス

最寄り駅 東北新幹線・JR東北本線 盛岡駅
盛岡駅よりバスにて「中央公民館前」へ
「中央公民館前」から「恩流寺」まで徒歩約5分

このページに関するお問い合わせ

岩手県福岡事務所
〒810-0041 福岡市中央区大名1-12-60 福岡大名ビル2 7階
電話番号:092-736-1129 ファクス番号:092-716-2037
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。