令和3年度部課長研修 知事講話

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ページ番号1049862  更新日 令和4年2月9日

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とき:令和4年1月17日(月曜日)
ところ:サンセール盛岡 1階 大ホール
演題:「『県』の来し方行く末」

「『県』の来し方行く末」

0 岩手県の高さ、人口

(1) 高さ 県庁の標高

 今年、岩手県という名称ができて、150周年。そして、4年後には、県域が今の県域に定まって150年。この5年間を「県政150周年記念期間」として、岩手の歴史を振り返りながら、県の果たすべき役割を新たにしつつ、未来に向かって進んでいこうということになります。

 今日は予告編として、「『県』の来し方行く末」という題で話をしたいと思います。県についてはこういう話題もあるという導入から入ります。中学校2年生に向けて講演をした時に喜ばれた話です。

 まず、岩手県の高さ。岩手県は高いです。何が高いかというと、標高が高いということです。県庁の標高は、一位、長野県、371.5メートル、二位、山梨県270.4メートル、三位が山形県198.6メートルで、四位が岩手県128.3メートルです。47の都道府県庁の中間値が約11メートルです。ですから、半分の都道府県は11メートル以下の高さでありますので、岩手県、いかに高いところで普段我々が仕事をしているかということが分かると思います。そういう高い岩手県ですので、隣県から海に注ぐ大河の源流が三つ岩手県にあります。宮城県から海に注ぐ北上川、青森県から海に注ぐ馬淵川、もう一つ、秋田県から海に注ぐ米代川。八幡平市の旧安代町、小林陵侑君がジャンプを練習し、それからクロスカントリーのスキー場もある田山の辺りが米代川の源流になっています。近隣県から海に注ぐ大河の源流が岩手にあるということで、岩手県は高いです。

 

(2) 人口 約120万人

 それから人口の話です。今、約120万人になっている岩手県の人口、これは、日本の人口、約1億2,500万人の0.96%、約1%です。人口で、岩手は日本の100分の1として計算すると、便利です。では、世界人口、人類全体の中でどのくらいの割合になるかを計算してみますと、世界人口、78億7,500万人という統計がありまして、それで計算すると、0.015%、6666分の1ということで約7,000分の1です。中学校2年生に、この計算をする前に、地球に巨大な隕石が落ちてきて人類が滅亡するという時、地球を脱出するロケットに、人類1万人だけ乗せられると言う場合に、その中に岩手県民は入ると思いますかと聞いたら、大体無理だろうという感じでした。しかし、実は1人は入るという計算になります。7,000人に1人ですから。7万人入るスタジアムに人類全体から満遍なく人を招待しますと、岩手県から10人、そこに入ります。そう考えると、結構、存在感あると感じるのではないでしょうか。これはやはり、120万人という人数は結構多いということです。国でも岩手県より少ない人口の国が結構ありますから、岩手の今の人口120万というのは結構多いわけです。

 

(3) 人口密度

 そして、人口密度の話。1平方キロメートル当たりの人口で、日本は335人、これが東京都だと6,402人にもなり、岩手県は79人です。日本の中では北海道に次ぐ人口密度の低さで、東京と比べますと、ちょっと低すぎるのではないかと感じるかもしれないのですが、フランス、スペイン、ギリシャなどと比べますと、フランス121、スペイン94、ギリシャ86ということで、大体そういった国々の人口密度と岩手県の人口密度が同じくらいであります。むしろ岩手県の人口密度が世界標準として住みやすい、ちょうどいい人口密度であり、東京がちょっと多過ぎるのではないかと思います。都道府県の県庁所在地の人口密度、東京都の都庁所在地は新宿区ですが、新宿区の人口密度は1万9,176人でありまして、これはかなり密度が高いのではないかと思います。ちなみに、盛岡市は327人、都道府県庁所在地として45位の人口密度で、県庁所在地の割には盛岡市というのは低い人口密度で、暮らしやすいところなのだと感じられると思います。

1 新型コロナウイルス流行と県

(1) 公衆衛生、保健所…感染症対策は県が主力

 さて、県の来し方という歴史の話に入る前に、県の今現在を確認しておきたいと思います。

 これが「新型コロナウイルス流行と県」というテーマになります。県は、保健所を所管しており、公衆衛生、感染症対策というのは、やはり県が主力になります。災害対策は、市町村がまず対応という仕組みになっていますが、感染症対策に関しては、まずは県が対応するということで、新型コロナウイルスの流行により、県の存在感が高まっている。県の役割が重要だからです。

 

(2) 県への注目、知事への注目

 日々の新規感染者数も都道府県別に取りまとめられて、マスコミが紹介します。その関係で知事の発信、特に大阪や東京の知事さんの発信は、その都度、毎日全国放送に取り上げられるような格好であり、知事への注目も高まっています。

 

(3) 全国知事会の役割の増大

 全国知事会の役割も増大しています。全国知事会は、普段であれば年に2回しか全員集合する機会がないのですが、新型コロナウイルスの流行が始まってから、ほぼ毎月、多い時には月に複数回、全都道府県知事のウェブ会議を開くようになりました。そのたびに、国への緊急提言を決議して、発信しますので、非常に発信力が高まり、また国への影響力も高まっています。注目されているだけではなく、うまくデジタル化しながら、実質的に力が高まっていると言えるでしょう。

 

(4) 移動の制限→近場、地元回帰

 新型コロナウイルス対策をしようと思うと、人の移動が制限されてきます。国や地方自治体が制限をかける場合もありますし、一般の人々が自ら行動を抑制する、いわゆる、自粛する場合もあります。日本の中で考えれば、県境を越えて日本中あちこち飛び回るような行動様式から、あまりそういうことはせず、観光や買い物、様々な余暇の過ごし方なども近場で、地元でできるだけ済ますという、近場、地元回帰のトレンドがあります。その結果、改めて自分たちが住んでいる県というものへの関心が高まっています。

 

(5) 出会い、結婚、出産の抑制

 一方、新型コロナウイルスの流行は、人と人との出会いの機会を減らし、結婚や出産を抑制してしまうという影響があります。人口減少問題、自然減の方ですけれども、それを深刻化させます。まだ県が有効に対処できていない、県が頑張らなければならない課題です。

 

(6) デジタル化の加速

 デジタル化が加速しています。デジタル化は、地域振興や地方経済振興を促す、非常に効果的なテクノロジーでありますので、デジタル化が加速していくということは、県にとっても、有利な環境になっていきます。

 

(7) 東京一極集中の是正、地方への人の流れ

 東京一極集中の是正、地方への人の流れということが起きています。東京をはじめ、人口密度の高いところの感染リスクの高さが痛感され、一方、人口密度の低いところは、感染リスクが非常に低く、感染リスクの低いところは自然が豊かで、人間関係も良く、食べ物も美味しくて住みやすい、働きやすいところではないかということで、東京一極集中の是正、地方への人の流れというトレンドもできています。

 県にとって、今は非常に重要な局面であります。ですから、こういう時期だからこそ、150年の歴史の中で、改めて「『県』の来し方行く末」を考えるということが、非常に意義あることだと思います。

2 廃藩置県

(1) 藩から県へ→地方長官を通じた中央集権

 そこで県の歴史ですが、廃藩置県から始まります。1871年、廃藩置県が行われますが、最初は、3府302県から始まります。江戸時代の、300諸侯とも呼ばれた藩ですから、最初は、3府302県だったんですね。これでは多すぎますので、同じ年に3府72県まで統合され、そして、翌年1872年に3府69県まで減って、そこで「岩手県」という名称が出てきました。翌1873年に3府60県、1875年3府59県、そして、1876年に3府35県まで統合が進むのですけれども、ちょっと大きすぎるというような県が出てきて、揉めました。それで、1889年に3府42県、プラス北海道と沖縄で、47都道府県になりました。ちなみに、岩手が今の県域に確定するのは、1876年ですので、3府35県になった時、大きめの県を作ろうという時に「岩手県」が生まれています。それがそのまま続き、2026年で150周年ということになります。

 

(2) 領邦国家から地方行政区域へ

 それまで藩主・殿様が治めていたところを、県令・県知事という、中央から派遣される地方長官が治めるようになり、いわば領邦国家から、地方行政区域へという大きな変化が起きます。

 ちなみに、国家の3要素というのがあり、それは、領域と人と主権です。まず領域がないと、国にはなりません。そして、人がいなくても国にはなりませんので、領域があって人もいる。それだけでは駄目で、主権、機能する政府、統治能力と言ってもいいのですけれども、主体性がある政府がちゃんとあるということで、国家が成り立ちます。江戸時代の各藩は、そういう意味では国家であり、昔のドイツの領邦国家のようなものです。

 日本の県を英語でプリフェクチャーと言いますけれども、これは、非常に中央集権的な言葉です。フランスでナポレオン一世が、中央集権的な政府を確立する時に、地方に派遣した地方長官のことをプレフェと言い、そのプレフェが統治した領域をプリフェクチャーと呼んだそうなので、県の英語には、中央集権の地方行政区域だ、というようなニュアンスがあります。それで私は、英語はコモンウェルスという言葉を使った方がよいのじゃないかと言っているわけです。

 

(3) 大区小区制の挫折、市町村のたくましさ

 明治政府は、そうやって、県を中央集権化するのですが、さらに、基礎自治体にも、中央集権の下での機能的な地方行政、地方統治をしようとして、大区、小区と言うのを導入しようとしました。大体人口規模に応じた大区、小区という区を、既存の町や村にとって代えて、基礎自治体、自治の体じゃないですね、これはもう基礎地方行政単位、そういう区域にしようとするのですけれども、全然うまくいかなくて、止めてしまいます。既存の町村をベースにしながら、大きいところは市にして、賑やかなところは町、基本的に農業地帯は村にするという、市町村制が、特に町村制が生き残ります。江戸時代から、地域によっては、さらにその前、室町時代に、村の自治ができてきて、戦国時代の堺のような自治都市もあって、そういう昔からある伝統的な町村、市も含めて、基礎自治体となっていきます。

 県のトップは中央から派遣されますけれども、市町村のトップは基本的に地元から選ぶようになっていて、国イコール県の方で任命するようなやり方も当初あるのですけれども、地方議会に選んでもらうとか、地方が直接この市町村長を選べるような仕組みにどんどんなっていきます。市町村・基礎自治体の自治の度合いが高いところが、日本の特徴と言っていいかもしれません。

 イギリスにはパリッシュ、フランスにはコミューンという基礎自治体があるのですが、それぞれ中世まで遡るような古い伝統的な地域集落で、数百人とか、日本で言うと町内会程度の規模の基礎自治体もたくさんあります。そういう小さい基礎自治体ですから、あまり力もなくて、ごく身の回りの日常的なことしかできない。それに比べますと、日本はもともと江戸時代まで遡れるような自治の力があったし、明治の大合併で、小学校区を確保、小学校を持って運営できるくらいの力を市町村が持つんですね。明治維新、中央集権化されていく中でも、市町村にはかなりの自治の力が残ると言っていいと思います。

 

(4) 身分制度の解体(四民平等)→居住・移転、職業選択の自由

 この中央集権化の過程で、身分制度が解体されます。殿様がいなくなって、中央から派遣される地方長官、県令・知事の下で地方行政が行われるのと並行し、身分制度が解体されて、四民平等となり、そして、居住移転、職業選択が自由になります。

 地方行政は、人が動き回ることを前提にしなければならなくなったわけです。江戸時代までは、封建社会、身分制に基づいて、人がそう簡単に出たり入ったりしないような社会を前提にしていたわけでありますけれども、近代化するということは、人が居住移転、職業選択を自由にできるというのが基本的な大前提になります。それを前提として地方行政、自治の度合いが高まってくれば地方自治ということになるのですけれども、後に、人口減少問題に向かわなければならなくなってくるわけです。

 

(5) 初期・県の役割…徴税、徴兵、治安、産業基盤整備、選挙

 初期の県の役割は、まずは徴税、そして徴兵、そして治安。およそ取締的なことですね。プラス産業基盤の整備、これは道路を作ったり、鉄道を通したりというようなこと、インフラ整備や、蚕を飼って、絹糸を生産するというような、基本的な工業化も含まれます。

 選挙も明治時代から始まって、県で管理しています。取締型の行政が中心で、大正にスペイン風邪が流行って、感染症対策も、県が中心になって行っています。

3 明治、大正、昭和…開発と福祉

(1) 工業化と社会保障

 明治から大正、昭和と進んでいくにしたがって、日本は日清戦争、日露戦争、また、第一次世界大戦でも勝者の方になり、それに並行して工業化がどんどん進みます。工業化が進むと、それに合わせて社会保障も作っていかなければならなくなります。分かりやすい例は、原内閣、約100年前の原内閣の頃に、内務省に社会局ができます。そして農商務省に労働課ができます。職業紹介所法が成立します。地方の方でも、それに合わせて工業化と社会保障が県の役割になってきます。

 

(2) 鉄道問題…狭軌か広軌か

 トピックとして鉄道問題というのがあります。原敬首相を先頭に、政友会が狭軌、狭い軌道、その方が早くたくさん鉄道をつくれますので、それを全国隅々にまで伸ばそうと主張し、そして、もう一方も岩手に関係する人ですが、後藤新平さんが広軌、今の新幹線と同じ幅の鉄道、満州とか、朝鮮半島ではもう広軌でやっているし、日本国内も広軌で大量の物資をハイスピードで運べるようにした方がいいと主張し、論争になりました。

 後藤新平さんの主張は、植民地主義に繋がるところがありまして、満州開発、朝鮮半島開発、それと合わせるように日本も、広軌の幹線を作って、そこに、資源や物資を集中させて、そして、満州、朝鮮半島と合わせて開発発展を図ろうというやり方です。原敬政友会はあまり満州とか朝鮮半島のことは意識していなくて、国内津々浦々で産業を興していかないと駄目だろうという発想です。これは、実は植民地に頼らないで、日本国内の内需主導で経済成長をしていく路線で、国際協調主義、平和にも繋がるやり方です。興味深いのですが、この辺の詳しい話は、1月29日に「原敬を想う会」(注)で私が原敬についての講演をすることになっていますので、そこで詳しく述べようと思います。

 原敬政友会の頃に、徹底的な地域振興、地方からの経済成長で、日本を豊かにしていこうとめざしていたわけです。

 (注)「原敬を想う会」は延期となりました。

 

(3) 1940年体制…県単位の団体の編成

 ただ日本は、植民地主義から戦争へという流れで、第二次世界大戦に突入していくことになります。ここで1940年体制と呼ばれるものができてきまして、それは、県単位に団体が編成されていくということです。農業、漁業、林業、また様々な産業や、地方新聞も各県一つに統一されました。とにかく県単位で、あらゆる分野を統合し、戦争に総動員していくという体制です。当時は戦争目的だったのですが、戦後においても大きな災害が起きた時など危機管理が必要になったときに、この県単位の団体という体制がかなり大きな役割を果たすということを、我々は東日本大震災津波の時に経験しました。

4 戦後改革、戦後民主主義

(1) 断絶性と継続性

 県が、力をつけながら、戦後を迎え、民選知事の時代に入ります。知事が選挙で選ばれるようになったのは、戦後民主化ということで、戦前との断絶性です。しかし、県の組織が分野ごとに国の官庁と縦系列で繋がっているという、戦前からの中央と地方の構造については、継続性があると言ってもいいのではないかと思います。

 ちなみに、人口当たりの国家公務員の数が、先進国で最も少ないのが日本だという話があります。日本では、地方政府が中央政府の政策実施を大いに担っているということですね。機関委任事務があった頃は、制度的にもはっきり国の仕事を地方自治体がやるというふうになっていたわけです。これは、市町村も、都道府県も、諸外国と比べてかなり政策能力が高く、力があるからこそ、そういう構造になったのではないかと思います。これは、中央で決めたことを縦系列で地方に流して、地方で実行することにも向いていますが、逆に、地方の現場での様々なニーズを中央に伝えて、地方が必要としている政策を国に迫っていく、国にさせていくことにも都合のいいところがあります。戦後の県は、うっかりすると戦前に引き続いて、国の出先のようなものになるわけですけれども、逆に、地方に主体性があれば、国を動かしていくための基盤、ベースになる、そういう存在にもなっているのだと思います。

 

(2) 戦後復興、開発、福祉、環境

 戦後復興も各都道府県で一生懸命やります。岩手県の場合は、農民知事国分謙吉さんの下で農業の復興があり、開発知事とでも呼ぶべき阿部千一さんが副知事時代からインフラ整備をどんどん進めます。

 戦後復興はやがて高度成長時代に向かって開発というテーマになっていきます。阿部千一知事が副知事時代に、北上特定地域総合開発というのを、国の国土総合開発法の下での国指定第1号事業として、認めさせました。地方で、計画や制度を考えて、国の事業としてやりました。あの五大ダムに繋がる事業です。

 宮澤弘さんという自治省の官僚から国会議員になられた方がいて、回顧録で語っていますが、千葉県の副知事になった時に、京葉工業地帯を作るということで、千葉県で日本初の土地開発公社を作ったそうです。そのように各都道府県でそれぞれ、戦後の開発を、どこをどうやればいいのか必死に考えて、やり方を編み出したりもして、国の法律になったこともあったわけです。

 阪神淡路大震災の復興委員長を務めた下河辺淳さん、建設官僚で、そのインタビュー記事で読んだのですが、戦後いろいろと総合開発があったが、基本的には陳情をまとめて計画にしていったものであって、どこにどういうものを作っていくかということは基本的に地方が考え、陳情要望活動をして、それに、政府そして政治が対応して、開発をしていったと下河辺さんが語っています。

 高度成長の弊害が地方の暮らしや仕事の現場に出てきて、公害対策の環境政策であるとか、都市問題や過疎問題で苦しんでいる人たちに向けての福祉政策などが地方でまず作られ、国が後から制度化していくような流れもありました。情報公開もそうですね。地方の条例がまずできていって、やがて国の法律ができる。戦後は結構そういう流れがあったと言えます。

5 平成…地方分権改革

(1) 行財政改革の論理、規制改革の論理、地方自治の論理

 平成に入って地方分権改革の時代になります。私の前に講演された林﨑先生ご指摘のような、ふるさとづくり特別対策事業とか、ふるさと創生1億円事業とか、地方がお金を確保して自由にやれる事業を増やしていくようなことこそ地方分権であり、それがまた地方主権ということにも繋がる改革なのだと思います。

 ところが、行財政改革の論理で、とにかく国の財政を節約できればいいという、国の財政節約のための、地方分権改革とかですね、あとは、規制改革の論理で、民営化して民間がどんどん参入して、民間がもうかるチャンスさえできれば、あとはどうなってもいいみたいな、そういう地方分権改革も主張されたり実行されたりしました。やはり本当は、あくまで地方自治の論理に基づいて、地方がより力を持って、そして実質的に、今までできなかったことができるようになるとか、住民福祉が増進するとか、そういう結果がちゃんと出てくるようなことこそ、真の地方分権改革なのだと思います。そういう面もありましたから、それは大事にしていかなければなりません。

 

(2) 人口減少but地方の発展

 この間、地方分権しなければ駄目だという流れの一つの背景として、地方は失敗している、人口減少がどんどん進んで地方は衰えている、地方を変えなきゃ地方は駄目になって日本も駄目になる、地方が消滅して日本も消滅する、という話があったわけですね。

 しかし一方では、平成の間に、地方における生活や産業の水準というのは、非常にレベルアップしていると思います。それを象徴するのが大谷翔平君の存在です。あのように地方ですくすく生まれ育ち、大リーグに行ってMVPまで取ってしまう、そういう若者を産み育てられる力が地方にはあります。日本中そうなのだと思います。実は、地方の発展ということがこの間ありまして、それをより促していくような地方分権改革をしていけばいいのだと思います。

 

(3) 手つかずの「大都市問題」

 大都市問題が、日本の場合、いまいち手付かずで、東京を始め、政令指定都市も、今ひとつ大都市をうまくマネジメントしていくような制度があまり発達してこなかったし、そこが日本の地方自治上の課題だという指摘がありますが、深くは立ち入りません。

6 主権者の戦略、民の選択

(1) アイデンティティの基盤…国、県、市町村、職場、職業、家族、趣味、関心

 以上、県の歴史でありましたが、それをふまえてこれからどのようにやっていけばいいかを考えるときに、視点をガラッと変えまして、主権者の戦略、民の選択を考えましょう。県民の側から見た県、或いは、県民というのは国に対しては国民であり、市町村に対してはその住民でもあるのですが、民本位、人間本位に見た県が、どういう位置付けになるかを考えるのです。ここが今日の講演の肝です。

 まず、アイデンティティの基盤として、自分は何者かというときに、日本国民だ、岩手県民だ、住んでいる市町村の住民だ、また、そういう公的なアイデンティティの他に、職場、職業、家族、趣味、関心などが、自分が何者かという本質になっていると思います。

 

(2) 国民、住民、地球人(人類、世界市民、地球市民)

 国民、住民、さらに、地球環境問題などを考える時は地球人でもある。人類とか世界市民とか地球市民とか言ってもいいです。人間というのは、個人というのは、それぞれそういう中で生活をし、また働いていて、趣味や余暇も過ごしています。そういう人間に、どのように県がうまく合わせて、求めているものを提供できるかを考えていけばいいのだと思います。

 

(3) 生活の現場は、狭い…基本的に市町村

 生活の現場は基本的に狭いので、どんな豪邸でもそれが所在するのはやはり市町村の中になりますから、ごみ出しの問題に始まって、火事のときの消火とか、まず市町村に生活は依存します。

 

(4) 仕事の現場は…専門性と日常性、広域性と地域密着性

 一方、仕事の方は、狭い範囲で働くケースと広い範囲で働くケースがあります。まず、専門性と日常性という軸があって、専門性で仕事をしていきたい場合には、公務員であれば国家公務員の方が専門性が高く、地方公務員の方がより日常性が強く、地方公務員の中でも都道府県の方が専門性が高く、市町村の方が、日常性が強いということになると思います。専門性と日常性という軸は、どちらがいいかというものではなく、向き不向きというか、好き好きというか、林﨑先生が紹介された「論理と道理」では、専門性は論理の世界に近く、日常性は道理の世界に近いのだと思います。自分は人間としての質の高さで勝負したい人は日常性の方がよく、自分は人間性は自信がないのだけれど、論理能力については、お金をもらえるんじゃないかという人が専門性の方に行った方がいいというようなところがあるかもしれません。国会議員か地方議員か、大学教授か学校教師かというのもあります。専門性が高いほうは東京に職場が多く、日常性が強いほうは地方に職場が多いですから、専門性と日常性が、国の中央で働くことと、地方で働くということに対応するわけです。

 あと広域性と地域密着性という軸もあると思います。わかりやすい例としては、アイドルになりたいときに、全国アイドルを目指すのか地元アイドルを目指すのかです。これもどちらがいいということはなく、全国アイドルになった方が、売れ行きや収入が多くなる可能性が高まるのでしょうが、全国アイドルとして成功する可能性は著しく少なく、地元アイドルは成功する可能性は高いけれど、収入についてはそう簡単ではないということで、これも専門性・日常性と同様にどちらがいいという話ではなく、向き不向き、好き好きということだと思います。

 

(5) 大谷翔平くん…学校→市(地区)→県→全国→世界

 大谷翔平君の場合は、学校という非常にローカルなところでの活動から、地区大会を経て、県大会で優勝して、全国そして世界へというように、今いる場所に集中することで自然に世界に羽ばたくというケースです。

 

(6) リモートワーク…エルテスの菅原貴弘社長

 エルテスの菅原貴弘社長が典型ですけれども、リモートワークで、この岩手にいながら世界の中心にアクセスできるようになります。しかし、そもそも、岩手の中に世界の中心は結構あるのではないか思います。

 

(7) 岩手県にある「世界の中心」

 トヨタ東日本岩手工場とかキオクシア岩手とか、世界最先端の工場が岩手にあります。また、農林水産業の岩手の特産品で日本を代表するような産品は世界に通用するということで、ここが世界の中心だと言ってもいいわけです。

 球の中心は玉の真ん中にあって、球の表面に中心はありません。地表面のどこが世界の中心であってもいいのです。ニューヨークが中心であってもいいし、岩手が中心であってもいいのですから、そういう意識を持って、岩手で働くこともできるわけです。

7 これからの県

(1) 幸福の基盤…安全、健康、労働=収入、学習、くつろぎ・やすらぎを提供

 国、県、市町村、国際社会という広がりがあり、また、職場、職業、家族、趣味、関心という、そういう所属や生き方、生きる場もあり、そのような個人に対して、県が何を提供できるのか。まず、幸福の基盤を提供するのが県の役割であろうと思います。

 安全、健康、労働=収入、学習、くつろぎ・やすらぎを提供するのが、県の役割です。

 

(2) 市町村や国、その他の主体が幸福の基盤機能を果たすのに協力・支援

 そして、県以外の、市町村や国、その他の主体、例えば企業や家族が幸福の基盤機能を果たすのに県が協力・支援する、その役割が極めて大きくなりますね。軍国主義の時代は、人間はとにかく、国のため、それ以外の県や家族や職場も犠牲にするという時代で、江戸時代は、お家のためなら家族も犠牲に趣味も犠牲に、という時代でしたが、現代は、すべてを自由に組み合わせて、自分の人生を作っていくことができる時代で、個人にとっての戦略と選択は、いろいろな場や様々な主体との関係をどう組み合わせて自分の幸福を作っていくかということです。そこに、県が戦略的に参画して、個人に県を選択してもらうということです。

 

(3) アイデンティティの基盤=「ふるさと」を提供

 アイデンティティの基盤ということが日本の場合は結構大事です。日本は、明治維新以降、天皇をいただき、国家・国民のアイデンティティを作ろうとして大失敗してしまったのですね。それで今、日本人らしさとか、日本国民のモデルとかが、今ひとつうまくできていない。諸外国と比較して或いは戦前の日本と比較して、例えば誰を尊敬しているのかという時に、昔であれば、楠木正成と和気清麻呂を尊敬しているのが日本人、というのがあったわけですけど、楠木正成と和気清麻呂というのは皇居の周りに銅像が残ってる双璧なのですが、今の日本国民でその二人を尊敬している人はあまりいないのかもしれず、それを今、日本人ならその二人を尊敬しろとやっていくのがよいのか。一方で、岩手であれば、宮沢賢治、石川啄木とか原敬、新渡戸稲造とか、自然に尊敬できる人がいて、岩手山があって北上川があって、馬淵川や米代川もあって、そういう自分のアイデンティティを作る材料としては、地方にあるのではないでしょうか。まず地方から始めて、そういう地方の集まりである日本という国はいい国だ、と思えるとよいと思います。

 その上で、日本を代表する人物や、日本を代表する自然、風土、日本を代表する食べ物というのを、改めてみんなで作っていく。改めて、ふるさとを基盤に日本というものをつくり直す、再生させていく、そういうことが求められているのではないかと思います。よき日本国民、日本人であるためのアイデンティティの基盤を、県は、ふるさととして提供できるのではないかということです。

 

(4) 国際社会への窓…良き地球市民であるために

 最後に、やはり国際社会への窓の機能も果たし、良き地球民であるための材料も、県は提供できなければ駄目ですので、SDGsの入口役を果たしたり、さらに、ILC国際リニアコライダーを実現したり、ハロー安比インターナショナルスクール、これはもう今年の夏オープンの予定ですが、これらを大事にしたりしながら、岩手を通じて世界に参画できるようにするということも、県の役割として求められるでしょう。

 ということで、県の現在、県の歴史から、これからの役割というところまで駆け抜けました。そういう歴史からも、そして今直面するコロナ禍という状況からも、県というのは、十分、力を持っているし、それをさらに高め、多くの人たちを幸せにする大きな役割を果たすことができるので、頑張っていきましょう。

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