「がんばろう!岩手」意見交換会(平成29年4月21日 宮古地区)

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ページ番号1000833  更新日 平成31年2月21日

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日時
平成29年4月21日(金曜日)10時30分~11時50分

場所
宮古地区合同庁舎 3階大会議室

出席者(敬称略)
 

  • 参加者(敬称略)
    近江 絵理(イラストレーター)
    早川 輝(NPO法人みやっこベース事務局長)
    服部 真理(やまだ復興応援隊/やまだワンダフル体験ビューロー)
    小川 仁志(いわいずみ炭鉱ホルモン鍋発掘隊幹事/1001ひろば店長/株式会社日進堂 岩泉工場 総務部長)
    鈴木 悠太(NPO法人クチェカ事務局長)
    工藤 沙織(田野畑村漁業協同組合組合員/住宅設備会社事務員)
  • 県側
    知事、沿岸広域振興局副局長、秘書広報室長

開会

保室長
 
ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催したいと思います。
 本日は、「復興の先を見据えた地域振興」ということをテーマにして、宮古地区でさまざまお仕事や地域活動等で活躍されている皆様にお集まりいただいています。皆様、今日はお忙しいところをお集まりいただきまして、どうもありがとうございます。
 私は、今日の司会進行を務めさせていただきます県の秘書広報室長の保と申します。どうぞよろしくお願いします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


保室長
 それでは、開会に当たりまして知事から御挨拶を申し上げます。

達増知事
 皆さん、おはようございます。県政懇談会というのは、県内各地を知事が訪問しまして、それぞれの地域、またそれぞれの分野で活躍している方々と知事が直接意見交換をするという企画でありますけれども、特に東日本大震災津波以降は「がんばろう!岩手」というのをタイトルに入れてやっています。
 今日もこの東日本大震災津波の被害を受け、そこからの復興が進んでいるこの地域において、それぞれの地域、それぞれの分野で活躍し、復興を進め、また復興の先にある地域の姿に向かって力強く進んでいる皆さんのお話を聞くことで県政に役立てていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。

保室長
 それでは、本日の懇談会の進め方についてでございますが、この後、私のほうから一通り皆様方のお仕事とお名前を御紹介したいと思います。その後、改めてお一人ずつ自己紹介をいただきまして、それから今日のテーマに関してのお話ということで2回りしたいと思います。さらにその後に自由な懇談の時間も設けておりますので、よろしくお願いします。
 では、名簿に従いまして、順次出席者の御紹介をしたいと思います。
 まず、地元宮古でお仕事されておりますイラストレーターの近江絵理さんでございます。

近江 絵理
 よろしくお願いします。

保室長
 NPO法人みやっこベースの事務局長、早川輝さんでございます。

早川 輝
 よろしくお願いします。

保室長
 やまだ復興応援隊でやまだワンダフル体験ビューローに所属しております服部真理さんでございます。

服部 真理
 よろしくお願いします。

保室長
 いわいずみ炭鉱ホルモン鍋発掘隊の幹事ということで、それから1001ひろば店長さん、それから株式会社日進堂岩泉工場の総務部長さんでもあります小川仁志さんでございます。

小川 仁志
 よろしくお願いいたします。

保室長
 NPO法人クチェカの事務局長をしております鈴木悠太さんでございます。

鈴木 悠太
 よろしくお願いいたします。

保室長
 田野畑村漁業協同組合の組合員でございまして、住宅設備会社の事務員をされております工藤沙織さんでございます。

工藤 沙織
よろしくお願いいたします。

保室長
 県からは達増知事、それからこちらのほうには沿岸広域振興局の小畑副局長も出席しております。
皆さんの奥のほうには、本日はこちらの地区選出の県議会議員でございます城内よしひこ議員にも御出席いただいております。よろしくお願いいたします。

保室長
 それでは、皆様のお手元においしそうなお菓子と飲み物がございますので、アイスブレイクということで、少しいただきながらということで進めたいと思います。
 では、せっかくですので、紹介を。

小畑副局長
 本日のお菓子でございますけれども、本日御出席いただいている岩泉町の小川さんが総務部長を務められております日進堂の黒糖塩バウムクーヘンでございます。こちらのお菓子には宮古市の宮古の塩と沖縄県多良間村の黒糖が使用されておりまして、宮古商業高校の生徒さんとの開発協力ということでできた商品というふうに伺っています。
 宮古市と多良間村の関係ですけれども、今から150年ほど前に宮古の船が沖縄県の多良間島に漂着した際に、その島の方々から手厚い保護を受けたというようなことでもって、そのご縁で宮古市と多良間村が姉妹都市というか、姉妹村になっているということでございます。その交流の歴史を年輪に見立てて、輪がますます広がっていくようにという願いが込められているというふうなことでございます。

達増知事
 それで「150年のきりかぶ」というのですね。

小畑副局長
 ええ、150年前に船が漂着をされたというふうなことでございます。
 それから、飲み物につきましては昨日全面営業が再開いたしましたけれども、道の駅いわいずみの指定管理者にもなっています岩泉産業開発さんで販売している龍泉洞のウーロン茶でございます。龍泉洞の水が使用されているものでございます。どうぞお召し上がりながら御懇談いただければと思いますので、よろしくお願いします。

保室長
 ぜひどうぞ、せっかくですので、召し上がりながらお願いします。
 小川さん、何かもう少しPRすることがあれば。

小川 仁志
 全部説明のほうは完璧にしていただきましたので、あとはおいしく召し上がっていただければありがたいなと思っています。

保室長
 ありがとうございます。

懇談

写真:懇談会の様子2


保室長
 それでは、お召し上がりながらで恐縮ですけれども、進めさせていただきたいと思います。
 それでは、最初に1分、2分程度で自己紹介をお願いしたいと思います。先ほどの御紹介の順番で順次参りたいと思いますので、まずは近江さんからお願いします。

近江 絵理
 宮古出身で、被災後から地元で頑張るイラストレーターとして絵をかき始めて、その後、それを見ていた私の姉がアートエリーズという会社を起業してくれたので、これパンフレットです。姉妹と女性スタッフでやっているのですけれども、主に宮古の企業さんの商品のパンフレットのデザインとか、イラストを描いたり、あとは被災後に観光系のお仕事にもちょっと就いていたことがあったので、そのとき宮古のお土産というのが少ないなという、宮古産で、宮古でつくって、本当に宮古で出しているというものが食品しかないなというのに気付いたので、宮古弁のシールとか缶バッジをつくっています。

達増知事
 これがそうですね。

近江絵理
 はい、印刷物は全部その宮古の印刷屋さんに頼んで、本当にメイドイン宮古だよという。

達増知事
 「おおきに」とか書いていますね。

近江 絵理
 「おおきに」、「ありがとう」とか、結構人気がありまして、あとは沿岸には「やませ」というのがありますよね。それをキャラクターにすることで、逆にやませを観光資源にしようということを思いつきまして、そういうものを作ったり、ちょっとふざけて見えるかもしれないけれども、結構まじめに宮古のことを考えてお土産とかを作らせていただいて、今こういう活動をしています。

達増知事
 これが「やませくん」と。

近江絵理
 そうです、白ければ「やませくん」なのです。
 このパーカーも「やませくん」になります。ありがとうございます。

保室長
 ありがとうございます。
 それでは、早川さんお願いします。

早川 輝
 よろしくお願いします。NPO法人みやっこベースの事務局長をしております早川輝といいます。出身は福岡県の北九州市で、震災後にこちらに来ました。
 福岡県出身で、大学を卒業してから2年間オーストラリアにワーキングホリデーで行っておりまして、帰国したのがちょうど震災の10日前だったのです。それでちょうど時間があったので、何かできることはないかというので、本当に沿岸のほうには来たことがなかったのですけれども、たまたま宮古市に来ることになりまして、災害ボランティアセンターで活動していました。その中で、地元の高校だったり、短大の学生、生徒さんたちが一生懸命ボランティア活動をしている姿に感銘を受けまして、そのとき僕はボランティアコーディネーターという役割でかかわっていたのですけれども、こちらからすると支援するような立場である子供たちが、支援される側から支援する側に立っている姿を見て、こういう子たちが将来宮古だったり、岩手を担っていく人に成長していくのだろうなということを思いまして、高校生とか、若い人たちがボランティア活動もそうですし、宮古の社会的ないろんな活動に参加できるようなきっかけづくりであったり、場づくりのサポートをしております。

保室長
 ありがとうございます。
 それでは、服部さんお願いします。

服部 真理
 服部真理と申します。よろしくお願いいたします。私は東京出身で、山田で復興コーディネーターという仕事をする人を探しているということで入りまして、6月で3年になるのですけれども、山田で観光にかかわる仕事全般をやっております。
 もともと友達が被災したこともあって、震災直後からこっちのほうには何度か足を運んでいたのですけれども、それも落ち着いたことで、今度は何ができるかなと思いまして、こちらのほうに来たのですけれども、来てから1年間は、ほぼヒアリングと町の人と信頼関係を結ぶということをじっくりしてきて、昨年からようやくいろいろな活動が具体化してきたというところです。山田では、体験観光を推進するということを町の人たちと決めまして、町の事業者さんと一緒に観光を盛り上げようと頑張っています。

保室長
 ありがとうございます。
 では、小川さんお願いいたします。

小川 仁志
 小川仁志と申します。よろしくお願いいたします。名前の前に、いわいずみ炭鉱ホルモン鍋発掘隊、1001店長、日進堂岩泉工場の総務部長をやっているということで、いろいろと長い肩書きがついているのですが、もともと1001店長と岩泉のこういったお菓子をつくっているところの2つをかけ持ちしてやっていました。二刀流ではないのですけれども、そういったことでやっていたのですが、まちおこしの一環ということで、いわいずみ炭鉱ホルモン鍋で地域を挙げてちょっとPRしていきましょうということで昨年の7月に立ち上げました。それで、イベントをさあ、やろうかなといったときにちょうど、岩泉で大きなイベントがある予定だったのですけれども、その3日前でしたかね、台風がありまして、そういったイベントができなかったのです。その後何とかまたみんなで頑張っていこうということで、今日はこういったユニフォームを着てきたのですけれども、おそろいのユニフォームをつくって、いろんなイベントに出ています。ホルモン発掘隊がまちおこしにちょっとお役に立てればなということでやっております。よろしくお願いいたします。

保室長
 ありがとうございました
 では、鈴木さんお願いします。

鈴木 悠太
 よろしくお願いいたします。NPO法人クチェカで事務局長をしております鈴木悠太と申します。
 まず、「クチェカ」ということで非常に発音しづらい名前だと思いますけれども、理事さんたちでさえいまだにまともに発音してくれないということで、名前だけでも覚えて帰っていただければなと思っております。クチェカの意味は、スワヒリ語で微笑みということです。私たちが活動する、皆さんにかかわっていただく中で微笑みになっていただきたい、笑顔になっていただきたいということでクチェカとつけさせていただきました。
 主に東日本大震災と台風10号豪雨災害被災者支援事業ですね、それと障がい者の方々の日中活動の支援の事業をしております。生まれも育ちも私はふるさと岩泉町です。高校まで地元の学校に通った後で専門学校と社会人は東京のほうに出ましたけれども、ふるさとの魅力というのを再認識しまして、早目に4年間で帰郷してまいりました。その後は、岩泉町役場で臨時職員として、そして岩泉町の復興支援員としてずっと復興にかかわる活動をそれぞれの立場でですが、させていただいておりました。現在では、地元の数少ないNPO法人として町民と町のために復興の活動をしております。
 全く個人的な話にはなるのですけれども、私は野球をずっとやっておりまして、スポーツが好きで、台風10号の豪雨災害の発生によって、国体の軟式野球競技が岩泉町でできなかったということは本当に個人的な話にはなるのですけれども、非常に残念に思っております。岩泉町の野球人として何かこの思いを未来につなげられたらいいなと思っております。本日はよろしくお願いいたします。

保室長
 ありがとうございました。
 それでは、工藤さんお願いします。

工藤 沙織
 初めまして、工藤沙織と申します。私は、震災前後は仙台市で働いていたのですが、3年ほど前に生まれ育った田野畑村に戻り、父の残してくれた船や道具などを引き継いで漁師を始めました。最初の1年は船舶免許を取得したり、漁の仕方を教わったりと漁業のみに専念して、その後は住宅設備工事の会社で事務員として勤務しながら、今はウニ漁とアワビ漁、サケの定置網漁の時期だけ漁業に従事しています。
 女性の漁師はあまりいませんし、最初は不安もありましたが、漁師の先輩方に助けていただきながら何とかやってきました。漁師としてはまだ4年目で、腕もまだまだ未熟ですが、やりがいを持って楽しく働いています。今日はよろしくお願いいたします。

保室長
 ありがとうございました。
 それでは、一通り紹介が終わったところで、今日のテーマでございます「復興の先を見据えた地域振興」ということで、今さまざま取り組んでおりますこと、その先に地域の盛り上げにつながればいいなというようなことでの思いもたくさん皆さんお持ちだと思いますが、そのようなことについてのお話をお聞かせいただきたいと思います。時間の都合もございますので、恐縮ですが、お一人4分以内くらいで一回りさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
 順番的には先ほどの順番になりますが、今度はお二方ずつ区切って知事からのコメントのやりとりもございますので、そのような形で進めさせていただきたいと思います。
 それでは、また最初に戻りまして、近江さんのほうからお願いします。

近江 絵理
 私は、復興というのが今つくっている道路、堤防、まちの建物ができたら終わりでないと本当に思っていて、出ていく若い人たちとか、家族で出ていってしまった人口流出を何とかしないと復興の第一歩にまずなっていないと思っていて、あとは宮古にいる人が「宮古はいいところでしょう、遊びに来て。」と本当に心から自慢できるまちになって、やっと復興してきたなと私は思うのです。
 だから、そのためには若い人たちが戻ってきてここで仕事をしたり、ここで家族をつくりたいと思えるようなまちにするためにも、まず私たちがこうやって自分の好きなことで仕事をして、成功するモデルになれば、もっと宮古のそういう何かしたいと思って出ていってしまった人たちが戻ってきてくれるのではないかと思っています。姉とこの仕事を始めたところもあるので、自分の仕事をまず成功させるというのも、若い人たちの目標になれるように今は頑張るというのと、宮古のいいところを今いる人たちでどんどん発見して、三陸ジオパークもそうなのですけれども、もっと地元の人が宮古ってこんないいものがあるのだというものを再確認しなければならないときが来ているのではないかなと思うので、そういうイベント活動にもどんどん私にできることがあれば携わっていきたいと思って、今はちゃんと考えて動いています。

保室長
 早川さんお願いします。

早川輝
 「復興の先を見据えた地域振興」ということで、僕もよそ者で、さっき言い忘れていたのですが、2011年の6月に来てもうすぐ6年になるのです。最初は2カ月ぐらいで帰ろうかなと思っていたのですが、地元の若者、若い人たちとかかわる中でもうちょっと残って何かできるかなという感じで残って、高校生たちと出会って、高校生とか若い人たち、やっぱり宮古は大学がないので、出ていくのです。その前にとりあえず宮古のことを知ってもらって、好きになってもらってという仕組みが必要なのだろうなと思って、それが復興と言われるものの先に絶対必要になってくるだろうなと思ってこの団体を立ち上げたのです。
 最初の年に高校生サミットといって、いろんな高校の高校生たちが集まって、宮古のいいところとか悪いところとか、この先こういうまちにしていきたいとかというのを自分の言葉でしゃべってもらって、その中で企画を考えてもらったりして、そこで生まれた企画の活動のサポートをしてきました。そうすると、高校生たちはその活動を経て、宮古のことを自分の言葉で語るようになってきたと思います。何もないまちだとか結構言う人がいると思うのですけれども、それは大人の人たちがちょっと卑屈になっているだけなのかなと思うのです。高校生たちが自分で見たり、体験したり、格好いい大人の人に出会って聞いたことというのは、やっぱり自分の誇りにつながってくると思うので、そういう場面を多く用意して、一旦宮古を出てもいつか戻ってきてもらうような人に育ってほしいなという思いでこの活動をやっております。
 やっぱりその活動を経て、「宮古を好きになりました」とか、「いつか帰ってきたいです」みたいなことをほとんどの高校生が言ってくれるのですが、一回大学で外に出た姿を見ると本当に帰ってくるのかなと思ってしまいます。就職活動をする段階になって、いろいろ比べると思うのですが、宮古で働くということもそうですけれども、暮らすということで楽しみであったり、宮古の自然を生かしたライフスタイルとか、そういうものを知ってほしいなという思いで、2年前から、地元修学旅行という企画もやっております。地元の体験、自然体験というか、小学生とか、中学生とかでは結構学校のプログラムを体験すると思うのですが、高校生とか大学生、結構自分の価値観が育っていった段階でそういう活動はないと思うので、そのあたりの自然というのはすばらしいなと本当に再認識できるような、そういうライフスタイルをしている大人と出会う機会をつくっています。
 近江さんも言っていましたが、自分の将来像というのが宮古で描けないと帰ってきたいとか、実際に帰ってくるというのに一歩踏み出せないと思うのです。そういったところで、こういう格好いい大人たちがいるよとか、大人のコミュニティをつくって、その高校生たちとつなぐ、大学生たちとつなぐというものをできればと思っております。
 最初は高校生の活動から始まったのですけれども、この先宮古で、人を育てて、宮古をよくする人をふやして、その人たちが最大限力を発揮できるように戻ってくる仕組みをつくったり、コミュニティをつくったりとか、今後そういうような仕組みを残していければと思っています。
 ちょっと長くなりましたが、お願いします。

保室長
 では、知事お願いします。

達増知事
 近江さんの活動は大変すばらしいなと思います。絵として非常にいいですし、あとは方言、宮古弁シールもすごくセンスがいいなと思います。この会社紹介のパンフレットもいいですよね。

近江 絵理
 ありがとうございます。

達増知事
 そして、近江さんがおっしゃった復興というのが施設とか設備ができればいいというものではなくて、出ていった人が戻ってくるとか、宮古を心から自慢できるようになるとか、やっぱり中身が復興というのは問われるのだと私も思います。
 復興という言葉の意味はいろんな説明の仕方や理解の仕方があると思うのですけれども、一つ私が考えているのは、復興の「興」というのは地域振興の「興」で、復興というのは何がよみがえるのか、復活するかというと地域振興、つまり地域が上向きというか、前向きというか、地域が発展しているという、あるいはいいほうに向かっているというような、そういうダイナミックな状態がよみがえることが復興だから、建物やら道路やらができればいいというものではないというのは本当にその通りだと思うのです。
 早川さんは、高校生サミットとか、高校生の面倒を見てくれて、私からも御礼申し上げます。ありがとうございます。一旦ふるさとを離れる前に地元のことを知ってもらう、好きになってもらうというのは非常にいいポイントだと思いますね。地元修学旅行というのもグッドアイデアだと思います。そもそもよそから修学旅行とかに来るだけの価値があるこの地域でありますので、僕は盛岡で生まれ育っているのですけれども、小学校のときに海浜学校、臨海学校は宮古に来て浄土ヶ浜で海水浴でしたし、中学校のときは学習旅行で田老の津波、昭和の大津波の話とかを聞きに来るというのをやりましたし、高校のときはクラスごとに好きな場所を選んで遠足に行くという企画があって、うちのクラスは宮古を選んで浄土ヶ浜に来たりもしていましたし、非常にいいところ、魅力がいっぱいある地元だと、そういう経験を高校生同士とか、子ども同士でするというのはあまりしてないかもしれないので、非常にいい企画だと思います。
 帰ってくるかと、あたかもサケの稚魚をふ化させて放す立場みたいで、帰ってこいよと思いつつ稚魚の世話をしてくれているような感じなのですけれども、今や宮古市含め沿岸地方は、有効求人倍率は岩手の平均をはるか超えて、その働く場所というのはもう困らないような状態になっているのです。復興事業で、復興効果で働き口が多いということもあるのですけれども、それ以上にいろんな地場の企業や津波を乗り越えて、台風10号も乗り越えていろいろやろうとしているところというのは水産加工とか、観光とか、伸びていますからね、戻ってきて働く場というのは結構あるのだと思うのです。
 のぼりが立っていますけれども、宮古室蘭フェリーとか、これは復興道路もできて、岩手沿岸の交通が飛躍的に便利になって、それは岩手の中だけではなくて仙台から東京方面にも便利になり、だから北海道にもつなげようということでフェリーもできますからね。宮古をベースにしながら北海道開拓、改めて現代的な北海道開拓に乗り込むこともできるし、仙台や東京とつながった活動とかもより便利になるようになるので、そういったことも理解を広めて、帰ってきたい人の背中をバンバン押すようなことは、県のほうでも特に交通が便利になるさま、10年後の岩手の姿はこうなっていますよみたいなこととか、あとはどういう産業が伸びていて、どういう働き場がどんどん出てきているかというような情報をまとめているところもあるので、そういうのをどんどん活用してもらえればなというふうに思います。

保室長
 それでは、進みたいと思います。
 次に、服部さんからお願いします。

服部 真理
 よろしくお願いします。私は先ほど申したように山田で体験観光コーディネーターをしていて、昨年の夏から山田ワンダフル体験ビューローという組織を立ち上げまして、観光客の誘致と山田に滞在してもらえる仕組みづくりをしています。こういったパンフレット、今新しいのをつくっているので、ちょっと情報が古いのですけれども、とにかくこういう形で山田に来るとこんなことできますという形でお客さんの興味を引いて、しかも体験の充実もさせてというところなのですが、皆さんもご存じのとおり、山田町は県庁から一番遠い町と言われているぐらい、東京からだけでなく盛岡からも遠いという町で、しかも2年後、3年後に三陸道路ができたりですとか、三鉄が通ったりする中で、山田はお客さんが通り過ぎていってしまう町になるのではないかという危機感は非常に高くて、今そういうように交通の便がよくなったときに山田に降りてもらわないと、岩手県の沿岸、皆さん頑張っている中で、遅れをとらないように頑張らなければいけないということで、町の人たちと一丸になってやっています。
 山田はオランダ島というとっても魅力的な素材がありますので、そこの整備も町のほうと国のほうで始めるということも聞いていますので、そこを中心としてどんなことができるのかということを町の人たちと考えて日々動いております。
 ハードは遅いのですけれども、着々と進んでいますが、やっぱり今後はソフト面の充実というのがすごく必要になっていまして、そこが一番実は難しいところというのは痛感しておりまして、人もいなくなって、どんどん町から離れていく人もいる中で、人的パワーというのがすごく必要になっているなと思っております。
 今回復興支援員という総務省の事業で来ているのが私だけなので、その点で申し上げると復興支援員も募集をかけてももう人がなかなか来ないという状況になっているのです。以前よりもキャリアがある人が必要になっています。若い人の力も必要なのですけれども、より専門的になってきていますので、そういった人たちが来て、長い間町で仕事をしてもらえる仕組みですね、続けられる仕組みというものができないと、震災後に入った復興支援員は5年で帰っていきますので、もう皆さん引き揚げている時期になっています。その入れかえの時期に、更に5年後、10年後まで復興支援が、外から入ってくる人が続けられる仕組みを是非つくっていただけたらなと思っております。

保室長
 ありがとうございます。
 では、引き続きまして小川さんお願いします。

小川 仁志
 いわいずみ炭鉱ホルモン鍋発掘隊というのが去年発足したのですけれども、私はその際の地域おこし活動の中で、ホルモン隊として何ができるのかというふうなことで、そちらで地域を盛り上げていくだとか、全国に岩泉をアピールしていくとか、そういうふうな活動でしか発掘隊というふうなことでは発信、アピールというのができてないので、それを通じて何とか岩泉のよさですとか、そういうところというのをアピールしていきたいなと思っておりました。
 それで活動報告というか、どういうふうなことをやっていたかというのをちょっと簡単にご説明させていただきたいのですけれども、台風の影響があってイベントとかができなくなって、いろんな地区の方からお声がけをいただきました。それで、こういったイベントもあるのですよとか、そういう温かいお声をかけていただいて、金ヶ崎町ではO(オー)―1グランプリという鍋のグランプリがあるのですけれども、そういうところに出ていかないかとか、そういうふうなお声がけもいただいて、そういうのでみんな参加してきて、地域の人との交流とか、そういうのもできたのではないかなと思います。
 そういうのを含めて、ホルモン隊でできることといったら義援金だとか、そういうのを集めて、わずかですけれども、そういうふうな協力ができないかということで義援金活動とか、そういう活動もしております。
 一番大きいのは、その中でよかったのは和光市にあるのですけれども、和光で全国鍋グランプリというので何とか、厳しかったのですけれども、遠い中団員10名ほどで行ってきました。その中で、表彰をされまして、地域活動賞という、こういう賞状をいただいてきました。いわいずみ炭鉱ホルモン鍋発掘隊ということで、地域活動の活性化を目指す取り組みに大いに尽力されましたと、これはコピーですけれども、こういうことでいろいろと評価もされてきているのかなと思っています。
 そういうふうなことをやりながら、地域の若い方だとかも巻き込んだ形で岩泉のこういう地域のことを、うちのグルメを全国に知ってもらいながら岩泉の地域の交流とか、そういうのができればいいかなと思って活動をしております。いろいろとイベントでしかこういうPRとか、そういうのをできないので、どんどん、どんどん発信していかないと岩泉町が忘れ去られるのが一番、無関心になってくるというのがあると思いますので、引き続きそういう機会があったらば何とか発信しながら、PRしながらやっていって、関心を持ってもらいたいなというふうな活動になっていければいいのかなと思っています。

保室長
 ありがとうございます。
 では、知事のほうからお願いします。

達増知事
 服部さんは山田で体験観光のコーディネーターということで、いただいたパンフレットを見ても、改めて山田町は体験観光の材料がいっぱいあっていいなと思いますね。「いか徳利」をつくったりとか、「山田まん」をつくったりとか、食べ物関係でいいのがいっぱいありますし、シーカヤック、山田湾というのは湖のような静かな水面で、あと船越半島というのもある写真家は知床より船越半島のほうが写真はいい、きれいだと。

服部 真理
 そうなのです、船でなかなか行くことができなくて残念なのですけれども。

達増知事
 ええ、いいのだと思います。
 復興支援員さんということで、非常に復興の力になっていただいていて、私からも御礼を申し上げたいと思います。そして、復興支援員の方々がさらに力を発揮できるように、また新しい支援員の方も来てもらえるようにというのは非常に大事なので、県としても復興支援員の皆さんが活躍できるようにいろいろお手伝いするようにしていきたいと思いますので、市町村と連携をとりながら頑張ってまいりましょう。

服部 真理
 よろしくお願いします。

達増知事
 小川さんはいわいずみ炭鉱ホルモン鍋発掘隊ということで、龍泉洞の再開記念のときにもその香りが一面に漂っていて、みんなその香りも楽しんで、もちろん食べたりもし、香りは全ての人が楽しんだと思いますね。
 台風10号災害というのは、岩泉にとって非常に大きな被害、災害だったのですけれども、日本全体にとっても人口1万人弱の市町村においてあれだけの広範な被害、中心部から隅々に至るまで被害があってというのは全国的にもっと注目されていいと私もずっと思っていて、そういう発信も心がけてはきたのですけれども、確かになかなかそういうのが広まらないところはあると思います。
 一方、岩泉町はもともと龍泉洞ファンとか、あと岩泉ヨーグルトファンとか、全国にファンの方々がいっぱいいて、そういう方々に注目いただいているなという感じはあって、そしてホルモン鍋も改めて岩泉のよさ、こういうのもあるよというのを新たに全国に発信できていて非常にいいのではないかなと思います。見てくれる人は見てくれて、また実際に岩泉に来たりとか、いろんな支援をしてくれたりとかということが全国的にあるので、そういったところにもホルモン鍋を通じて、またさらにアピールしていくことができると台風10号を乗り越えた岩泉というのは非常に全国有数のいい町になると思います。

保室長
 それでは、次に鈴木さんからお願いします。

鈴木 悠太
 よろしくお願いいたします。まず、法人としてというよりも、岩泉町民として伝えたい思いと、今置かれている現状というのを知ってもらいたいという思いがございます。一言も漏らさずに伝えたいなと思っておりますので、大変失礼ながらですけれども、きっちり4分で仕上げてきた原稿に少し目を通させていただきながら説明していきたいと思っております。
 まず、私たちクチェカが台風以前に向き合ってきた被災地区の課題というのが被災地区である小本地区と、災害公営住宅のある岩泉地区のコミュニティ形成についての支援ということです。人の輪づくりカフェというのを実施しておりまして、2つの地区で毎日人の輪づくりの事業を実施してまいりました。災害等によって、環境の変化が起こってきます。そんな方々に対して交流と生きがいづくり、やりがいづくりの場所を提供して、新しいコミュニティ形成を進めています。カフェ内では、おしゃべりだけではなく、「さをり織り」という機織り機を使っての創作活動、こちらのようなものなのですけれども、これ80歳になるおばあちゃんがつくってくれました。こちらがさをり織りの部分になっています。あとはいろいろと趣味のレベルではありますが、織物をつくっていただいたり、あとはうちの理事長の趣味ですけれども、蝶ネクタイなんかつくっております。
 なぜこういうことをやるかというと、やはりおしゃべりだけでは物足りないという部分もあります。やりがいと生きがいをつくって、自分の生きる糧としたい、活力としたいという方が非常に多いというふうに感じております。また、栄養士を2名雇用しております。料理教室等も開催しながら、昨今仮設住宅等や災害公営住宅で起こっている孤食というのがございます。一人で御飯を食べてしまうという現状があります。この中で、一人で御飯を食べるということはどうしても粗末な食事になってしまったり、これでいいかと済ましてしまうのがほとんどになっておりますので、食事の支援にも当たりたいということで栄養士を2名雇用しております。利用者数は岩泉、小本地区ともに多くの方の集いの場所となっていると思います。また、福祉法人として障がいを持つ方々もともに時間を過ごしていただいています。やはりボーダーレスな社会を目指すという基盤づくりは、復興の先にある地域でも大きな力になると私は信じているからです。
 そんなときに起こったのが台風10号豪雨災害です。岩泉町は全域に及ぶ被害となりました。先ほど知事もおっしゃいましたが、やはり全域に被害が出てしまったということで、また環境の変化が生まれてきます。今回は小本地区だけではなく、全地区で新しいコミュニティを形成する必要がある。広い面積の岩泉町で必要となってきました。その中でハード面の復興というのは目に見える形で進んでおります。皆さんそれは目に見えるので、非常に安心している部分ではあると思いますが、ソフト面の心のケアというのは目に見えない。私はこの部分の課題が3つあるのかなと思っております。まずは、仮設住宅へ入居しておらず、家が被災している在宅被災者の方というのも多くおりますので、その在宅の方々をいかに外へ連れ出すかというのが引きこもりを防ぐきっかけづくりには必要かなと思っております。また、集いの場所である集会所や公民館等が流されてしまったという地区も多くあります。ここは、新たに集いの場所をつくる必要があります。あと1つは、遠方の地区への支援も大事かなと思っております。広さが東京23区の1.6倍ということで、本当に広い岩泉町ですので、やはり支援の手が届かないという地区も多くあります。
 この中で、私たちが行ってきたコミュニティづくりの活動というのを町の中で拡大していくにはどんな方法がいいのだろうかと思っていたときに、私はカフェカーの運行というのを考えました。移動型の集いの場所を走らせることによって、この全域を機動力でカバーできるのではないかというのを実際にプレゼンさせていただく機会がありました。ただ、なかなか自分の力ではカフェカーを用意することもできなかったのですが、本当に偶然にもこのタイミングでアドラ・ジャパンさんというNPO法人さんからカフェカー運行の話をいただくことができました。被災地において、カフェカーの運行を支援しているNPO法人さんです。実際に見ていただくとわかりやすいかと思うのですが、こちらがカフェカーです。マイクロバスタイプになります。このように本当に集う場所がないところでは、本当に普通の個人のお宅のお庭を借りたりとかして活動しております。これが皆さんの利用風景です。コーヒーやお菓子を飲んでいただきながら、皆さんで楽しんでいただいています。

達増知事
 それは車の中の写真なのですね。

鈴木悠太
 そうです。

達増知事
 ゆったりしていますね。

鈴木 悠太
 大体15人ぐらい収容できます。
 それとあと1つ大きな部分として挙げられるのが、多くの物資を被災地にはいただきましたが、なかなかさばけないという現状がありました。カフェカーは物資も満載できますので、多くの地区に支援の手を、全国からの支援の手を届けることができています。実際に岩泉町に届いた物資のほとんどを配布しきることができるような状態にまでなってきています。あとは天気のいい日なんかは仮設住宅の周り等で皆さんでキャンプというか、集いの場というのを提供しながら、楽しみながらやっています。
 例えるなら動く喫茶店ですので、居住性能と機動力が大きなメリットで、現在は岩泉町役場と岩泉社協、それとアドラ・ジャパンさんと3者との協力で運営体制をとっております。この垣根を越えた連携というのも復興への今後の大きな力になるのではないかなと私は思っています。
 皆さんの声として、「こんな場所を待っていた。」、「きっかけがないと家にいるばかりになってしまう。」、あとは「地域にまで出向いてくれたのがうれしい。」ですとか、「久しぶりにみんなに会えた。」というのが多く聞かれます。逆に、抱えた思いをはき出して、涙する方というのも決して少なくはないです。集まる建物があっても、やはり雰囲気的にきっかけをつくれないので、自分たちでは集まらないのだという声もありました。
 私たちがカフェカーの運行で目指すものは被災地区の住民たちにまず前を向いてもらうこと、その活力を生むことだと思っています。それは始まりの種をまくことであると思っています。主役はあくまで集った地域住民さんたちだという思いがありますので、その方々のアクションを組み込んで地域を元気にしていきたいというように思います。カフェカーやイベントなどの自主運営していくのをサポートしていきたいという思いもあります。自分たちが主役であるという意識というのは、きっと復興の先を見据えた地域振興という芽を大きく長く成長させてくれるのではないかなというふうに思っております。カフェカーをきっかけに未来へ向けて動き出していく地域と一緒に始まりの種に水をやって育てていきたいというように思っております。
 まずは、小川さんも言われましたけれども、岩泉町を訪れていただきたいなというように思っております。観光をしながら、中央部だけではなく各地区たくさん自然もきれいなところもいっぱいありますので、現状を見ながら岩泉町を楽しんでいただくことも支援かなと思っておりますので、今後も風化というのが一番怖いので、岩泉町に目を向けていただければうれしいと思っております。
 長くなりましたが、よろしくお願いいたします。

保室長
 ありがとうございました。
 お待たせしました、工藤さん。

工藤 沙織
 私は、漁師の仕事が大好きなので、地域振興というよりは漁師の話に偏ってしまうのですけれども、東日本大震災の後、いろんな理由で田野畑を離れなければならなくなったために漁師をやめた方が何人もいました。また、高齢のために漁船や漁の道具を一から購入することが難しくてやめざるを得ない方もいらっしゃいました。田野畑村は、もともとコンビニすらないような小さな村のため、少子化に加えて就職のために村外へ転出する若い世代が多くて、人口の減少がどんどん進む中であの震災が起きて、過疎化に拍車がかかったように思います。
 今現在田野畑村の漁師は60才以上の方が多く、10年後、20年後はどうなってしまうのだろうという不安を抱いています。ウニ漁やアワビ漁などの漁獲方法はシーズンごとに決められた回数を決められた時間の中で一人一人が漁を行うために、漁師の減少が漁獲量の減少に直結してしまうからです。この村に限らず、人口の少ない村や町にとっては大きな課題だと思います。漁師を始めるには、組合員になるための資金に加えて免許の取得や漁船の購入、高額な漁の道具などの初期費用がかかるため、簡単に始めることはできません。また、自然相手のため天気や波の状態、資源の状態にも大きく左右されるために安定した収入が見込めないことも漁師が減少した大きな理由だと思います。私も漁師を始めてから、その年や月ごとの価格の違いにとても驚きました。実際、専業漁師さんは減少していて、私のようにほかにも仕事を持っている兼業漁師がとても多くなってきています。そのほかにも資源の確保など問題はたくさんあると思います。
 私が漁師を始めたのは、やってみたかったからというのが一番ですけれども、もしかしたらやっている私を見て、自分もやってみようかなと思う女性があらわれるのではないか、ほんの少しでもやってみようかなというきっかけになれればいいなという思いもありました。どんどん漁師が減っていく中、これから先を考えると男性しかできない仕事だと決めつけてしまうのはとてももったいないと思うのです。今は一人前の漁師になることが目標ですけれども、人並みになることができたら若い世代がもう少し足を踏み入れやすい環境をほかの漁師の方々と相談しながらつくっていけたらと思っています。
 一個人の力でどうにかなるとは思っていませんが、私自身も体が動くうちはずっと漁師を続けていきたいので、そのためにも何ができるか考えて、微力ながらお手伝いしていきたいと思っています。ありがとうございます。

保室長
 ありがとうございました。
 では、知事からお願いします。

達増知事
 鈴木さんのこのカフェカーは、非常にグッドアイデアだと思います。東日本大震災では、余りそういう例は、余りというか、全然見たことも聞いたこともなかったのですけれども、今回の災害、そして岩泉の地理、地形にぴったりなのだと思いますね。奥のほうにまでずんずん行って、そこに集いの場をつくって集まれるようにするということで、ぜひその調子で活躍していただきたいなと思います。
 これもクチェカさんが東日本大震災の前からコミュニティ支援とか、あるいはさまざま障害とか、課題とかに直面した人たちへの支援というのを積み重ねてきた、その土台の上に花開いた事業だなと思うので、そういったのを大事にしていかなければならないなと改めて思いました。
 そして、工藤さんはテレビのニュースで拝見したことがあったのですけれども、今日は直接お会いできて大変うれしく思います。女性漁師ということで、もうウニとアワビとサケ、定置ですか、もう実際漁に出られていて、大変すばらしいと思います。
 おっしゃったように、女性が漁師になるという、そういう道を開いていただいているなと思いますし、女性に限らず新しい担い手の人たちがどんどん漁業に参入していく、そういう目標といいますか、刺激になるのではないかなと大いに期待します。
 県は今年度、林業アカデミーということで、林業について、農業大学校というのがもともとあって農業の技術とか、あと経営とか、そういうのを若い人たちに学んでもらう場というのが、まず農業についてはあって、今年度から林業も始めたわけですけれども、やはり今漁業が非常に大事だと思いますね。東日本大震災からの復興の中で、ハードはいろいろ漁港なども震災前よりも使い勝手がよくなったり、また安全性については震災前よりも高くなっていますし、本当は震災前よりも漁業に参入していくのにはいい条件になってきているところでも、従事者はどんどん減っていっているというのが実態ですから、これはやっぱりもったいないので、若い人たちに学んでもらいながら、漁業にどんどん就業できるようにというのを次につくっていきたいなと思いますね。その際には、あるいはそれと並行しても後進への指導とかよろしくお願いしますね。

保室長
 ありがとうございました。
 さて、ここまでテーマに沿ったお話ということで一通り皆さんからお話をいただいたところでございます。
 ハードはできても、ソフトを充実させて、本当の地域、豊かな地域をつくるために人が少なくなってもらっては困る。それから、それを自分たちは地元でいいことをいろいろたくさん発見しているので、それをどんどん情報発信していきたい、そのようなお話が結構多かったように受け止めましたけれども、一通り皆様それぞれの話を伺って、何かそれぞれのお話の中で、さらに自分が感じたことが何かあればこの際、一言何かをつけ加えてお話があったらいただきたいと思いますけれども、いかがでしょうか、ご自由に、これからはもう自由で。
 はい、どうぞ。

早川 輝
 ちょっと言い漏れていたことというか、いいですか。

保室長
 ええ。

早川 輝
 3点ほどあって、1つはこれからの地域振興は人だというように先ほどから言っていますけれども、これまで活動してきて、人の質より量だなと思って、まず人数、絶対数が必要だなと思っています。というのも、こういった活動であったり、イベントの実行委員会であったり、どこに行っても大体同じ顔なのです。やっぱりそういう同じ人がいろんな役を担っていると疲れてきてしまうので、まずそういう活動にかかわる、参画する人がもっと増えればいいなという意味で数が必要だと思っています。
 そういった意味では、うちの活動もそうですけれども、まず高校生の活動でいえば高校教育のほうにそういった地域に出るようなものが取り入れられたら全体の底上げというか、絶対数の増加につながるかなと思っているので、その辺ちょっとこれから学習指導要領が変わってアクティブラーニングというのも重要になってくるという時代でもありますし、何か考えていただければと思っています。
 あと先ほど地元修学旅行をお褒めいただいて、ありがとうございます。実は地域振興センター、こちらの振興局から少し支援もいただいて開催することができました。
 あとUターンとか、地元定着とかのためにそれはやっているのですけれども、今年度新しく宮古地域内全体での新人、新入社員研修と、あとコミュニティ化というのをやろうと思っております。それというのは、うちのOBでも高卒で就職した会社を1年足らずでやめてしまった子がいまして、やっぱり同期がいないのです。部署に配属されたら、一番年が近い人が50代とか、40代後半とか、やっぱりそういう環境に行くとストレスのはけ口もなくて、学校という先輩、後輩とか、仲間がいた環境からそういう孤独感を感じてしまうということです。

達増知事
 同期というのは大事ですものね、やっぱり。

早川輝
 そうですね。宮古の中小企業で同期複数人新卒を採用できる会社というのはあまり多くないと思うのです。そういったところで合同の研修、研修といっても固いものではなくて、みんなで仲よくなれるような、プラス交流会をやって同期の桜を地域内でつくって刺激し合えるような関係性をつくれるような企画をやろうと思っています。なので、そういったところでも振興局さんと一緒にやらせてもらえればと思っていますので、その辺の御指導とかもいただければと思っています。
 最後に、「あまちゃん」がすごく好きで、いつも知事が能年玲奈さんにお会いしている写真を見るとすごくうらやましいなと。

達増知事
 ええ、役得。

早川輝
 いつか僕もお会いしたいなという野望を持っていますので、次にお会いすることがあれば宮古に来ていただければ。

達増知事
 そういう思いがあれば、それはきっと通じると思うので。

早川 輝
 宮古に来ていただくようにお伝えいただければと思っています。

保室長
 ありがとうございました。

達増知事
 高校のほうの話は、高校生たちも、あるいは学校も高校生たちに地域への貢献とか、あと地域のことを学ぶ機会とかというのは、やっぱりいろいろやりたがっているところがあるから、うまくコーディネートできればいいのではないかと思いますね。
 そうですね、「あまちゃん」で思い出したのですけれども、三陸鉄道がもうすぐ山田を通るようになりますから、三鉄の活用のほうもよろしくお願いします。

服部 真理
 そうです、三鉄さんと協力して今ちょっといろいろやっています。

保室長
 ほかにいかがでしょうか、「あまちゃん」ネタも出たことですので。
 さあ、どうぞといってもシーンとなる感じですので、私のほうから一つ、皆さん先ほどの御発言の中でも、危機感みたいなものが気持ちの中にあると思いますね、このままでは将来10年、20年ちょっとやばいのではないかと、特に漁師の問題、地域のコミュニティの問題あり、それからUターンやIターンがなかなかできないのではないかみたいなお話もございました。逆に、そういった観点からいたしますと例えば10年先にこの宮古なり、皆様方の周りのこの地域が元気でみんな幸せそうに暮らしているみたいな、そういうイメージを抱いて私たちが活動していくとした場合に、こういうところにもう少し力を入れなければならないよねというような、将来の10年先のいい姿のためにこういうところをもっと頑張りましょうというのは、ここがポイントではないかみたいなところについて、もし何か感じるところをこれだというのでなくても、ばふっとしたものでも結構ですから、何かお話あったらどうぞ、ぜひいただきたいなと思いますけれども。
 どうぞ。

鈴木 悠太
 東日本大震災というよりか、台風10号のほうのお話になってしまうかもしれないのですけれども、実際現場で聞くお声としては、特に奥深い地域の方々ですともう川べりが全て被災してしまって、本当に家がないという状態の方もたくさんいらっしゃるので、10年後というのはもう描けないというのが現状かなというふうに、現にそういうお話をされる方もいらっしゃいますので、ただ残った人だけでもこの地域を守りたいという思いもあるというふうに思っています。なので、いかにその方々に対する支援をするかという部分になるかと思うのですけれども、やはり復興というのは周りが応援するのももちろん大切ですし、すごく必要だとは思うのですが、やはり私がこの中で言ったことと同じになってしまうかもしれないですけれども、地域主体でなければ本当の意味では立ち上がれないというふうに思っております。そこにいかに手厚く支えてあげるか、寄り添ってあげるかが大事かなと思っています。人を増やしていくというのも大事かもしれないですけれども、その地区に残った方々を変わらずに支援していく、やりがい、生きがいを生んで、雇用を生んで、支えてあげるというのが大事になるかなと、その意味でそれを続けていくことで10年先の未来が描けるかなというふうに私は現場の声を聞いて、そのように今は思います。

保室長
 ありがとうございます。
 はい、どうぞ。

近江 絵理
 沿岸の観光は、やっぱりこれからは三陸ジオパーク推しなのですか。

達増知事
 使えるものは何でも使っていこうということで、三鉄もすごい推しだし、ジオパーク以外も推しなのですけれども、最近も義経北行伝説を改めて宣伝すべきだという意見がどこかでありましたよね。ただジオパークはジオパークで欧米中心に外国人の人たちがああいうの好きだというのがまずありますし、あと改めて古くから国立公園に指定され、風光明媚な三陸沿岸というところの魅力のプラスアルファとしてその地形の意味とかまでわかっていい景色を楽しむと、さらにいいという方向性でジオパークというのは結構いいのではないかな、使えるのではないかなというふうに思っています。

近江 絵理
 これからはジオパーク推しでも結構やっていけるのではないかなと思います。皆さんジオパーク、すごいのがあるのを知っていますか、それぞれの地域にね、すごいですよね、田野畑とかもいいのがありますよね。ないですか、何だっけ、津波石じゃなくて、津波が運んできた大きい石があったりとか、そういうのが、結果地元の人が知らなかったりして、そこをもっと強くすれば何か楽しくなるのではないですか。

達増知事
 今日この後、実は沿岸の市町村長さんたち、宮古市長さんもですが、集まってジオパークの会議を浄土ヶ浜パークホテルで開くことになっていて、そっちも力入れてやっていきますよ。

近江 絵理
 地元民がジオをちゃんと理解できるような何かをしないと、お勧めができなくて、地元民がジオパークって何と聞かれても聞き返すような感じなので、そこも力を入れて欲しいです。

達増知事
 はい、そうしましょう。

近江 絵理
 頑張ります、私も。

保室長
 そうですね、ぜひすてきな絵をかいていただくとよろしいですね。

近江 絵理
 そうですね、今後何か携わっていきたいと思います。ありがとうございます。

保室長
 どうですか、ほかの皆さんはいかがでしょうか。
 何か女性が漁業に入っていく上で、もう少しここは変えなくてはいけないなみたいなことがありましたら。

工藤 沙織
 そうですね、変えなくちゃといいますか……。

保室長
 こうなったらいいなみたいな。

工藤 沙織
 漁の道具をつくるときに、ウニ漁でも、アワビ漁でもタケと呼ばれるプラスチックでできているものを継ぎ足して使うのですけれども、その先に例えばウニだとタモという網をつけたり、アワビだと一本のかぎ状になっているものを先にくくりつけるのですが、しなり方だったりとか、結び方、固定の仕方とかもいろいろあって、そういったことを教わりたいなとは思うのですけれども、やってもらっても手つきも速いし、「こうだ、こうだ」しか言わないので、全然覚えられなくて、いまだに私はそれができないでいるのです。なので、そういう道具のつくり方を若手に指導してくれるような、そういう取り組みは欲しいなとは思いました。

保室長
 そうですね、ありがとうございます。
 あとはどうですか、山田の観光、将来いかがですか、こういうのをもう少し頑張ってほしいなみたいな。

服部 真理
 市町村単位では山田もそうですし、ほかも今すごく頑張っているのです。やっぱり沿岸というのは遠いので、内陸の安比や八幡平とか、ああいうところはたくさん来ていて、旅行会社さんもそこには人を入れやすいと言われるのですけれども、沿岸になると日程的にもう無理と言うのです。震災学習もさせたいのですが、そこまで日程がとれないというところがあって、そうして旅行会社さんがよく話すのは「補助が欲しいです」と。ほかの地域では1人当たり幾らの補助とかがあるらしく、それは、市町村単位でやるのは結構難しい話です。岩手県全体でお客さんが来る誘致活動、PR活動というのを達増知事がぜひいろんなところに出てPRしていただくと、また個々の地域も、知事がこんなにPRしてくれるから、中で頑張ろうというように思うのではないかなと思います。
 あともう一点なのですが、今日すごくうれしかったのが女性の漁師さんがいらっしゃることで、ほかの産業もそうですけれども、観光というのは1次産業がちゃんとしてないと成り立たないのです、特に体験観光は。という意味で、山田でも漁師のなり手不足というのは深刻で、その中でこんなに若くてきれいな漁師さんが田野畑にはいてというのはすごくうらやましくて、ぜひ山田に来て漁師さん交流とか、そういうのをしながら、1次産業でも連携して三陸一丸となって山田の特産品も、観光も、いろんなことをアピールできるようになるといいなと工藤さんの話を聞いていて思いました。

保室長
 せっかく今日つながりができたのであれば、生かしていただくというのも非常に意義あることかと思いますし、観光という意味では確かに市町村の範囲だけではなくて必要だと思いますし、小川さんは市町村の圏域を越えていろいろ活動されてみて何か。

小川仁志
 そうですね、復興とつながってくるかどうかわからないですけれども、私はちょっと夢がありまして、5年ぐらい前から小川炭鉱ホルモンまつりという、地元のホルモンを中心にしたお祭りがあったのです。それ去年は台風でできなくなって、ボランティアの方の振る舞いだとか、住民の方の交流というふうな企画をしました。
 それと岩泉町でもう一つ誇れるというのはマツタケというのが全国でも特産なので、マツタケとホルモンをくっつけたホルモンマツタケまつりというのを、これをちょっと全国的なお祭りにというか、そういうふうなことでできればなということで、そういうことによってみんな、町に誇れる祭りがあるのだと、そういうのがあれば楽しいのかなというのが大きな夢ですけれども、そういうふうに思っています。

保室長
 できそうです、できそう、できそう。ありがとうございます。
 それでは、あとこれを今日はちょっと言っておきたいみたいなお話がありましたら。よろしいでしょうかね。

知事所感

保室長
 それでは、最後に知事からまとめの話をいただければと思います。

達増知事
 今日は今実際やっていること、そしてこれからやりたいというようなこと、非常にアイデアがたくさんあるのを伺うことができて参考になりました。皆さんにはぜひこの調子で進んでいっていただきたいと思いますし、県のほうでも皆さんの成功事例を参考にし、それをオール沿岸あるいはオール岩手で広げたり、あるいは参考にしながら新しいものをつくっていきたいなと思いますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。

閉会

保室長
 今日は、お話の中で幾つか、例えば復興支援の問題ですとか、それからさまざまな支援の問題、それからコミュニティづくりの関係、さまざま県のかかわっている仕事についてもいろいろつながりのあるものもございましたし、皆様今日お話しいただいたことについては、これから県のほうに持ち帰りまして、それぞれ担当の部なり課がございますので、そういうところにしっかり伝えながら、県のほうでこのお話を生かしていくように努力をしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
 それでは、長い時間にわたりまして、御懇談いただきまして、どうも大変ありがとうございました。

 これで本日の「がんばろう!岩手」意見交換会を終了させていただきます。皆さん、どうもありがとうございました。

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