平成23年度部課長研修 知事講話

ページ番号1049990  更新日 令和4年2月9日

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とき:平成23年11月29日(火曜日)
ところ:県庁12階特別会議室(テレビ中継)
演題:「『危機管理』から『復興管理』」

「『危機管理』から『復興管理』」

 過去の知事講話においては、行政に関する理論と実践という観点からすれば、実践よりも理論のほうにウエートを置いた講話をしてきたのですけれども、今日は東日本大震災津波の発生ということも踏まえて、実践のほうにウエートを置いた話をしようと思っています。理論性が全然ないわけではなく、ある程度の理論もあるのですけれども、やはり実践にウエートを置いた話をしたいと思います。

 去年のようなきちんとしたテキストを用意してはこなかったのですけれども、手元のレジュメ、4項目「意識改革」、「知る事」、「コーディネーション」、「復興の心がまえ」という4項目について10分ぐらいずつ話をしたいと思います。

1 意識改革

(1) 危機意識向上

 まず、「意識改革」についての1つめ、「危機意識の向上」です。

 東日本大震災津波という、これだけの惨状を前にして、やはり県職員として意識を変えていかなければならないと思っています。岩手は津波の常襲地であり、明治の三陸大津波以降も何度も大きな津波に襲われています。しかし、明治の三陸大津波の岩手における犠牲者の数がおよそ1万8,000人、昭和8年の昭和三陸大津波がおよそ1,400人、そして戦後、昭和35年のチリ地震津波の犠牲者が55人ということで、時代が下るに従って世の中も発達し、防災の技術も発展し、犠牲者はどんどん少なくなっていくのだと、その延長上の未来イメージを漠然と抱いていたのではないかと反省をしています。

 もちろん真剣な防災訓練は毎年きちんと行われておりましたし、岩手の沿岸においては、特に津波に対する訓練は、これは本当にきめ細かく行われていました。しかしながら、死亡、行方不明合わせて6,000人を上回るこの惨事というのは、やはり物の見方、考え方、そして行動様式を改めていく必要があるということだと思っています。

 法律上の責任とか、政治責任とかいうこととは違う次元で、これだけの犠牲というのはやはりあってはならないことだったと思っていますし、そのためにいろいろなことをやらないでしまっていたことについては反省をしなければならないと思っています。また、犠牲になった方々に対しては本当に申しわけいと思っています。この犠牲になった方々への申しわけなさというのを意識改革の原点にしていかなければならないと思います。

 この大震災津波に対応する基本原則として、犠牲になった方々のふるさとへの思いをしっかり継承するということ、難を逃れた被災者の皆さん一人ひとりが幸福を追求できるようにするということを、2つの原理原則と言っているのですけれども、そこをやはり原点にしていかなければならないと思っています。

 また、今まで以上に真剣に当たっていかなければならないと思っています。

(2) 人に優しく 志高く

 そして、その真剣さから危機意識を向上させていくということが一つ、もう一つが「人に優しく 志高く」ということだと思っています。

 真剣になるがゆえに、人には優しく、また志は高く持っていこうということで、この人に優しく、志高くということは、発災直後から県職員の皆さんに呼びかけていたことでありますけれども、意識改革、危機意識の向上ということと並んで、この人に優しく、志高くということをより深く、或いは、強く意識の中で持っていく必要があると考えます。

 リーダーの役割というのは、いち早く危機を察知することだということを話したことがあります。草食動物、あるいは肉食動物の群れでも、強い敵がそばにいないか、また危機的な食料不足ということが目の前にないか、あるいは群れの中に病気、怪我等で弱っているものはいないかということを動物の群れのリーダーは常に気にかけて、そういう危機的状況が起きたときにはいち早く戦う、逃げる、あるいは食料を探すため進路を変更する、また群れの中の弱いものを守るために守りの体制をとる、といった決定をいち早くすることがリーダーの原点、そして県職員は、すべて知事の補助機関であって、知事のリーダーシップを補助するのが県職員の仕事ですので、県職員一人ひとりもそのようなリーダーシップ、危機をいち早く察知し、未然に防いでいくための、危機意識というものを常に持たなければならないと思います。

 ただ、それだけやっていますとギスギスしますので、何のための危機意識かというと、それは県民一人ひとりができるだけ幸せになってほしい、それぞれの幸福追求を自由にやれるようになってほしいという優しさが原点ですし、またそのような社会をつくっていこう、そのような岩手にしていこうという志の高さあってこその危機意識ということで、優しく、志高く、おおらかに、伸びやかに危機意識を強く持ってもらえればいいと思います。

2 知る事 大震災と情報処理

(1) 限られた情報の中での決断と行動―決めつけない but わからないままにしておかない

 次に、2番目の知る事についてでありますが、今回の大震災津波で改めて知ることの重要性を痛感しました。そして、この大震災、すべての突発時というのは、まず限られた情報の中で、しかもできるだけ早く決断をして行動していかなければならないという特殊な情報処理を迫られるわけであります。ここで大事なことは、決めつけないこと、しかし、わからないままにはしておかないということだと思います。

 阪神・淡路大震災が起きたとき、あのとき私は家でテレビを見ていて、朝のテレビのニュースでそういう大地震があったということを知りました。テレビの画面には、ビルが崩れたり、また高速道路や高架が倒壊しているような映像がテレビに映し出されていたのですが、そのときの死亡者数、私の記憶ではテレビで6名とニュースで伝えていました。結果的には6,000人以上の方が犠牲になっているわけで、発災直後、死亡者数6人という数字で、これは結局、報道機関が自分たちで被災現場を見て歩いて数えているわけではなく、市町村や県の対策本部、あるいは消防、警察に取材して数字を得ている。そして、それらの機関にまだ報告が達していない。夜が明けていて、様々な活動が始まっている時間ですけれども、消防、警察、また自治体に情報が全然届いていないということは、実はそれだけ壊滅的な被害がそれぞれの役所にも及んでいる。だから、建物の崩れた下には多くの人たちが犠牲になっている、あるいは命の危険にさらされているということが推測すればわかるわけでありますけれども、表面的には死亡6名という数字がテレビで放映されるわけです。ですから、まず6人しか犠牲になっていないのかといった判断は、圧倒的な間違いで、建物の被害が大きい割には人の犠牲は少ないとそこで判断したら、もう終わりなわけです。決めつけないということがまず大事でありますが、ただわからないままにしておいてもだめなわけで、特にその当事者であれば実態がどうなっているのか、様々な手を尽くして情報を収集していかなければなりません。

(2) みえないものをみる きこえないことをきく

 「知る事」の2つめは、「見えないものを見る 聞こえないことを聞く」です。私も3月11日、大きな地震があって、知事公舎から県庁へ戻り、災害対策本部を立ち上げました。その間大津波警報も発令され、最初は3メートル、これがだんだん6メートル、10メートル以上と、修正されていきます。あれだけの大きい地震で、これは絶対津波が来ると感じました。震源地が海のほうということも同時にわかりましたので、自衛隊の出動を要請しなければならないわけです。やがて、沿岸を津波が襲う映像も断片的ではありますが、テレビで放映されるようになって、その後の断片的な情報の中でも、かなり多くの建物が倒壊している。また、津波によって大きな被害が出ている。かなり大勢の人たちが犠牲になったり、あるいは命の危険にさらされているということが、見えないし、また聞こえないわけですけれども、その見えないものを見、聞こえないことを聞くという感覚を持って事に臨まないと、実態の把握はできないわけです。

 だんだん断片的に情報も入ってきますが、まさに断片的な情報であり、通信が途絶した中で、県の防災ヘリ、警察のヘリ、この2つだけが頼りでした。徐々に自衛隊とか、命の危険にさらされている人がどこにいるかを捜すのが任務の応援の機関が情報をもたらしてくれるようになりますが、人命救助が最優先ですので、役場がどうなっているか、学校がどうなっているか、病院や福祉施設がどうなっているかというのは、それぞれ別途自分たちで調べなければならない。このような状況の中で、得られた情報だけに基づいて判断していれば、先ほどの阪神・淡路大震災の場合の死亡者6名というような数字をベースに、そこで判断し、行動していたのでは、実態とまったく異なったことになる。まず見えないものも見る、聞こえないことも聞くという中で、前へ前へと先手をとった判断と行動が求められたわけです。

 この点、かなり反省すべきところはありますけれども、一方ではかなり良くやってもらったとも思っています。現場の広域振興局からどんどん被災現場に出て、まずは県所管の道路状況を調べる、港湾の状況を調べるということから始まり、市町村がどうなっているのかということについても調べてもらい、1つの例でありますけれども、陸前高田市役所が壊滅している状態の中で、高台のほうにある給食センターに県の出先機関から文房具や事務用品を送って、すぐに陸前高田市の臨時市役所機能が立ち上がるように準備をしていたとか、様々な現場、現場で対応してもらったと思います。

 この話は、「コーディネーション」でさらにしたいと思います。

(3) ギリギリの情報処理の極意 ―より高い次元への指向性

 その前に「知る事」の3つめ、「ギリギリの情報処理の極意―より高い次元への指向性」ですが、この全知全能ならざる人間が、それでも最適な判断をして行動をしなければならないと迫られる、そういうときにどういう心構え、どういう感覚でやっていけばいいかということは、私も私なりに日々工夫をしているところであります。このようなやり方があるのではないか、或いはこういう考え方があるのではないかということを紹介いたします。1つはテニスの例ですが、テニスで勝つという目標があり、そのためにどこにボールを打てばいいかということでいろいろ体を動かしていくのですが、低い次元のほうに注意を集中すると、ラケットをどう握ればいいか、ダッシュのときのキックをどういうふうにすればいいかといったそういう体の部分部分に対する動きに意識を集中させることになります。練習のときは大体そういう体の部分の動きに意識を集中してやっていくけれども、それはあくまでいい球を打つためにやっていることで、試合の最中にはその体の部分部分の動きに注意を集中するのではなく、とにかく球を見ろという指導がよく行われ、まずボールに意識を集中して、最適な動きができるように工夫をするわけです。ただ、これが達人になれば、ボールそのものを超えて、そのボールを打ってくる相手の動きとか、相手の考え方とかにも意識が及んでいくわけです。それは、うっかりするとそのせいでボールから注意が損なわれて、かえって空振りをしたり、逆に走ったりすることもありますが、そのボールから注意、集中を失わないような形で、ボールに集中するがゆえに相手の考えていることがわかる、相手の動きが見えてくるということがあるわけです。これがさらに達人の域に達してくると、その相手の動きということだけではなくて、観客の反応とかも意識の中に入ってきて、そうなってくるともう勝つことが目標になってくるのではなく、いいプレーをして観客も感動させてテニス文化を高める、スポーツというものを振興させていく、ひいては世の中全体をよくしていくというような、そういう高いところに意識が届いていきます。そうなってくると、もうまさに達人の域です。逆に初心者は試合をやっている間に、どうもグリップの感じがうまくいかないとか、自分の手指の動きに意識が集中したり、ダッシュのときの足のキックがうまくいかないなど、意識がばらばらになっていって、それでどんどんだめになっていくわけです。

 行政の仕事をしていく際にも、今、目の前の仕事ということがあるわけです。が、理想的なのはその仕事に集中していながら、その仕事によって実現されるより高次の目標のところに意識が及んでいくことです。課の仕事をやっていたとしても、それをきちんとやることで部全体がこういうふうに良くなっていく、課の目標を目指していくことで部の目標が達成されていく、それがひいては県庁全体が掲げる目標、県庁全体が目指すべき目標というものの実現につながり、そしてそれが日本全体を良くしていく、世界人類を良くしていくことに繋がっていく。達人の域に達していくと、今、目の前の仕事に集中をしていながら、天下、国家、世界全体を動かしていくような感覚になっていく、そういうところを目指して欲しいと思います。

 逆に、先ほどのテニスの例で手指の感覚とかに注意が散ってしまうという場合は、それは作成している文書の一言一句にとらわれ、それを起案した部下の態度とかに注意が捉われ、注意が拡散して仕事が遅れていくということがあると思います。全知全能ではないので、いきなり世界全体を動かすようなことは無理であるとは思いますが、ただそれが常に四六時中ではなくても、結構、今回の大震災津波対応のときには、そういう局面や瞬間というのは多々あったと思います。私自身もいろいろなやりとりの中で、これはすごいいい判断、あっと思うような県職員の仕事ぶりをあちこちで目撃し、体験したと思っています。

 そこは切羽詰まった中で目の前の状況に集中しつつも、きちんとより高い目標が視野に入って、言葉だけにとらわれず、マニュアルとか、そういった規則にとらわれないで、目指す目的の本質的なところをきちんと理解し、それを実現しようと、とっさの判断でいい動きが出たと思っています。

 テニスを初め、スポーツで練習でやったことないようなファインプレーというのが出たりしますが、それはそういう体の動き、下からの積み重ねの末にそうなるというよりは、より高い目標に意識が及んでいるときに、そこに引っ張られて今までできたことがないようなことができるようになるということが起きるものだと思います。

 行政の場合にも、より高い次元に意識を及ぼしていくことで、できなかったことができるようになるなど、全知全能ならざる我々ではありますが、その時点で最適な対応ができるということがあるのだと思います。

3 コーディネーション―危機管理の極意

(1) 情報不足の中での行動指針

 コーディネーション―危機管理の極意ということを3番目に書いています。これに関して、ちょっと理屈の話になりますが、「The Politics Of CrisisManagement」という本、「選択」という雑誌を定期購読しているのですが、大震災津波の後にこの「選択」で紹介されていたので、取り寄せて読んだのですが、オランダとスウェーデンの危機管理の専門の学者さんたちが集まってケンブリッジ大学出版から出したもので、2005年に出版された本です。自然災害ではスマトラ沖地震津波の分析成果も踏まえ、そして9.11テロへの対応も踏まえて書かれたものです。この中で成功する危機管理は、トップの決断よりも、ネットワークを通じたコーディネーションによって成功するものだということが書いてあります。危機管理が成功するかどうかは、トップの決断によるよりも、現場のコーディネーションにかかっているということが書いています。これは我が意を得たりと思いました。トップがそうやって我が意を得たりというのもどうかというところもありますが、この学者が書いていることは情報不足の中で行動していかなければならない場合、不完全な情報に基づいてトップがあるいは中央が決めたことが現場に命令がおりてきたときに、その命令が的確な正しいものであるとは限らないということなのです。むしろ必要な情報は現場にこそあって、その現場で適宜判断して対応するほうがうまくいく場合がむしろ多いのではないかという内容でした。

 スマトラ島沖地震津波に関しても、かなり現場でのコーディネーションがうまくいったということが書かれています。インドネシア政府のほかに、各国の軍隊とか、国連の機関とか、いろいろな主体が集まってきて、その現場での対応でうまくいったケースとして紹介をされています。

 そして、そういうコーディネーションというのは、様々な機関が、行政等の主体が、それぞれに情報不足に悩んでいるわけです。あれはどうなっている、これはどうなっているということを他の機関から情報収集する中で、情報の共有から、ではこれはこちらでやっておきますとか、これはではそちらでやっていただくというような、コーディネーションが生まれていく。情報不足の中で、それぞれの主体が情報を求めるということから、自然にそういう現場でのコーディネーションは生まれてくるのだと書いています。

 ただ、これは理想的過ぎるところがあり、現場でわけがわからないときに縮こまってしまうということが想定され、そういうときに指示がないから動かないという現象はやはりあると思います。ここでも知ることの大切さ、やはり知ることに飢えていなければならない、わからないままにしておかないということです。特に危機的状況、災害の発生などにおいて、一体どうなっているのだということについて、貪欲にそれぞれの現場で動いていけば、それが自然に情報共有、そして役割分担から行動へということに進んでいくと思います。

 この本には、インテリジェント・ディセントラライゼーションという言葉が出てきて、賢い分権化ということです。どういう意味かというと、現場に任せっ放しにしていてもだめで、中央あるいはトップは現場がどう動いているかやはり掌握しておかなければならない。そういう情報はきちんとトップや中央で把握しておかなければならないということも同時に書いてあり、そういう意味でリーダーの仕事というのは、現場がきちんと動けているかということをきちんと確認し、動けていればそのまま対応していってもらえばいいのですけれども、現場が様々な理由できちんと対応できていない場合には、その問題を解決するために、トップあるいは中央が動かなければならないということで、まさにガソリン等の物資が不足している、人員が不足している、また現場において情報が不足している、そういうときは、中央から、トップから、どんどんサポートしていき、それが手元になければ、国とか、さらに別のところから調達して、それを現場に出していくというようなことをトップ、中央では行っていかなければならないと思います。

 発災時にはこの本は読んでいなかったのですが、私としては比較的そうやってきたかなと思っていまして、これからも基本的にそのようなやり方でいきたいと思っています。

 コーディネーションという英単語は、コーディネートという動詞の名詞形ですけれども、コーディネートという動詞には、調整するというほかに対等にするという意味があります。コーディネートというのは、対等の立場にしていくという意味があり、対等の関係にある機関、主体同士だからこそコーディネーションが必要になる。つまり上下関係でラインに乗っかっている関係であれば、そこにあるのは命令と、その命令に従った行動であって、コーディネーションというのは縦系列では起きない。コーディネーションは、対等の関係にあるからこそ起きることであり、今県と市町村は対等ですので、まさしく県と市町村の間にコーディネーションということが出てきますし、また行政機関と医療機関、福祉機関、さらにボランティアとか、そういう非行政の各種体との間に出てくるのは、コーディネーションということです。

 コーディネーションというのは、本質的に対等なもの同士の関係ですので、そこを認識してやらないとうまくいかないし、そこをわかった上で情報を共有しながら、それぞれの意思決定をしていく。命令と服従の関係にはないので、それぞれが自分の行動については意思決定権を持っている。ただ、その中でお互い良い意思決定をしていくためにも、まさにコーディネーションが必要で、そしてコーディネーションのメカニズムとして、その本質は情報の共有にありということです。情報を共有することで、自分はこうすればいい、あっちはああすればいいということがお互いわかっていく、そういうコーディネーションをきちんとやっていくことが危機管理の本質であり、極意であるということです。

(2) ネットワーク的対応―他の人がやることを意識して行動する―世界で考え、歴史で行動する

 「ネットワーク的対応―他の人がやることを意識して行動する」ですが、世間に流布する危機管理のイメージは、危機管理というのはできるだけ縦の系列、命令、服従の関係で、トップが命令を出して、そのラインがそれに従って動くものだというイメージがあります。そうでなければならないところもあります。

 それは県の行政のシステムの中で、それはやはり知事が最終決定したことについては、みんなそのとおりやってもらわなければならないとか、あるいはそれぞれ担当のところで、例えば防災室長が決定したことについては、そのラインの人たちはそれに従ってやってもらわなければならない。特に自衛隊とか、そういうミリタリーな組織は、そういう動きをするところがかなり多いと思います。この本でも、ミリタリーな組織はそういうところが多く書かれています。

 一方で、警察とか医療というのは、意外に現場が判断してやることが、多いと思います。意外というのは私の感想ですが、警察とか医療についてはかなり現場、あるいはもうその担当者の判断でやっていると。恐らく医師とか、警察は捜査官をイメージしているのでしょうが、警察小説でも捜査をやっている警察の人は、かなり上司の言うことを聞かないで描かれていることが多いのですが、医療の場合にも、やはり実際に患者さんを診ている医師の判断でやり、病院理事長とか医局長から命令が出るということは、これもドラマの世界ですが、大概よくない結果につながったりするわけです。行政あるいは組織の種類によっては、かなり縦系列ではない動きが優勢なものもあり、また縦系列の動きが優勢なものもありますが、総体としてはこのネットワーク的な対応ということが行われ、縦系列のラインだけではなく、対等な関係にある様々な種類の組織、団体あるいは個人がコーディネーションしながらネットワーク的に対応していくということが多くなるのだと思います。

 そのときに大事なのが、他の人がやることを意識して行動するということです。全体がどうなっているのか、少なくとも自分の周辺がどうなっているのか。

 自衛隊とか国の機関がどういうふうに動いているのか、また市町村がどう動いているのか、民間ボランティアとかがどう動いているのかというのをやはり意識しながら県も仕事をしていかなければなりません。

 あとは、県行政でも部長、課長、担当というのはラインですけれども、部長同士とか、課長同士あるいは担当同士というのは、これは縦のラインの上には乗っていない対等な関係で、そこにはコーディネーションが出てくるわけです。

 先ほどは県と市町村の間や県と国、あるいは県と非行政との間のコーディネーションというところを強調しましたが、実は県組織の中にもコーディネーションというのは多々あって、それは知事に上げる前に部の間で調整するとか、まさにそういうところにコーディネーションというのはあるわけで、また現場においても担当同士の間で、現場でコーディネーションしていかなければならないことがあります。多分、手がたく、課長に相談しながら決めるようにしていて、担当間同士で決めて動くというのは、特に平時では余りないでしょうが、危機的な状況になってくると、かなりそこはもう担当同士に任せたほうがいい場合もあると思います。無論それぞれの課長は、担当がどう動いているのかは知っておかなければならない。インテリジェント・ディセントラライゼーション、賢い分権でやっていかなければならないので、担当が何やっているのかを知らないままでもだめですけれども、そういうコーディネーション、ネットワーク的なコーディネーションということが県組織の中にも出てきます。

 ただ、担当同士のコーディネーションがうまくいくために、この担当もほかの課が普段どういうことをやっているか、今何をやっているかということを意識していないと、いざというときのコーディネーションがうまくいかないこともあるので、緊急事態のときは特にそうなのですが、平時においても隣の班が何をやっているのか、隣の課が何をやっているのか、隣の部が何をやっているのかというようなことは、意識して行動しないとうまくいかないことが多いです。

 それを極端に言うと、「世界で考え、歴史で行動する」とそこに書いてあるのですけれども、難しい課題、重要な課題に対して答えを出していくとき、どうすればいいのだろうという答えを出していくときに、1人で考えてもなかなかいい答えは出てこないわけで、いろいろな人に相談をする、またいろいろなところから情報を取る、自分の頭の中だけで考えるのではなくて、ほかの人の知識も使って考えるのだということですね。

 パソコンで、マックでも、ウィンドウズでも、ウィンドウをたくさん一度にあけて、インターネットブラウザも開け、ワープロソフトも表計算ソフトも立ち上げ、ほかにもいろいろな窓をあけて同時に作業をさせながら、そして自分で仕事をしていくわけですけれども、いろいろな人が考えたり、ほかの人が働いていることをあたかも自分のためにやっているのだという感じで、その中で適切な答えを見出していけばいいのだと思っています。

 自分の担当、自分の責任で決めなければならない、その決定の主体はあくまで自分ですが、考えるという作業は、極力自分以外の方に作業をしてもらうほうがうまくいくことが多いと思います。自分だけで思い詰めないということですね。決定は、自分がその担当、あるいは責任者としての判断で行いますが、考えるという作業についてはできるだけ広く利用することが重要だと思います。

 内田樹という哲学者が私は好きでその人の本を買って読んでいます。「日本辺境論」というのが新書版で出てブームになりました。その人が考えていることは非常に大事なことが多く、大いに参考にさせていただいていますが、そうやって内田樹さんの頭脳もお借りして、自分の判断のための作業をやってもらうという考え方です。何も知事から委嘱してそういう作業をしてもらっているわけではないのですが、生活保障の本を書いた宮本太郎さんも、必要に応じて会って話をしたり、岩手日報で対談を行っていただいたり、作業を本当に直接していただくこともありますが、普段は「そんな生活保障の本を出してください。」というようなことは頼んでおりません。でも大事だと思ってやってくれているのですね。自分よりすぐれた人は、自分が思ってもいないようなことをやってくれるわけで、そういう人に一々注文を出して、その注文どおりにやらせようとすると、かえってそれではいいものが出てこないわけです。

 内田樹さんも「武道的思考」という本を、去年、出版していて、それはすごく参考になっています。先ほどのテニスの話も、その「武道的思考」からで、あの人は合気道の達人なので、そういう武道の話から世の中全般のことを解き明かすのですが、そのような本が出るとは予想もしていなかったのですけれども、非常に参考になります。

 自分の部下でも自分より優秀な存在はいっぱいいると思いますし、特に担当を任せていれば、その担当事項について日頃から調べて、考えて、関係者とも接触をしていれば、それは上司以上にその事柄については有能になっていることが多いし、担当というのはそうでなければならないわけで、一々事細かくこれをやれ、あれをやれというよりも、そういう優秀で有能な本人が工夫して、こうやったほうがいいと思いますよと、上げてくることがいい場合が多いし、そうでなければならないわけなのです。

 つまり、できるだけ自分以外の頭で考えること。結論は自分が出すのですが、考える作業は自分以外の人にできるだけまかせ、それをもう押し広げると。オバマ大統領に考えてもらうとか、まさに世界で考えるということになるわけです。

 歴史で行動するということは、世界に広がる空間的な広がりに対して、歴史で行動するは時間軸上の広がりです。過去の経緯をきちんと調べ、理解して、これまでの経緯を押さえ、あとは未来はかくあるべしという過去と未来、来し方行く末に思いをいたせば、大体今何をしなければならないかというのは決まってくると思います。

 2代目の阿部千一知事の業績というのは、実はあまり知られていないけれども、すごい業績が多いのです。病院、診療所問題が議論になったときに、そもそも医療局がどういう経緯でできたのかということを調べていたら、それは阿部千一副知事が、自分が初代医療局長になって医療局というものを立ち上げていました。さらに調べると新渡戸稲造博士が岩手の今で言う農協五連会長のようなことをしていたとき、農協経営の病院、診療所がどんどん岩手に増えていき戦後、その経営が難しくなってきた際に、県でないとお金を借りて投資ができないから、県で引き受けたというのが大きな流れでした。そういう経緯がわかって、地域医療を守っていかなければという未来の姿があれば、今どうしなければならないかというのは、もう大体決まってくると思います。

 阿部千一知事は、いろいろな機会に紹介していますけれども、カスリン、アイオン台風からの復旧、復興の中に北上川総合開発計画を位置づけ、五大ダムをつくる、企業局をつくる、工業用水も確保して企業誘致もやる、農業、畜産も振興し、カスリン、アイオン台風は山田線が大きな被害を受けたのですが、その中から三陸縦貫鉄道の整備なんていうこともカスリン、アイオン台風の復興計画の中に入ってくるのです。それは、非常にそのとおりだと思うわけで、そういう先人の行動を踏まえれば、今回の復興計画も、どういう形にしていかなければならないのかは、さらに未来に思いをはせれば自ずと決まってくると思っていて、そういう歴史で行動するということが大事だと思っています。

4 復興の心がまえ

(1) 1 真剣に 2 人にやさしく志高く 3 底力を引き出し、つながりをつくる

 最後に「復興の心がまえ」、これはおさらいのようになりますが、(1)真剣に、(2)人にやさしく志高く、(3)底力を引き出し、つながりをつくる。これは、県民の底力を引き出して、そして県民同士のつながり、また県外との様々なつながりをつくっていく、これが復興の基本だと思います。そして、県全体にとっても、県職員という、県組織という観点からも、やはり底力を引き出していくということと、このつながりをつくるということを意識していくことが大事だと思います。

 この底力を引き出すということは、人づくりでもあります。その人一人ひとりが今までできなかったことができるようになるということが底力を引き出すということであり、それは被災した皆さんが職についていくということもそうで、困難な中で生活していくということもそうで、まちづくりができるようになるということもそうですが、そういう底力を引き出すということを進めるに当たって、県職員一人ひとりも今までできなかったようなことができるようにしていかなければだめだと思います。

 この、人、つながり、その先に豊かさが来るというのが希望郷いわて、いわて県民計画の視点、人、つながり、豊かさ。底力を引き出し、つながりをつくることで岩手らしい豊かな、そういう復興が実現していくということだと思います。

(2) 現世に浄土を本気で

 「現世に浄土を本気で」と書いています。平泉のことです。戦乱の荒廃の中で、東北を復興させていく中心に平泉がありました。そして、平泉をつくった皆さんは、藤原清衡公を初め、この現実の地に浄土世界をつくろうと本気で考えて平泉をつくったのです。最初の話に戻りますが、あってはならない犠牲が出た、大勢の方が犠牲になり、そこに申しわけないという思いが強くなれば、その人たちのためにも、いわば地獄のような状態が岩手に現出してしまったが、これを克服していくには、極楽といいますか、浄土といいますか、そういうものを岩手に実現しなければ、犠牲になった人たちに対して本当に申しわけが立たないと思います。そして、残された我々、難を逃れた皆さんや大きな被害を受けなかった人たちは、本当に力を振り絞り、その浄土、難しいことはないので、人と人との共生、人と自然との共生、そういったところをベースに、現世に浄土というものはつくっていくことができると思います。まさに過去の歴史を参考にし、あるべき未来に思いをはせ、そして今働いている、動いている、ほかの人たちが何をしているかということに思いを広げていけば、そんなに難しいことではないと思います。

(3) 世界(グローバル)補完計画 by ローカル

 最後、「世界(グローバル)補完計画byローカル」ですが、世界全体が、今どういう方向に進んでいいかわからない状態、EUがまさに今そうなっていますし、アメリカもそうです。アメリカも政党間対立が激しくて、今、国の財政とか、どう決めていいかよくわからない状態です。そういう中で、世界のあるべき姿というのを世界全体の中で決めるAPECの首脳会議もありますが、むしろこの復興の現場でこそ人類のあるべき姿、世界のあるべき姿ということが明らかになっていくのではないかという手ごたえを感じています。人のあるべき姿、行政のあるべき姿、社会のあるべき姿ということを、この復興の事業の中で、復興の現場において実現させていくことで、どうしていいかわからないグローバルな経済や社会のあり方について、それはこうでありましょうという発信ができると思います。

 そういうところまで視野に入れて、この復興ということに取り組んでいってほしいと思いますし、今までの動きからして、岩手県職員にはそれができると思っております。そして、岩手県民にもそれができると思っております。できるはずのことができないとすれば、それは県の幹部、知事も含めての責任ということになります。まず、より真剣になって、そういうなすべきこと、やるべきことをしっかりやっていきましょうということで、知事講話を終わります。

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