内外情勢調査会盛岡支部懇談会における知事講演 「希望郷いわて~世界に開かれた地方創生~」

ページ番号1097158  更新日 令和8年3月31日

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とき:令和8年1月15日(木曜日)
ところ:ホテルロイヤル盛岡

はじめに

 それでは皆さんよろしくお願いいたします。

 去年は多事多難な1年で、去年の今頃は鳥インフルエンザの発生が続き、一難去ってまた一難と、前の事案が収束し、その直後に次の事案が発生という形で続き、そこに大船渡市林野火災がありました。夏は猛暑、水不足があり、秋にはクマ出没数が増大しました。また、1年を通じて物価高が進行し、経済的にも厳しい状況にありました。そして、これで1年終わったというところに、12月8日に青森県東方沖地震があり、「後発地震注意情報」というものが全国で初めて出まして、1週間気をつけていなければならないということがありました。その少し前に、人間のインフルエンザが、秋から冬の始まりの頃にピークになるという異常な流行をして、岩手県で過去最高の流行に達したということがありました。

 今年は今のところ、岩手県は大きな災害、事故がなく、穏やかに進んでいるのですけれども、災害や大きい事故はできるだけないことを祈っているところです。

 一方去年、多事多難ではあったのですけれども、年の初めから、「世界に開かれた地方創生」というコンセプトを打ち出して、色々な準備を重ね、また、色々な手を打ってやってみて、「世界に開かれた地方創生」が今、こうして発表できるくらい、かなりいい形になってきたなと思っておりまして、そのことをご紹介したいと思います。

 コロナ禍による移動制限が緩和されまして、2022年にカナダ、2023年にマレーシア、シンガポール、そして昨年1月にニューヨークとアメリカ東海岸、カナダ・バンクーバーで知事トップセールスを展開しました。そして去年9月には、アメリカのロサンゼルスとカナダ・バンクーバーを訪問しまして、日本に対する好感度の高さ、食を中心とする日本の生活文化の浸透、それに対するニーズを感じました。特に岩手県は、ロサンゼルスに菊池雄星、大谷翔平、佐々木朗希の3人のメジャーリーガーが揃っていまして、岩手との関係を強調することができます。ドジャー・スタジアムで銀河のしずくを使ったおにぎりを配った際には、大谷選手のファンがたくさん来てくれまして、岩手の食や文化も一緒に浸透させられるという手応えを感じました。

 エンゼル・スタジアムでは、菊池雄星選手に面会しました。雄星選手が、かつては甲子園での勝利、プロ野球入団というのが、岩手では珍しかったわけですけれど、今ではそうではなくなった、希望を持ってほしい、岩手からでもやれるのだ、ということを伝えたいと語っていました。その後、菊池雄星選手は、野球については、かつては「岩手だからできない」だったけれども、今や「岩手だからできる」に、変わっているということをあちこちで発信してくれておりまして、野球以外の分野も、「岩手だからできる」というようにしていきたいと思います。

 日本、世界と視野を広げ、さらには、歴史を振り返ることもしながら、岩手が目指すべき方向性、「世界に開かれた地方創生」についてお話をしたいと思います。

 

1 世界に広がるチャンス

《インバウンド観光と輸出の増大》

 まずは「世界に広がるチャンス」、インバウンド観光と輸出の増大です。

 日本へのインバウンド観光客は、2024年に過去最多を記録し、2025年はこれを上回る見込みとなっています。ずっと横ばいだったものが、安倍晋三首相が、訪日観光客、外国人観光客を増やすということを、国の政策の看板、国策として強調されて、この約10年間の間に、急速に増えていったというところがあります。円安という条件も重なっているのですけれども、通貨が安い国は世界中に色々ありますが、そこに観光客が殺到しているかというとそんなことはありませんで、やはり、行っていいなというところ、行きたいなというところだからこそ、通貨安が相まって、このように伸びていて、コロナ禍を超えて過去最多に増えているという状況です。岩手県も同じように増えておりまして、日本全体と同じような増え方で、岩手県でもインバウンド観光客が増えています。

 そして、日本の農林水産物・食品の輸出額ですが、2012年の4,497億円から大きく伸びています。アジアを中心に海外消費者の所得が向上し、日本産の農林水産物の購買層が増えたこと、インバウンド観光客の増加を通じて、日本の農林水産物・食品の魅力が海外に広まったことが背景にあります。日本政府は、国全体の農林水産物等食品の輸出額目標を2025年に2兆円、2030年には5兆円としています。岩手県におきましても、日本全体と同じような伸びを示しています。2022年に過去最多となり、2023年に少し下がっていますが、これは、ALPS処理水の関係で、中国の水産物輸入が一時止まったことで、全体が減ったことによるものです。翌年も、水産物の輸出は減るのですが、農林産物、そして加工食品が増えていて、全体も増加傾向になっております。岩手県では、特に牛肉と米の輸出が拡大しています。

 以上のような、インバウンド観光客と輸出の増大が、どのような経済、社会環境の中で起きているのか、「世界の中の日本」について見ていきたいと思います。

 

2 世界の中の日本

《GDPに見る日本》

 1995年、世界のGDP総額に占める日本のシェアは約18%でした。世界経済の18%が日本経済だったわけです。これは、アメリカの約7割、アメリカにかなり近づく勢いがありました。アメリカの約7割にまで迫り、中国の約7倍という差があったわけでありますが、約30年経ち、この間、世界中の経済が順調に成長し、アメリカや中国の経済の成長、特に中国が著しく経済成長しているのですが、その間日本は、円安もあり、むしろGDPが減っているような状況でありますが、基本的に30年間横ばいと言われています。日本の経済成長は、ほぼゼロ成長。そういう30年間を経て、日本のGDP総額の世界シェアは、今は約4%、アメリカの約7分の1で、中国の約4分の1ということです。

 さらにこれを、1人当たりGDPで見ますと、OECDトップクラスから、ルクセンブルクやスイスのような例外的な小国を除けば、先進国の中でトップだったわけですけれども、2023年には21位となっています。そして、G7諸国及び中国と、1人当たりGDPを比較しますと、アメリカの伸びが凄いのです。アメリカはGDP全体の伸びも凄いのですけれども、1人当たりGDPの伸びも凄いです。その伸び幅は、中国の伸びより凄いのですよね。傾きが急になっている。日本は、円相場の取り方によっては横ばいになっているものもありますが、これは下がっている図になっておりますけれども、ほぼ横ばいに対して、他の諸国が大体上がっていて、アメリカも、もの凄く上がっている。今、トランプ政権が、アメリカ国民は経済的に、貿易で損をしてきた、被害を受けてきた、それで、それを取り返さなければならないといったことで、去年、関税を上げるといったことをしていましたけれども、実はアメリカは、ここ10年、あるいは30年というスパンで見ても、圧倒的に世界経済の中で勝利しているわけでありまして、実際には、もう少しアメリカ以外の諸国に対して優しくして、経済的にも、他の国々がいいような経済政策を色々やってくれても良さそうなのですけれども、意外に、日本の中でも、アメリカがこんなに成功している、経済的に強くなっているということが知られていないのですが、実態はこのとおりです。

 1人当たりGDPを日、米、中で比較しますと、1995年は、アメリカや中国より日本の方が、1人当たりGDPは多かった。日本人の方が金持ちだったということです。それで1980年代から1990年代にかけて、日本人が世界中を旅行して歩いて、ブランド品をたくさん買ってひんしゅくを買っていたような当時の状況だったわけですけれども、今やアメリカは日本の約2.5倍の1人当たりGDP、中国は、1995年には日本の約70分の1だったのが、今は2.7分の1にまで追いついてきております。アメリカ人や中国人の購買が、それだけ相対的に増えている。日本人の購買力に比べて増えていますので、日本を旅行したり、日本からの輸入品を買ったりしやすくなっているということであります。

《世界から愛される日本》

 そこで、日本に対して相対的に購買力を高めた諸国民が、日本の何にお金を払おうとしているかといいますと、まず日本食です。健康によく、美しく、おもてなしのサービスがよく、日本酒もおいしい、ということです。実際、アメリカにおける日本食レストランは、2000年には約6,000件でしたけれども、2022年には、約2万3,000件に増えています。この傾向はアメリカだけではなく、世界共通と言ってもいいと思います。私もこの何年か、先ほど紹介した、シンガポール、マレーシア、カナダの他に、トップセールスではなく、交流などを目的に、ブラジル、中国にも訪問しているのですが、そういったところでも日本食レストランが増えているという傾向があります。日本の経済的な影響力はどんどん縮小し、世界経済に占める割合が約18%から約4%にまで縮小しているのですが、食に関する影響力は拡大しているという状況があります。アメリカの日系のスーパーマーケットでも、日本食材の売れ行きは伸びていまして、これも世界共通の傾向です。

 ちなみに、世界から日本が愛される分野として、漫画、アニメ、ゲームというのがやはりありまして、最近では、真田広之主演の「SHOGUN – 将軍–」というドラマが、アメリカを中心に大ヒットしております。また、「国宝」という、去年日本で流行った映画、脚本は盛岡出身の奥寺佐渡子さんが書いているのですけれども、アカデミー賞の部門賞にノミネートされていて、これも流行っていくのではないかと思います。

 そういった状況をどう活かしていくか、という話をする前に、世界から愛され、求められる日本の食文化が、日本の独特な地理と豊かな自然によって育まれたということを共有しておきたいと思います。

3 日本の地理と豊かな自然

 中高生の頃に見たという記憶がよみがえってくるのではないかと思いますが、世界の気候図です。日本は、国の大半が、温暖湿潤気候に属しておりまして、降水量が多いのです。色が、青が濃いほど降水量が多く、赤道の北、南の辺りが多いのですけど、そうじゃないところで見ますと、日本というのはかなり傑出して降水量が多い。農業に向いているということです。

 それを国ごとに比較しますと、日本は世界の平均降水量の1.4倍の降水量です。水の豊かさについては、G20参加国で見るとインドネシア、ブラジルの次ですけれど、先進国と比較しますと、圧倒的に降水量が多い。農業に向いている、米作りに向いているということです。ちなみに、北海道は、実は降水量が少なく、世界平均より少ないのですが、北海道を除きますと、日本各地域の降水量は、世界平均よりずっと多いです。

 日本列島は四方八方を海に囲まれていまして、中央に山脈があって、冬は大陸からの冷たい風が日本海の水分をふんだんに吸って、日本海側に雪を降らせます。人間が大勢住んでいる先進国で、このくらいの雪が降る地域というのは、地球上でこの辺りしかないと言っていいと思います。世界で一番冷え込むシベリアでキンキンに冷えた空気が、日本海の水分をふんだんに吸って雪を降らせますので、こんなに雪がたくさん降るところはないのですけれど、一方で、日本海側は、夏は結構気温が上がりますので、やはり米作りに凄く向いているわけです。夏に気温が高くなって、雪解け水で、水はふんだんにありますので。そして夏は、太平洋側の、やはり、ふんだんに水分を含んだ風が山脈にあたって、太平洋側に雨を降らせるということで、非常に水に恵まれた国であります。最近は、気候変動の関係で、そういった基本から少し乱れが生じたりしているところが残念ではありますけれど、基本的に非常に水に恵まれた国だということは変わりありません。ちなみにこの地図ですと、千島海溝、日本海溝、こういう地球上でも最も深いようなところが近くにありまして、東京湾や駿河湾には、そういう深い海底が入り込んでいて、深海魚が取れるのです。アンコウのように、深海にいる色々な魚が日本では獲れまして、日本で獲れる海産物の種類の豊富さというのは、かなり凄いということでもあり、海の幸の豊かさということも、この地図から示すことができます。

4 日本における大衆文化の歴史

《大衆文化の発展》

 このように、独特の地理と豊かな自然によって、食材の宝庫という基本があるところに、大衆文化の歴史があります。世界から愛される日本の食文化、漫画、アニメ、ゲームなどの源流が、江戸時代からの大衆文化発展の中にあるわけであります。去年の大河ドラマはそれをテーマにしていたわけでありますけれども、江戸時代の文化は、皇族や貴族の文化で武士の文化でもなく、庶民文化、大衆文化だったわけです。相撲、歌舞伎、これは今でも日本の文化として、海外の人たちにも人気があるわけですが、江戸時代から発展してきました。そして大河ドラマ「べらぼう」で描かれていたように、狂歌、狂歌絵本、浮世絵などが大衆に親しまれました。

 料理も、宮中やお城の中で日本の料理が発展したわけではなく、江戸や大阪を中心に町人向けに料理が発展したのです。今でも、外国人から人気がある日本食の代表、寿司がこの江戸時代にできてきましたし、今、日本のラーメンが世界中で流行っておりますが、その源流のそば、立ち食いそばや屋台のそば、そういったものは、江戸時代にできてきたわけです。また、丑の日には鰻を食べる、初鰹を食べるといったような、旬の食材で季節感を味わうこだわりというものが、江戸時代から発達したわけです。

 明治大正に入りまして、文明開化で、欧米の文化が大衆文化に加わって、さらに充実してきます。特に、少年少女向けの雑誌、こういったものが、しっかり発行され、定期刊行物として出て広く読まれたというのは、なかなか諸外国にはないことでありまして、大衆文化が子供にまで浸透していたというところが、日本の凄いところです。そして食べ物については、牛鍋やカレーライス、オムライスなど、日本型西洋料理が普及し、庶民の食文化も、西洋化によってさらに発展しました。

《ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ》

 こういったものをベースにして、今、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」という言葉があるのですけど、それをもじって「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」と呼べるようなものが形成され、これが外国人に人気があり、求められていると言っていいと思います。日本的生活様式あるいは日本人の生き方、ということであります。GDPの停滞で、世界経済に占める割合が低下し、また、1人当たりGDPの順位も低下している日本でありますけれども、食を中心に、漫画、アニメ、ゲームなども含めて、広く日本で発達、発展してきた生活文化というものが、世界に愛され、求められています。円安の要因もあるのですけれども、安いというだけでは、ここまで愛好されてはいないと思います。

 「自然と歴史の豊かさに育まれた食文化に代表される質の高い生活文化」。それが「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」と言えると思います。

 それは実は地方でこそ発展してきて今もあり、地方の中でも岩手県というのは、これが非常に生きていて、外国からも愛され、求められることが期待できると思っております。

 そして、日本の経済力は、相対的に低下してきたわけでありますけれども、日本の強さ、日本という国のかけがえのなさというものの核心が、国民の不断の努力、工夫によって、江戸時代から、自然を生かして、そして文化的、歴史的に高めてきた日本人の生活様式というものが、日本全体としても、これからの日本の進路を考える時に、よりどころとなるものではないかと思います。

《スピリット・オブ・ジャパン》

 さらに「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」の基盤にあるものを探ってみますと、「スピリット・オブ・ジャパン」、日本精神と呼べるようなものがあると思います。

 それは、求道心や、志など、色々な言い方はあるのですけれど、わかりやすく、かつ、広く、色々なことに当てはめやすい言葉としては、「向上心」と言っていいのではないかと思います。安全で質の高い食材を生産しようという農林水産業の現場での「向上心」、その食材を使って、こだわりの料理を提供し、おもてなしの心を伝えるというような「向上心」。日本国民が仕事や暮らしの現場で培ってきた、少しでも、より良いものを、より良いサービスを、そしてより良い生活を、という「向上心」が日本の特徴であり、「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」を支えていて、それは「SHOGUN – 将軍–」や「国宝」のような作品にも示されていて、世界の人々は、そこに日本の「向上心」という「スピリット・オブ・ジャパン」を感じているのではないかと思います。

5 世界の中のいわて

《ニューヨーク・タイムズ・ショック》

 そのような「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」、「スピリット・オブ・ジャパン」は、日本の地方において、より強いのではないでしょうか。その地方の中でも、岩手は特に日本の良さを、岩手の良さとして持っているのではないでしょうか、ということで、「世界の中のいわて」を見ていきます。

 まず出てくるのが、世界が求める日本の良さ。それは地方にあり、岩手は地方の代表たり得ると思わせてくれたのが、ニューヨーク・タイムズ紙が、2023年に行くべき52か所に盛岡市を2番目に紹介してくれた、ということであります。「ニューヨーク・タイムズ・ショック」と言ってもいいと思います。ニューヨーク・タイムズ紙の記事を書いたクレイグ・モド氏は、自分で発信しているニューズレターなどでも、盛岡市の良さを述べてくれていまして、まとめますと、町が美しい、食事がとてもおいしい、市民が心優しく、頑張っている、自然が街に溶け込むさまに、晴れやかな気分になる、とおっしゃってくださっていまして、これらは、日本の地方全般にも言えることではないかと思います。

 クレイグ・モド氏は日本中を歩き回って、日本の地方にこういったものを見出し、特に日本の地方の中でも、中規模都市の魅力や活力に注目していると語っているのですけれども、中規模都市の中でも、盛岡市が一番良いと、クレイグ・モドさんは言っています。「地方の魅力や生活文化の豊かさから生まれるウェルビーイング」というテーマで、県が発行する幸福白書のインタビューでモド氏と対談をしたのですけれども、モド氏は、「地方に行っても心配なく、冒険しやすいような、安全で平和な国であることが、日本のソフトパワーである。また盛岡は、ウェルビーイングを感じるために必要な「仕事」、「家族」、「コミュニティ」、「健康」の4つが上手くいっている。」と述べてくれました。

 ちなみに、アメリカの経済誌フォーブスの2025年に行くべき15か所では、「みちのく潮風トレイル」が紹介されました。フォーブス誌以外でも、イギリス、アメリカの有名メディアが、「みちのく潮風トレイル」を取り上げていて、インバウンド観光客が増加しています。

 岩手の良さというのは、盛岡に限らず、この沿岸の「みちのく潮風トレイル」にもあり、岩手全体にあると言っていいと思います。

《大谷翔平サンたちの活躍》

 「世界の中のいわて」というテーマで欠かせないのが、大谷翔平サンをはじめとする岩手県人の世界での活躍であります。特に大谷サンの野球の道を極めようとする、そこにやはり「向上心」を感じられるのではないでしょうか。求道心や志と言ってもいいのですが、より広く、わかりやすく捉えるには、向上心くらいの言葉がちょうどいいのではないかと思います。これが「スピリット・オブ・ジャパン」であり、「スピリット・オブ・イワテ」でもあり、アメリカ、そして世界に影響を広げているということであります。

 この機会に、大谷サンと岩手の関係について重要な点を紹介しておきますと、大谷サンの名前は「翔平」ですけれども、「翔」は、源義経の八艘飛びのような躍動感から、そして「平」は、平泉の「平」という字が由来になっているそうであります。お父さんがそのように述べています。大谷サンのお父さんは、岩手県北上市の出身なのですが、若い頃は神奈川県に住んでいまして、これから家庭を築いて子供を育てていくというタイミングで、岩手を選び、岩手に移住することを選択しました。都会では子供たちのための広い一戸建てを持つことは、経済的に容易ではありませんが、岩手県なら、という思いがあったそうです。また、ご自身の経験から、野球をやるなら田舎の環境の方がいいと思って、大谷サンを育てていく場所として、あえて岩手を選んだそうであります。大谷サン自身も、岩手では楽しく、のんびりと野球ができて、そのおかげで、1回も野球を嫌いになることはなかったと語っています。

 そうした岩手で生まれ育ち世界に羽ばたく人たちが、大谷サンの他にも数多くいまして、スポーツの分野では、野球の菊池雄星選手、佐々木朗希選手、北京冬季オリンピックで金メダル、銀メダルを獲得した、ノルディックスキージャンプの小林陵侑選手、スノーボードの岩渕麗楽選手、そしてミラノ・コルティナ冬季オリンピックへの出場を決めた、スピードスケートの吉田雪乃選手、スポーツクライミングの伊藤ふたば選手、ホッケーの及川栞選手など。ビジネス分野では、株式会社ヘラルボニー、そして株式会社北三陸ファクトリーはオーストラリアでのウニの陸上養殖を進めていて注目されております。文化芸術では、生まれは宮城ですが、盛岡で学校生活を送ったピアニスト小山実稚恵さん、テノール歌手の福井敬さん、ソプラノ歌手の竹内菜緒さん、バレエダンサーの岩井優花さん、フラメンコダンサーの中田佳代子さんなど、日本を代表し世界で活躍する方々がいらっしゃいます。

《自動車・半導体関連産業の集積》

 「世界の中のいわて」というテーマで、自動車・半導体関連の産業集積は重要であります。トヨタ自動車株式会社はEV化、電気自動車化にも対応しつつ、ハイブリッド技術の再評価もあり、世界トップの販売台数を維持しています。半導体の世界的企業であるキオクシア株式会社が岩手の生産を拡大しています。

 東日本大震災後、トヨタ自動車株式会社は、東北を国内第3の生産拠点と位置付け、コンパクトカー生産拠点となっています。金ケ崎町のトヨタ自動車東日本株式会社岩手工場では、「ヤリス」、「アクア」という人気車種に加えて、2023年から、高級ブランド「レクサス」のコンパクトモデル「LBX」、昨年の5月からは、トヨタの基幹ブランド「カローラ」のSUVモデル「カローラクロス」の生産も始まりました。

 昨年7月に、「カローラクロス」の生産開始を機に、トヨタ自動車東日本株式会社岩手工場で「カローラ・オフラインミーティング」が開催されました。また、トヨタ車の開発に関わる岩手出身のプロドライバー佐々木雅弘さんが発起人となって、岩手でラリーチャレンジを開催する動きが進んでいます。昨年9月、県も加わって、ラリチャレ岩手支援委員会が立ち上がり、11月、小岩井農場でプレ大会が開催されました。今年2月、2回目となるプレ大会が予定されており、雪上での競技という、他の地域とは異なる、魅力ある大会になるでしょう。

 そして半導体については、政府が指定する半導体プロジェクト推進地域4か所に、北海道、広島、熊本とともに岩手が、この4か所の1つに指定されています。製造品出荷額で見ても、半導体は自動車などの輸送用機械器具製造業と、双璧をなす規模に岩手において成長しておりまして、2022年、令和4年に、岩手県の製造品出荷額が初めて3兆円を突破しました。昨年9月末からキオクシア岩手株式会社の第2製造棟が稼動開始しておりまして、今後も更なる伸びが期待されます。キオクシア岩手株式会社、デンソー岩手株式会社、株式会社ジャパンセミコンダクター、東京エレクトロンテクノロジーソリューションズ株式会社など、世界的半導体企業の立地はもちろんですが、多様で高度な基盤技術を有する地場企業が多数集積していることも、岩手の半導体産業の強みです。昨年4月には、国内初の産学官連携による半導体関連人材育成施設「I-SPARK(アイ・スパーク)」を開設しました。

《世界有数の学びの場(ハロウインターナショナル安比ジャパン)》

 学びの場としての「世界の中のいわて」を示すのが、イギリスを代表するパブリックスクール、ハロウインターナショナル安比ジャパンの開校であります。2022年8月に開校し、今年の夏、初めて卒業生が出ます。卒業生の進路によって、さらに、入学希望者が増えていくのではないかと期待しております。ちなみに、同じ安比高原に、リクルート創業者、江副浩正さんの娘さんであります、吉田なおみさんが中心となって、日本式インターナショナルスクールをつくる動きもあります。日本の中で、世界の中で、学びの場として、岩手が優れているとして選んでもらっているわけであります。

6 歴史の中のいわて

《岩手の意外な先進性》

 世界が求める「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」を、「自然と歴史の豊かさに育まれた食文化に代表される質の高い生活文化」と定義しましたけれども、「歴史の中のいわて」について見ていきたいと思います。

 岩手県は明治5年に盛岡県から岩手県に名前が変わり、その4年後の明治9年に、今の県域が確定しました。今の形になったということです。県域確定から今年で150年となりますので、今年はいよいよ、県政150周年記念期間のファイナルステージとして、集大成の取組を展開していきます。

 岩手県には、明治維新で賊軍とされ、戊辰戦争に敗れた、遅れた弱い県だったというイメージがあるかと思います。その屈辱をバネにしてその後、岩手県民は頑張ったという話の流れがあるわけです。例えば、総理大臣を多数輩出している、など。しかし、私が、屈辱をバネにしただけでは説明しきれないのではないかと強く思ったことがありまして、それは、橋野鉄鉱山が世界遺産に含まれて登録されたことです。「岩手の意外な先進性」といいますか、そういう進んだところ、強いところがなければ、橋野鉄鉱山というのは存在しえなかったでしょうし、また明治維新後、多くの人材が輩出され活躍し、総理大臣も沢山出ているというようなことは、実は岩手というのは、決して遅れた弱い県ではなかったのではないかと、そういう問題意識につながりました。

 南部藩、盛岡藩は、幕末の時点の石高は20万石だったのですけれども、盛岡藩20万石というのは、当時、およそ270の藩の中で、22位に当たります。かなり上の方と言っていいでしょう。土佐藩が24万石で、坂本龍馬を輩出し、幕末に非常に活躍した土佐藩と、大きく変わらないくらいの石高がありまして、隣に、仙台藩、伊達藩という62万石の超大国があるので、20万石というのが小さく感じられるのですが、実は、全国の藩の規模から見れば、南部藩、盛岡藩はかなり大きい方だったと言えると思います。そして伊達藩、仙台藩は、加賀100万石と薩摩の77万石に次ぐ、江戸時代の超大国であったわけであります。ちなみに、南部藩、盛岡藩は、もともとは10万石だっただろう、その10万石が無理に20万石に、形式的に引き上げられて、財政的には決して豊かじゃなかったはずだ、ということをご存じの方もいるかもしれませんが、それはそのとおりであります。ただ、なぜ20万石になったかというと、その背景には、1800年頃、ロシアが今の北海道、蝦夷地に出没し、幕府が、東北諸藩に北方警備を命じたことがあります。当時、南部盛岡藩は、下北半島の先、本州最北端まで統治しており、北海道に一番近かったのは南部盛岡藩ですので、まず真っ先に、箱館(函館)近郊に駐留し、対ロシアの北方警備を命ぜられました。藩の石高に応じて兵力が決まりますので、10万石から20万石に倍増され、それにふさわしい兵数を、蝦夷地、北海道に駐留させなければならなかったというところがあります。そういう意味で、財政的には、やはりかなりきつくなったわけですけれども、20万石級の大名がやるような、外交防衛の最前線の仕事を引き受けていたということで、経験値は上がったわけです。そこが先進性につながったのではないかなと思っております。

《幕末いわての先進性(南部藩)》

 橋野鉄鉱山を開発した大島高任ですけれども、南部盛岡藩士です。大島高任は1863年に「藩政改革書」というものを書いています。明治維新の5年前に書かれたものですけれども、そこには、「南部の国は、稍寒の地とはいえ、土地は広大、天下無双である。山には金銀銅鉄、海には魚塩、野には牛馬、田には五穀、糸麻そのほかの産物も、また挙げて数え切れない。今、財を理する法を行えば数年を経ずして、天下無双の富を得るであろう。」ということが書いてあります。明治維新後に明治政府が行う富国強兵や、殖産興業の政策が既にそこに盛り込まれているのです。義務教育ということも書いてありますし、債券の発行、国債・地方債、債券を発行し、資金を調達してそれを投資するというような、非常に近代的な財政政策も書かれていて、明治維新の5年前というのは、新選組ができた頃であり、長州が4か国艦隊と戦った頃で、まだ薩摩や長州も藩論が倒幕にまとまってない、開国などの方向性が見えてないような時代に、既に明治政府が採用したような政策を一通り網羅できた大島高任という人は、非常に凄かったですし、そういう人をしっかり選んで、江戸からさらに長崎にまで留学させて、世界最先端のオランダ語の製鉄の本を読んで勉強させていた、盛岡藩、南部藩の先進性というものがあります。

 そして相馬大作です。相馬大作は、津軽藩主襲撃事件、それを相馬大作事件と言いますが、南部の殿様の名誉を回復するために、と言って、津軽藩主を襲撃しようとして未遂に終わり、処罰され、命を失うわけです。この事件が有名なのですが、相馬大作が凄いのは、1800年頃から、南部藩、盛岡藩の北方警備に刺激を受けて、これからの日本は、藩の垣根を越え、日本全体で力を1つに合わせて、ヨーロッパ、アメリカ、諸外国に対抗していかなければならないという、その後の、勤皇の志士、幕末の薩摩長州系の志士の人たちが考えるようなことを既に考え、1818年には、自分の塾を作って、そこで近代的な兵法を教えたり、訓練をしたりしていました。それがそのまま発展していればよかったのですが、突然の津軽藩主襲撃事件で、命を失って、そこで相馬大作は歴史から姿を消すのですけれども、長州の吉田松陰がそのことに凄く感動し、吉田松陰は、長州藩を脱藩してまで、東北旅行を敢行し、東北諸藩が蝦夷地でやっていた対ロシアの北方警備について色々調べ、相馬大作が塾を開いて、日本を守ろうとしていたということも聞いて、相馬大作を称える漢詩を書いたりしています。吉田松陰が相馬大作について調べて、色々考えなければ、萩に、松下村塾を開かなかったのではないでしょうか。吉田松陰が松下村塾を開いて、長州藩の若い人たちを指導し、それが明治維新につながっていくのですけれども、その先生みたいな役割を、実は相馬大作が果たしていたということがありまして、そこにも、南部藩、盛岡藩の先進性があります。

《幕末いわての先進性(伊達藩)》

 伊達藩、仙台藩の先進性というのは、これは文句のつけようがない圧倒的な先進性があったわけですが、その頭脳の部分は、今の岩手県出身の人たちによって担われていました。大槻磐渓に至る大槻一族、仙台の藩校、養賢堂の校長は、大槻平泉、大槻習斎、大槻磐渓と、今で言う一関市出身の大槻一族が仙台の藩校のトップを勤めていました。

 そして、高野長英は、外国の情勢に通じて、対外政策を論じた本を出して幕府に捕まってしまうわけですけれども、今の奥州市の出身です。芦東山は、江戸時代に、近代的な刑法の本、「無刑録」という刑法の本を書いていて、仙台藩の改革を強く主張し、生前にはそれは実を結ばなかったのですが、芦東山の死後、大槻一族をはじめとする仙台藩の改革派の人たちが、芦東山路線を藩政改革にどんどん取り入れていて、改革が進むのですけれども、芦東山も今の一関市出身でありまして、伊達藩、仙台藩の頭脳の部分は、今の岩手県内にあったということが言えます。

《いわての先人(大正~昭和)》

 明治維新後、大正になり、岩手県人が世界を舞台に活躍するのですけれども、代表的なのが、原敬、新渡戸稲造、後藤新平の3人の先人の皆さんです。科学の分野や実業の分野でも、全国的な活躍をし、世界にも羽ばたくような方々がいらっしゃいました。

 そして、昭和に入りまして、戦争の時代に入っていくのですけれども、当時、「軍国岩手」という言葉があったそうです。「軍国岩手」、なぜならば、平沼騏一郎内閣で、岩手出身の板垣征四郎陸軍大臣、同じ岩手出身の米内光政海軍大臣、1つの内閣で、陸将海将が、どちらも岩手出身者だったということで、「軍国岩手」と、これは大きな誉であるということで当時、言われていたそうです。

 さらに、第二次近衛文麿内閣で、東条英樹陸将、及川古志郎海将。東条英樹さんは、東京生まれですけれど、父親が南部藩士で、その息子であり、非常に南部藩士意識が強く、東条英樹さんも、東京の盛岡人会や岩手県人会には、しっかり出席し、岩手県人、盛岡人というアイデンティティを持っていたそうで、少なくとも岩手側としては、やはり「軍国岩手」ということで、称えていたわけでありまして、決して岩手県は、遅れた弱い県ではなく、昭和の戦争に至る過程においても、大日本帝国の命運を左右するような重要なポストに、岩手県出身者がどんどん就いていたわけであります。

《「国家のため」から「地方のため」の開発へ》

 それは反面、悲劇的な歴史でもあったわけですけれども、戦後になりまして、民主化の時代、戦後復興を岩手でも進めなければならなかったのですが、その時に活躍したのが、2代目の民選知事、阿部千一さんです。初代民選知事の国分謙吉さんの1期目の副知事も務めていまして、その後、衆議院議員を務めて、知事に戻ってきた方であります。また、戦前は朝鮮総督府キャリア官僚でした。平壌市長や、道の知事、そして、総督府の部長局長を歴任されていて、未開のフロンティアを切り開き、そこに近代的なインフラを整備していく。そのインフラを基に、人々が生活し、働いて、経済を発展させていくというようことを戦前仕事にしていた阿部千一さんが、岩手の戦後復興を担ったというのは、非常にいい巡り合わせだったのではないかと思います。カスリン・アイオン台風からの復興で、北上川の治水をしなければならない、これを国会議員の経験もあり、北上川は岩手宮城の複数県に跨っているので、国の直轄事業で治水を行うべき、ということで、いわゆる五大ダムを、国の直轄事業として行うことに成功しました。医療局を立ち上げたのも、企業局を立ち上げたのも、阿部千一さんでありますし、戦後岩手の骨格を、阿部千一さんが作ったと言えるところがあります。右端は今の岩手県庁舎の落成記念行事で、完成した当時は、県庁舎としては全国最大、建物としても全国有数の高さ、巨大さだった今の岩手県庁舎、それを作ると決め、今のような設計デザインを決めたのも、阿部千一さんでありました。国家のための開発から地方のための開発へ、と書いてありますけれども、それまでは、地方の人材、そして地方の資源は、時代が時代でありましたので、やはり、お国のため、というのが基本だったわけでありますけれども、戦後になって、日本だけではなく、国連もできて、世界中、国と国との戦いというのは、もうやめましょう、その間、各国の中で、国内を充実させて、福祉の向上、ひいては人権の保障、そういうことを進めましょう、という中で、地方の人材や地方の資源が地方のために使われるようになっていったという、戦前戦中から戦後への転換の中で、岩手県はかなりうまくそういう方向で、戦後復興を成功させたと言っていいと思います。

 そして時代は高度成長期になっていくのですが、花巻空港、そして、東北新幹線、さらに東北自動車道。この頃、1980年代、中村直知事の頃ですが、「高速交通時代」という言葉が流行りました。岩手県内でしょっちゅう「高速交通時代」という言葉が使われまして、花巻空港は1983年にジェット化され、プラス、新幹線と高速道路で東京とつながって、色々なことがリアルタイムでつながり、人や物や情報、お金の移動など、東京のものが、あっという間に岩手にもあるというような「高速交通時代」に入るわけです。

 そういう基盤をもとにして、工藤巌知事の頃に、平成4大イベントといわれた、「ねんりんピック」、「三陸・海の博覧会」、「アルペンスキー世界大会」、「国民文化祭いわて」が行われます。ねんりんピック、国民文化祭は、持ち回りの行事ではありますけれど、こういう全国規模の行事をどんどんやれるようになり、三陸・海の博覧会は、持ち回りではなく、岩手で独自にやったもので、1990年代、日本のあちこちで地方博があったのですが、それは、ものによっては巨額の赤字を残して、大失敗に終わったような地方も当時あったのですけど、三陸・海の博覧会は大成功で、黒字を稼ぎ、今でも、さんりく基金として、この時の黒字が岩手の沿岸の振興に使えるぐらいお金が残ったという、大成功した博覧会です。そしてアルペンスキー世界大会。これは、オリンピックやワールドカップに匹敵するような国際大会でありまして、そういうことが地方でやれるようになったわけです。

 さらに市町村ごとにも、スポーツ・文化拠点が1990年代に入ってどんどん充実していきます。奥州市・Zホール、岩手町・石神の丘美術館、金ケ崎町・しんきん森山スタジアム、そして北上総合運動公園など、1990年代にどんどんできていきます。この1990年代の地方におけるインフラ整備については、無駄遣いだった、黒歴史だ、というような評価もあります。ですが、大谷翔平さん、菊池雄星さんらが生まれ育った頃に、それまでは、岩手県営球場ぐらいしかなかったような本格的な野球場が、昔と違って、市町村ごとにかなり立派な野球場、グラウンドや文化拠点を持ち、こういうものがあったからこそ、世界に大リーガーとして羽ばたけるような人たちが、岩手の中で、野球選手として育っていったし、色々な他のスポーツでも全国有数の世界に羽ばたく選手が出て、合唱が、全国トップになるような、レベルの高い場所ができるようになったという部分も、1990年代のスポーツ文化拠点の整備というのがあったからだと思っております。このように、地方が地方のために、人や資源を使えるようになり、それが、さらに市町村単位にまで細かく行き渡っていきますと、もの凄いことになっていくと。その間、岩手では東日本大震災津波からの復興というのも経験しました。

《個人が活躍する時代》

 そして、大谷サンはじめ、個人が活躍する時代。1980年代にほぼ完成を見た高速交通インフラによって、東京とのつながり、さらにその後の、県内市町村単位までも、きめ細かいインフラ整備が進んで、それと別にインターネットの発展、情報通信技術の発展というのもあります。これら全部を合わせますと、地方に生まれ育っても、施設設備の面では、大都会とそれほど遜色ないような環境になってきますので、そうなってくるとむしろ、人口密度が少なくて、ストレスを感じにくい生活環境の良さや、水も空気も綺麗で、食べ物がおいしいという良さなど、スポーツ・文化などで育ち、活躍していくには、地方の方がむしろいいのではないかと、そういう時代になってきているのではないかと思います。

 単純化すれば、昔はお国のため、というのが支配的だったところが、地方のため、さらに今それは、個人一人ひとりのために地方が役に立つ、ということで、逆から見ますと、個人がそれだけ充実してくると、地方というのも非常に強くなるし、国民一人ひとりが強くて、そして地方も充実している日本国であれば、国全体としても、これは強いと、他の国に負けません、となっていくのではないかと思います。

7 いわてを作った地理と歴史

《北上島~特別でユニークな成り立ち~》

 さらに、「いわてを作った地理と歴史」を、それぞれ、より大所高所から見ておきたいと思いますが、ここで動画を1つご覧ください。(※動画【北上山地(三陸)の形成CG映像】は岩手県公式動画チャンネルからご覧いただけます。)5億年ぐらい前まで遡ります。5億年前から、今でいう北上高地が当時、南半球の赤道そばにありました。厳密にはこれは、南部北上帯と言って、北上高地の南半分です。そして北半分が、2億年前ぐらいに出てきて、南のものと北のものが合体し、「北上島」と地質学者が呼んでいるのですが、「北上島」という島のような状態になって、これが数千万年前に、他の日本列島と合体して、今の日本列島の中の北上高地になっているのです。皆さんご存じでしたでしょうか。北上高地というのは、特に南半分は、もともと南半球とか赤道のあたりにあり、だから、ウミユリの化石などがあるのです。数億年前、古生代のウミユリの化石が大船渡で取れたりしますし、北半分は、南よりも少し後に、南の海のあたりで形成され始め、それで、恐竜の化石が入っていたり、琥珀が取れたりする。北上高地に三陸の海岸は全部含まれていますし、北上盆地も東側半分は、北上高地の地質に乗ったりしているのですけれども、日本の中でも非常に独特な、ユニークなところだということがあります。宮沢賢治さんはそのことをよくわかっていて、大陸移動説などは、当時はまだ知られておらず、昔、島だったというようなことは、宮沢賢治さんは知らなかったはずなのですが、直観的に、北上高地を含む岩手の山、岩手の海岸、これはちょっと何か違うのではないかということは、色々石を拾って歩いたり、地質を見て歩きながら、宮沢賢治さんは強く感じていて、「イーハトーブ」という理想郷のイメージも膨らませていったのではないかと思います。

《縄文文化~サステナブルな暮らし~》

 時代は一気に近くなって、それでも縄文時代ですけれども、一戸町の御所野遺跡を含む北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産登録されていて、日本中に縄文遺跡はあり、特に東日本の方に縄文遺跡が多いのですけど、津軽海峡を挟んだ北海道と北東北、青森・秋田・岩手のあたりに、縄文文化は非常に花開き、それだけ土器や土偶も残っていて、遺跡も素晴らしいものが残っていたということのようであります。岩手県は、縄文時代の土偶出土数が日本一です。縄文時代というのは、自然と共生して、木を切り尽くさない、ドングリや木の実を取り尽くさない。熊がいて、動物もいて、サケが遡って来て、そういうものを取って食べることもできるのですが、それも取り尽くさないということで、何千年もの間、1万年近く、サステナブル、持続可能だった、それが縄文文化なのです。海外の、物を知っている方々は、その凄さに着目し、縄文1万年というのは凄い、それだけサステナブルな文化が続いたところというのは、地球上にあまりないということで注目しているのですけれども、そういうものが、岩手の基盤にあります。

《日本列島内の国際関係》

 そして、歴史の時代に入って、岩手県の特徴的なことなのですけれども、日本列島内の国際関係の最前線であり続けたということです。古代、京の都、桓武天皇の時代ですが、桓武天皇が、京都に都を移し、日本全体を統一しようという時に、東北地方にはまだ、京の都、朝廷に従わない人たちが居て、そういった人たちを蝦夷と呼び、朝廷と蝦夷の戦いが続いていました。蝦夷の指導者が「アテルイ」と呼ばれていたわけですけれども、そういう一種の国際関係のようなものが、まずアテルイの時代、桓武天皇の時代にあり、前九年、後三年合戦の安倍氏、奥州藤原氏の時代にも、中央と地方の戦いの最前線が岩手にあり、戦国時代は、伊達政宗が奥州王を名乗り、秀吉や家康とは別に、独自にスペインやローマ法王に使節を派遣し、カトリック勢力と組んで、あわよくば勝利しようというような野望も抱いていた時代がありました。

 そして幕末、戊辰戦争での奥羽越列藩同盟。岩手を含め東北諸藩は、一時は、明治政府とは違う政府をつくって、独立国になろうという動きもしていたわけです。いずれも、最終的には敗者の側になっていって、日本国は、そうじゃない日本国が続いてきてはいるのですけれども、それとは違う日本の可能性というのを常に意識していて、別の日本もあったかもしれない、別の日本の方がいいのではないかという、そういう問題意識を、岩手の人たちは持ち続けたというところがあります。

 今はもちろん、岩手の人たちは、日本国憲法を尊重し、日本国の一部として、日本国民として、日本のために頑張ろうとなっているわけでありますが、それは明治維新の頃から、大日本帝国の中、明治憲法の下で、日本国民として頑張るという、原敬さんもそうだったわけです。日本の中の一部として頑張るという基本はあるのですけれども、日本のあり方を考えるときに、こういった過去の歴史の経験がありますと、多角的、多面的な視野で、日本と世界との関係を色々と考えられますが、そういう先人が、過去、先ほど紹介したように岩手に出ていたのではないかと思います。

《物語の国》

 また、賢治・啄木の世界ですけれども、遡れば、弁慶と牛若丸の歴史物語というような物語の風土が、岩手には昔からあって、そこに遠野物語に代表される、豊かな民話が岩手にはあり、そういった歴史物語と民話の土壌の中に、宮沢賢治の世界が生まれて発展してきているということで、今でも岩手県は文学に強い、漫画、アニメ、ゲームなどのコンテンツにも強い、ということだと思います。石川啄木さんは、非常にユニークな存在なのですけれども、当時としては珍しい近代的自我で、明治時代の、日本が近代化していく時、個人としての我をどう持つかという中で、非常に先進的な自我を、散文や詩、短歌に表していった人でありまして、啄木も含めて、岩手県は物語の土壌が非常に豊かなわけであります。

《「イワテズ・ウェイ・オブ・ライフ」・「スピリット・オブ・イワテ」》

 「豊かな自然と歴史に育まれた食文化に代表される質の高い生活文化」、これを、「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」と定義しましたけれど、それは一方「イワテズ・ウェイ・オブ・ライフ」でもありまして、「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」の中でも、特に良質で独自な、独特な、自然と歴史に育まれた食文化に代表される質の高い生活文化がここ岩手に「イワテズ・ウェイ・オブ・ライフ」としてあるのではないでしょうか。

 そして、「スピリット・オブ・イワテ」。もともと、この「向上心」というスピリットを日本全体としても、岩手全体としても大事にすべきと思ったのは、大谷翔平サンを見ていてそう思ったのですけれども、大谷翔平サンに典型的に代表される、その道を極めようという、そういう「向上心」、これをちゃんと守っていく限り、岩手としても日本としても、間違いなくうまく発展していくことができると思います。

8 世界に開かれた地方創生

《地方創生10年》

 最後は、「世界に開かれた地方創生」です。一昨年、地方創生10年で、東京一極集中、東京圏の転入超過数はむしろ増えてしまって、コロナ禍で少し減ったのですが、またV字回復してきているという状況で、合計特殊出生率も、高くなるどころか低くなっているという反省があります。一方、地方創生10 年の間に、毎年1,000億円ずつ、地方創生予算が地方に配られ、それを活用しながら、子ども子育て環境、雇用環境、魅力の向上、それぞれの向上に予算が充てられ、岩手県の場合、第2子以降3歳未満児の保育料無償化、在宅育児を行う場合には支援金の給付、また子供の遊び場の整備など、全国トップレベルの子育て環境に、そういう予算が使われています。

 雇用環境については、少子化による人手不足という面もありますが、有効求人倍率は1倍を超え、仕事を選ばなければ、岩手に生まれ育った人は岩手の中で働ける時代に入っています。

 そして、魅力の向上として、陸前高田オートキャンプ場、盛岡みたけの運動公園のクライミング施設などが、毎年、全国で1,000億円の地方創生拠点整備交付金で整備されていきました。地方創生拠点整備交付金はヘルステック・イノベーション・ハブ(H・I・H)の整備にも使われましたし、環境制御ハウスの整備など、農林水産業振興にも使われました。

 去年、石破内閣の地方創生として、地方創生2.0となり、地方創生交付金は2,000億円と倍増されまして、過去10年にやってきたことをパワーアップしようという方向性が示されました。そして去年12月、高市内閣で、地方創生の、国の総合戦略が閣議決定したのですけれども、「強い経済」という方針を地方創生に取り入れて、地方の経済成長率を東京圏以上にするという目標が定められました。これは非常に大きいことでありまして、過去10年、東京一極集中に歯止めがかからず、むしろ加速したのは、結局、東京の経済成長率が地方より高かったからです。地方創生の10年の間は、実は東京オリンピック・パラリンピックのための10年でもあって、官民の投資が東京に大々的に行われ、東京の有効求人倍率をはじめ、雇用条件が地方より良かったので、東京一極集中、人口(社会増減)は逆転しなかったのですけれども、地方の経済成長率を東京圏以上にしますと、過去1970年代、1990年代、リーマンショック直後のリーマンショック対策が地方にかなり手厚く行われた時期など、地方の経済成長率が東京圏以上になったような時期は過去にもあって、てきめん、人口の移動は、地方回帰の傾向を当時示していますので、非常に良い目標で、この方向で、新しい地方創生を進めていけばいいと思っておりまして、岩手県的には、世界に開かれた新しい地方創生の形で進んでいけばいいのではないかと思っております。

《世界に開かれた地方創生》

 それを象徴する事業として今年やろうと思っているのは、シンガポールのベンチャーファンド、インシグニア社と連携して、カンファレンスや、アカデミーをやろうということです。インシグニア社の創設者のタン・インランさんはシンガポール人ですけど、フォーブス中国版の最も影響力のある華人100人に選出されております。私が彼と知り合ったのは、ダボス会議を主催している世界経済フォーラムが、夏には中国でサマータボスを開催するのですけど、大連で開かれたサマーダボスに参加する時に彼もサマーダボスに参加し、それで知り合ったのですが、シンガポール政府のいろんな役にも就いているし、東南アジアASEANで、広くスタートアップ支援、スタートアップへの投資などを成功させてきている方です。シンガポールを舞台にカンファレンスやアカデミーをやって、既に成功した実績があるので、それを岩手県でもやろうということです。

 実は、一関市出身の小説家、楡周平さんと、去年2月、「世界の中の地方創生」というテーマで一緒にシンポジウムをやったのですが、楡さんは「限界国家」という小説を書いていて、限界集落をもじって、もう日本全体人口減少で限界国家になっていてお先真っ暗、という本なのですけれども、最後に、日本の唯一の希望として、若い人たちがインターネットを使って、シンガポールという国名が具体的に出てくるのですが、シンガポールの若い人とも、インターネットでやりとりしながら、スタートアップ、新しいベンチャー企業を起こしたり、またそれを支援したりしようとしている。そこに、これからの日本の希望はある、と楡周平さんは「限界国家」という小説の最後のところに書いていまして、そういうことを実際に岩手県でやってみようということです。

 私が、一昨年のサマーダボスin大連に出たきっかけは、岩手県と大連との交流の中で、大連市の栄誉市民にしてもらい、それで招待をいただいたのですが、夏季ダボス会議に入ってしまいますと、舞台は中国なのですけれども、そこを仕切っているのは、ヨーロッパの人達、世界経済フォーラムの役員の人たちが仕切っておりまして、ヨーロッパ、そしてヨーロッパからアジアという英語圏の広がり、東南アジアが特に英語圏としてあるわけですけれども、そういう人たちが、未来の経済を語り合い、実際いろんな商談をするというような場でありました。

 その後、最近の話題として、インドと、にわかに最近つながっております。モディ首相が、日本の地方との直接のつながりも作っていきたいということで、心ある知事たちを16人集めて、去年8月、モディ首相と16人の県知事の意見交換会というのが、東京で開かれました。岩手県からは、半導体に関して、インドと連携しようと。「I-SPARK(アイ・スパーク)」をインドの人たちに見てもらったり、やがてそこで研修してもらったり、という協力を進めていく予定です。

《幸福を守り育てる岩手~行政のミッション=「開発」~》

 地方行政の原点は、今日色々と紹介した戦前戦後の岩手の歴史も振り返りますと、行政というのは結局「開発」ということではないかと思っております。土地開発のみならず、経済開発、社会開発。社会開発の中には、医療、福祉、教育の開発というのが入りますし、近年になるほど、人間の開発、ヒューマン・デベロップメント、日本では人材開発という言葉がよく使われますが、教育、訓練といった、ソフトの面も含めて、この「開発」ということが、行政のミッション。その「開発」によって、その地域で人々が自由に経済活動もできれば、社会活動もできるし、色々なことができる。そこに住んでいる人たちが、その外の人たちとも一緒になりながら、自由な活動ができるようになるための「開発」ということです。先人の皆さんは、岩手を舞台にそういうことをやってきているので、これからもやっていかなければならないと思います。「開発」というのは、ともすれば日本ではもう高度経済成長期ぐらいで終わって、今はもう、そんな開発の時代じゃない、という雰囲気もあるのですけれど、「SDGs」というのは、「Sustainable Development Goals」で「開発」目標なのです。ジェンダー平等など、先進国でも、まだまだ取り組まなければならない「開発」はあるわけです。ですから、「開発」という時には、ジェンダー平等なども入ります。SDGsでいうところのデベロップメント、「開発」ということに、行政としては取り組んでいかなければならないということなのですが、SDGsが、今、国連周辺の議論で、「SWGs」、「Sustainable Well-being Goals」、「幸福目標」とするのがいいのではないかという議論が進んでいます。

 2030年までがSDGsの目標期間なので、「幸福」と名前が変わるとしても、2030年以降、まだ先のことだと思いますが、「開発」が「幸福」でもあるというのは、岩手の場合、宮沢賢治さんの「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉に代表されるように、岩手県では、皆で、幸福を共に追求するという感覚が得意でありますので、「イワテズ・ウェイ・オブ・ライフ」の要素として、ウェルビーイング、「幸福」というものをしっかり意識しながら、「スピリット・オブ・イワテ」、「向上心」を忘れずに、「世界に開かれた地方創生」を進めていけばいいのではないかと思います。

おわりに

 岩手県政150周年記念「岩手・夢」アンケートというものをやったところ、子供たちの、岩手の好きなところや自慢したいことには、「大谷翔平」、「わんこそば」、岩手にあったらいいなと思うことには、「そのまま自然があっていい」や、「岩手が北海道よりでかくなってほしい」などという願いもあるのですけれども、子供たちの願いがかなえられるような、そういう「世界に開かれた地方創生」をしていきたいと思っております。

 ご清聴ありがとうございました。

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