令和4年度認定

ページ番号1062589  更新日 令和5年3月3日

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佐久間敏子さんの「白ぶかし」(認定番号291、盛岡市)

白ぶかし写真

「白ぶかし」は盛岡近隣で仏事のときに作るおふかしで、お通夜、お逮夜(たいや)に集まった方々へのお夜食として振る舞うほか、折箱に詰めて煮しめを添え参列者に持たせる風習があります。仏事用に白く仕上げるため、白いんげん豆を使います。もち米に色や味を付けないことから、味が薄いので、大根や生姜などの味噌漬けを添えることが多く、ゴマ塩を振ることもあります。

佐藤ひとみさんの「姫竹と身欠きにしんの味噌煮」(認定番号292、八幡平市)

姫竹と身欠きにしんの味噌煮写真

根曲竹(チシマザサ)の新芽である姫竹は、安代地域の最も代表的な山菜で、5~6月になると家族や友人と採りに行ったものでした。太く揃った姫竹を使ったこの料理は、大皿に盛って沢山食べる初夏の食卓を彩るごちそうでした。しょうゆで味付けする地域もありますが、安代地域では味噌味とするのが昔ながらの料理法です。「姫竹の煮物」には欠かせない身欠きにしんは、沿岸部から遠く離れた安代地区においては、保存性に優れた貴重な海産物として様々に活用され、八戸からの行商が安代地区で売れすぎて他で売る分が無くなったといわれています。

高橋千鶴子さんの「くるみ豆腐」(認定番号293、奥州市)

くるみ豆腐写真

奥州市江刺藤里地区では、お盆や法事の精進料理の刺身代わりとして必ず作られてきました。今から100年以上前、京都の寺へ精進料理を学びに行った僧侶が、ごま豆腐の作り方を覚え、江刺に自生する豊富なくるみを使ってアレンジしたのが始まりと言われています。くるみは「来身」とも書かれ、元気を取り戻す効果があると伝えられており、普段はせわしなく暮らしていても、人寄せの時くらいは少し珍しいもの、手のこんだものをこしらえて、もてなしの気持ちを表そうとの思いから、「くるみ豆腐」が地域に広まったと考えられています。甘めの味噌に生姜汁を加えたたれをかけたり、そのままお茶うけとしても食べられています。

加藤鉄平さんの「麦芽水あめ」(認定番号294、一関市)

麦芽水あめ写真

戦前から戦後にかけて砂糖が貴重品であった時代、千厩地域では、菓子代わりに麦芽水あめで客をもてなしたり、子供のおやつとして食べられていました。地域では、結婚式や法事の際に、餅を振舞ってもてなす風習があります。当時は、小豆やクルミ、ごま、しょうが、きな粉、納豆等の餡に、砂糖の代わりに麦芽水あめを入れて味を調え、これを餅にからめて食べられていました。さらに、料理の際には、甘味料として用いられていました。

古澤弥代子さんの「わかめ大福」(認定番号295、大船渡市)

わかめ大福写真

大船渡市は三陸わかめの産地で、中でも末崎町は養殖わかめ発祥の地とされ、わかめ生産が盛んで、昔からわかめを活用した様々な料理が食べられてきました。わかめ養殖では、成長を促すため、密集しているわかめを取り除く「間引き作業」を行います。昔は、この間引きわかめは、捨てられていましたが、柔らかく味も良いことから、地元では天日で寒ざらしにして乾燥保存し、料理に活用されていました。「わかめ大福」は、よもぎの代わりに乾燥わかめの粉を使って大福にしたもので、浜仕事や畑仕事の合間におやつとして食べられてきました。乾燥わかめは、すり鉢で粗めにすり、生地に重曹を入れることで、きれいな緑色となります。

長瀬晶子さんの「串もち」(認定番号296、軽米町)

串もち写真

竹串や割りばしなどに小麦粉のもちを刺し、味噌だれをつけて、炭火で両面に焦げめがつくまで焼いたもので、地域では代表的な小昼(間食)でした。炭火にかざして焼く風景は、今ではほどんど見られなくなりましたが、軽米町では、毎月2のつく日に市が立ち、串もちは必ず出店されるほど身近な郷土料理です。形はさまざまですが、直径10cm程度の扁平で丸いものが多く、生地のねり方でも味が変わるので、食感やタレの味など各家庭で工夫して食べられています。 

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農林水産部 農業普及技術課 農業革新支援担当
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