平成26年度認定

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ページ番号1007825  更新日 令和6年1月18日

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櫻田シゲ子さんの「手打ちそば」 (認定番号238、雫石町)

写真:手打ちそば

 雫石町では、農家が主食として白米を食べることができるようになったのは、昭和10年以降。それまではどこの家でも1日1~2食はそばが常食であった。
 そば料理は、日常は「そばかゆもち」、「そばかっけ」などが主な食事で、「そば切り」は手がかかることから来客のときや行事のときなどに振舞うおもてなし料理であった。

八幡勢子さんの「かきあえ(かぁげぇ)」 (認定番号239、八幡平市)

写真:かきあえ(かぁげぇ)

 「かきあえ(かぁげぇ)」は、古くから八幡平市田山地区等(旧安代町)で食べられてきた料理で、正月や小正月に作られてきた。名前の由来は、甘味として貴重だった干し柿も使用していたことによる。地元では、同じく小正月料理のけんちん汁と一緒にいただく。

千田育子さんの「せりのさんぶつ」 (認定番号240、北上市)

写真:せりのさんぶつ

 北上市江釣子地域には、すず(清水)と呼ばれる湧き水が70箇所以上あり、水量が豊富なため昔からせり栽培が行われてきた。
 この地域では、正月のお膳にはせりをふんだんに使った酢の物である「せりのさんぶつ」が必ず並べられ、新年を祝ってきた。また、冬の仏事にも頻繁に出される料理であった。

小野寺郁子さんの「きゅうりのからし漬け」 (認定番号241、平泉町)

写真:きゅうりのからし漬け

  からしは、過湿に強いことから、洪水の常襲地域である平泉町長島地区で戦後に栽培が広がった品目である。収穫したからしは乾燥して保存し、注文があった都度、製粉して販売することができたことから、定期的な収入源として重宝された。 夏場大量に収穫されるきゅうりを塩蔵し、このからしで調味した「きゅうりのからし漬け」は、ほど良い辛味が食欲をそそり、毎日の食卓に欠かせない漬物のひとつとして昔から食べられてきた。

佐々木梅子さんの「てん」 (認定番号242、釜石市)

写真:てん

 釜石沿岸部では毎年夏には地域の海でてんぐさを採り、天日で乾燥させたものを保存し、お盆になるとどこの家庭でもご馳走として大きな鍋にてんぐさを煮詰めて作り、食べていた。
 食べる際はてん突きでついて食べるが、仏壇には「鏡てん」として四角に切ったものをお供えするのが慣わしとなっている。四角い「鏡てん」は三陸沿岸部の特徴。

神楽栄子さんの「麦ぞうすい」 (認定番号243、宮古市)

写真:麦ぞうすい

 旧川井村は、北上山系の山間地域であり、古くから、稗→大麦→大豆の二年三毛作が行われていた。稲作が本格的に行われたのは昭和20年以降である。それまで、米は大変貴重なものだったことから、大麦が主食を補うものとして日常的に食べられていた。
 麦ぞうすいは、主として冬に食べられた郷土料理で、大麦だけでなく、根菜類を一緒に火にかけて、醤油(昔はすましを使用)や味噌で味をつけて炊いたものである。

盛合敏子さんの「うにのやまぶき煮」 (認定番号244、宮古市)

写真:うにのやまぶき煮

   うにのやまぶき煮は、うにとあわびを使った料理で、重茂ではうにが採れる夏に、浜で働く人たちの栄養源として、また手軽に食べられる賄い食として食べられていた。この頃咲くやまぶきの花と色が似ているので、この料理名が付けられた。

赤坂洋子さんの「イカの切り込み」 (認定番号245、普代村)

写真:イカの切り込み

  普代村沖で漁獲されるイカは村の主要産業の漁業を支えている自慢の海産物であり、古くから郷土に伝わる「イカの切り込み」は漁業が盛んな町村ではほとんどの家庭で作られてきた家庭保存食であった。

槻舘良子さんの「ひっつみ」 (認定番号246、二戸市)

写真:ひっつみ

 「ひっつみ」は、特別なご馳走ではないが、みんなで食べて体も心も温まる汁物。県北地方で昔は、主食として夕食に食べることが多かったが、今は多くの人が集まったとき、農作業手伝いを頼んだとき、ご飯が少し足りないときなどに良く作られる。

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農林水産部 農業普及技術課 農業革新支援担当
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