令和2年度部課長研修 知事講話

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ページ番号1049863  更新日 令和4年2月9日

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とき:令和3年1月20日(水曜日)
ところ:アートホテル盛岡 3階 鳳凰の間
演題:「孟子入門」

「孟子入門」

 孟子入門ということですが、最近、「達増知事が若者にすすめたい本を紹介してほしい」と求められまして、『いわてダ・ヴィンチ』のインタビューだったのですが、人生論で良いものがないかと記憶をたどったところ、『孟子』を思い出しました。それを『いわてダ・ヴィンチ』でも紹介したのですが、「論語・孟子」というふうに、孔子の『論語』と並び称される、『孟子』です。
 現代日本において、『論語』はまだしも、『孟子』はほとんど読まれていないのではないか、とも思いますが、『孟子』の方が、『論語』よりも叙述が明快で分かりやすいです。そして、『論語』のエッセンスを『孟子』を読むことで知ることもできます。中国の戦国時代を舞台にしたマンガ『キングダム』がブームになりまして、最近の若者はその時代、春秋戦国時代の書である『孟子』に抵抗感がないのではないか、とも考えました。
 孟子は「性善説」で、理想主義と言われますが、実は、中国の春秋戦国時代に徹底的に学んだリアリスト、現実主義者であると言っていいと思います。当時の古代中国の状況は、今日の国際社会に似ていまして、現代的な意義があると思います。最終的には、秦の始皇帝が統一しますが、そこまで500年くらい統一されずに、大国もあれば小国もあると、大国の中でも、時々、超大国がでてきたりしまして、今の国際政治情勢にも似たところもあると言えます。
 また、孟子の教えは、「お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて」に通じるものでもあります。
 というわけで、この機会に、孟子について広く紹介しようと、簡単にまとめてみました。 

1 利益より仁義が大事

 孟子の言行をまとめた書である『孟子』。その冒頭は、遊説家・孟子が、戦国の七雄の一つ、「梁」の恵王、この「梁」というのは「魏」のことでありまして、「魏」の恵王と言っても良いのですが、『孟子』には「梁」の恵王としてでてきまして、その恵王に面会した時のやり取りから始まります。
 王が、「はるばる会いに来てくれて、どんな利益を与えてくれるのか。」と問うたのに対し、孟子は「なぜ利益を口にするのですか。大事なのは仁義だけです。」と述べます。君主にとって大事なのは、「利益」ではなく、「仁義」であると、『孟子』は冒頭で宣言します。
 「仁」は、孔子の言行録『論語』で、最重要視されている徳です。キリスト教で言えば「愛」、仏教で言えば「慈悲」、また、我々の日常生活で言えば「思いやり」のようなものです。
 「義」は、正義の「義」で、「筋道を通すこと」というような意味です。仁ほどではありませんが、義も『論語』の重要な徳で、孟子は、仁と義をセットにして、「仁義」として、最重要の徳としました。
 孟子は王に、「自分を大事にするように民を大事にし、自分の親や子を慈しむように民を慈しめば良いのです。それは誰にでもできます。」と言い、「そのようにしないのは、しようとしないからであって、できないからではないのです。」と畳みかけます。
 ちなみに、この講話での『孟子』の本からの引用は、著作権上の問題を避けるために、私なりの訳で現代語に訳しています。
 さらに孟子は、「民を大切にすれば、民は生産にいそしみ、国を富ませ、戦(いくさ)となれば力を尽くして戦います。」と述べます。お気づきかもしれませんが、ここで孟子は、実は、利益を述べています。冒頭の話と一見矛盾しますが、孟子が否定しているのは、利益を第一に考える、あるいは利益しか考えない、ということです。仁義を大事にすること、仁義に集中することで、結果として利益も得られるというのが、孟子が説く人の道であり、国家経営の道なのです。それは単なる理想主義ではなく、徳を追求することで利益が得られるという、現実主義、リアリズム、もっと言えば、理想と共にある現実主義、あるいは現実に即した理想主義、と言えると思います。

2 徳が利益を生む徳治

 君主の徳が利益を生む「徳治」のメカニズムを、孟子は次のように説いています。
 「賢人を尊重し、有能な者をとりたて、優れた者を高位に付ければ、天下の志ある人は、喜んで働くことを願う。市場で、商品税は取らないようにすれば、天下の商人が、喜んで店を出そうとする。関所で、身元確認はしても税を取らないようにすれば、天下の旅人が、喜んで訪れることを願う。農民には、公田の耕作を義務づけるに留めて私田に課税しなければ、天下の農民は、喜んでその国に田を持とうとする。家に対して追加的な税をかけなければ、天下の民は、喜んでその国の民になろうとする。このようであれば隣国の民からも慕われるようになり、隣国の君主が兵を向けようとしてもうまくいかない。天下に敵無しとなるだろう。」
 徹底的な減税論であることも興味深いですが、本題であります、この「徳治」のメカニズムの胆は、志ある人、商人、旅人、農民、住民、等々、「民をその気にさせる」、「民にその気になってもらう」ということです。言い換えると、「民の心をつかむ」、「民の心を動かす」ということです。
 孟子は言います。「その心を得れば、民を得る。民を得れば、天下を得る。」言い換えると、「天下を得るには民を得ればよい。民を得るには民の心を得ればよい。」ということです。「民の心」が全て、というのが孟子の統治論です。地方自治もそうだと思います。「住民の心」、「県民の心」が全てです。危機管理においてもそのとおりで、新型コロナウイルス対策の決め手も、「民をその気にさせる」、「民にその気になってもらう」という、「民の心」だと思います。「民の心が全て」という孟子の確信は、「国家を支えるのは民」という現実認識と、「民の心を得ることができるような徳は、誰でも自分の中に育むことができる。」という現実認識に基づいています。

3 国家を支えるのは民

 孟子は、「民が最も尊く、国家はその次であり、それらに比べると君主は軽い。多くの民に支持されてこその君主であり、国家を危うくする君主は替えるべきである。」と断言します。これは古代にしては大変ラディカルな思想ですが、中華流の革命論として、中国史に脈々と流れる思想です。
 「民にとってダメな君主は替えてよい、替えるべき」というのは、アメリカ合衆国の『独立宣言』でもうたわれています。「民主主義」と言って良いでしょう。新渡戸稲造が『武士道』で、この孟子の「民主主義」が日本の武士階級にも知られていた、ということを紹介しています。
 孟子は、「舜も人なり、我も人なり。」とまで言っています。「舜」は、徳によって天下を治めたという、古代中国の伝説の聖人です。そういう「舜」と自分を並べて、「舜も自分も同じ人間」であるという思想です。
 アメリカ独立戦争やフランス革命の「民主主義」は、ヨーロッパで「ルネサンス」の人間中心主義に「宗教改革」の信教の自由が加わり、「自由」と「平等」、「個人の尊厳」や「基本的人権」という価値観が広がって、虐げられた人々が立ち上がり、体制打倒の革命を起こす中から生まれました。これに対し、孟子の「民主主義」は、孔子や孟子やその弟子たちが、古代中国の春秋戦国時代という治乱興亡の時代を観察・研究した結果、たどり着いた結論である、と言えるでしょう。
 『孟子』には、戦国七雄の一つ、一番東にある大国「斉」、の脅威が迫っている小国「滕(とう)」に、孟子が助言を求められる場面があります。「斉」とまともに戦っても勝ち目はない「滕」の君主に、孟子は「努めて善を為さんのみ」と、善政に徹することを助言します。かつて中華を指導した「周」が天下を取る前に、一時圧迫されて辺境の小領地に移ったことがあり、善政を求めて民がついてきたという故事を紹介し、そのように善政を貫けば、自分の代ではなくても、子孫の代に失地を回復して繁栄することもある、と説きました。
 孟子は別の箇所で、「力に頼る覇道は大国である必要があるが、人徳で治める王道は大国でなくてもよい。かつて中華を指導した『殷』も『周』も、最初は小国で、王道を進んで天下を治めた。」とも述べています。「覇道」と「王道」を比較しているわけです。
 春秋戦国時代には、力まかせの覇道を進む大国が、お家騒動で滅亡したり、無茶な戦争に大敗したり、それらの結果として王が非業の最期を遂げた例が、いくつもあります。そして、有徳の王道を進む小国が、名君の下で長期間に渡って平和と繁栄を得た例もたくさんあります。弱肉強食の時代であっても、「徳」や「大義名分」が、少なからず求められていたということです。それは、生産や戦争の担い手である民の力を引き出すには、力で脅すやり方よりも、「徳」によるやり方の方が効果的、という実例があったからでしょう。
 「徳」という建前を捨てて、自己の利益を最優先にして、謀略の限りを尽くすという個人の生き方や国家経営は、古今東西、主張され、実例も多いですが、一時的に成功を収めても、永続は難しいというのが歴史の教訓ではないでしょうか。今日はトランプ大統領の最後の日になっておりますけれども、現代アメリカのトランプ大統領の「アメリカファースト」、ひいては「自分ファースト」をめぐる様々な問題にも通じる主題ではないでしょうか。
 自己の利益を最優先にして、自分以外を全て敵とみなして、敵の敵は一時的に味方にする、というようなやり方で、戦略戦術の限りを尽くして世を渡ろうとするのは、よほどの優秀さがないとうまくいきません。しかし、人間はしょせん全知全能ではなく、どこかで必ず失敗します。誤りをおかす存在です。「自分ファースト」の利益主義は、相手を出し抜き続けなければならない戦略であり、現実主義的なようでいて、実は非現実的なのではないでしょうか。
 春秋戦国時代の治乱興亡の中に、孟子は、民の力を活かせる君主、そのような君主を民が支持する国こそが、強い国であり、平和と繁栄を得ることができる、ということを見出したのです。全知全能ならざる人間にも、それは可能であり、目指すべきものです。それは、人間というものが、誰もが徳の端緒を持っていて、徳を拡充することができ、それを極めれば天下を治めることも可能だからです。

4 徳の端緒、徳の拡充

 『孟子』には、「四端の説」という有名な論があり、孟子は次のように説いています。
 「人に忍びざるの心、あるいは惻隠の情は、全ての人に備わっている。惻隠の心は『仁』の端緒である。同様に、羞悪の心は『義』の端緒、辞譲の心は『礼』の端緒、是非の心は『智』の端緒である。仁義礼智の四つの端緒、四端である。四端から始めて、仁義礼智を拡充していけば、いくらでも大きな徳を身に着けることができる。」
 これが「四端の説」というものです。
 「惻隠の心」は、かわいそうと思う気持ちですから、「仁の端緒」です。「羞悪の心」は、恥ずかしいと思う気持ちで、これは、イコール正義感でありますので、「義の端緒」になります。「辞譲の心」は、自分は控えて相手に譲る気持ち、礼儀正しさですから、「礼の端緒」ということになります。そして「是非の心」は、良し悪しを区別する気持ちですので、「一足す一は二で良いか悪いか」というような、そういう良し悪しを区別するということで「智の端緒」になるわけです。
 「仁義礼智」と四つ出てきていますけれども、ざっくり言いまして、「礼」は「仁」が外面に出たものです。「仁」が外面に出て「礼」となる。「智」は「義」を確かにする知的能力であり判断能力ですので、「礼智」というのは「仁義」に含まれると言って良いです。「仁義礼智」というのは、突き詰めれば「仁義」に尽きるということで、『孟子』の冒頭では「大事なのは仁義だけ」と言っています。ちなみに、孔子の『論語』では「仁」というものが「義」を含むような使われ方をしていまして、『論語』、『孟子』を突き詰めると、人の徳は「仁」の一字に尽きる、というふうにも言われます。
 人間の精神作用というものを分けて考えると、いろいろ便利なこともありますので、「知情意」とかいいますが、知的、情緒、意志、「あの人は知は優れているけれども、情緒が弱い」ですとか、「あの人は知も優れていて、情緒も豊かだけれども、意志が弱い」ですとか、分析的に評価する場合、人の精神作用である「知情意」の三つに分けると、便利ではあるのですけれども、ただ「知」というのも、情緒から離れた純粋な「知」というものも、ないんですよね。やっぱり、感受性のようなものがないと、「知」というのは上手くいかない。そして、「意志」というものも、「知」や「情」から離れて「意」があるわけでもありませんので、実は「知情意」というものは、純粋に分けることができないというところもあります。
 人間の「徳」というのは、突き詰めれば分けることはできない、一言で言って「仁」というふうに、儒教の中では言うわけですけれども、ただ「仁」とだけ言っていると、分かりにくいところもありますので、孟子の場合は少なくとも「仁義」の二本立てでいくわけですね。さらに自分の徳を高めていくための普段の実践からすると「礼智」も合わせて四つの徳で、日々の暮らしを律していくのが都合が良いということで、「仁義礼智」と分けています。
 さらにそこから派生させると、「忠信孝悌」と、「仁義礼智忠信孝悌」という、子どもの頃、NHKの『新八犬伝』を見た人は、「仁義礼智忠信孝悌」という歌も思い出すのではないかと思いますが、八つの徳にまで増やすことができるのですが、四つくらいがちょうど良いと思います。突き詰めていくと、「仁義」の二つになり、さらに突き詰めると「仁」に尽きるわけですけれども、孟子は、「人には皆、人に忍びざるの心がある。人に忍びざるの心で、人に忍びざるの政を行えば、天下を治めることは、天下を手のひらに乗せて転がすようなものである。」とも述べています。人に忍びざるの心とは、即ち「仁」でありますので、「仁」の政を行えば、天下を治めることは、天下を手のひらの載せて転がすようなものである、ということです。
 国を治め、天下を治めるような徳も、誰もが持っているような端緒から拡充して育むことができるのです。『孟子』は「惻隠の情」の例として、「井戸に小さな子どもが落ちようとするのを見れば、誰でも利益と関係なく、助けたいと思い、助けようとするであろう。」と述べています。この例は、実感を持って納得できるような説得力があるのではないでしょうか。そのような自然な「仁」を、自分の身内、すなわち家族、そして周囲の人々、さらに地域、国家、天下、と押し拡げていけばよいという考え方は、人生の指針として、希望が持てるものではないでしょうか。
 ちなみに「徳」を量として捉えている点が、「幸福」を量として捉える「いわて県民計画(2019~2028)」の考え方と共通しています。
 全か無か、あるかないか、というふうに捉えるのではないのです。幸福があるかないか、幸福か幸福じゃないか、という両極端で捉えないのが、我々の県民計画ですし、徳があるかないか、徳が全か無か、というふうに考えないのが、孟子の考え方であります。
 量でありますから、どのくらいあるのか、という捉え方ですね。今このくらいある、とか、こうすればもっと増やすことができるだろう、とか、今このくらいあるぞ、という自信、そして、こうすればもっと増やせるぞ、という希望、それにつながる考え方だと思います。
 それから、経済の問題で、「市場原理」というものも、『孟子』の観点から見直すとよいのではないかと思います。「市場メカニズムで経済は最大限効率化される」という近代経済学の原則でありますが、この理論は、「経済主体は自己の利益を最大化するように行動する」という人間観、社会観を前提としています。人間はそもそも「自分ファースト」の利己的な存在であり、それでこそ、自由競争と市場メカニズムで経済は最適な状態になる、「神の見えざる手」だ、だから皆が自己利益を追求していればよい、という理論ですが、これは、前提がおかしいと思いませんか。
 人間は、本当に利益のみに生きる者なのか、そのような人間観で、本当に世の中がうまくいくのか、という疑問は、きわめて自然な疑問です。『麒麟がくる』の次の大河ドラマは、渋沢栄一が主人公ですけれども、渋沢栄一は『論語と算盤』という本を書いていまして、やはり儒教倫理を経済活動に取り入れるんですね。経済活動も、「仁」や「仁義」を基礎にする方が自然であり、上手くいくのだと思います。

5 千万人といえども我行かん

 「四端」という、自分の中にある善性に気づくこと、そして実践を通じて、その善性を拡充して徳として高めていくこと、その経験の積み重ねが、「自分が正しい」という確信につながっていきます。それが軌道に乗ってくると、孟子の道は留まるところを知りません。
 「自ら省みてなおくんば、千万人といえども我行かん。」と孟子は言っておりまして、「自ら省みて正しいと思うなら、千万人が相手でも私はやるぞ。」と。これは一千万人なのか千人なのか一万人なのか、いずれ何人でもということですね。何人が相手でも、私はやるぞ、ということです。
 孟子は苦労を厭いません。「ある人に、天が大任を下そうとする時は、まずその心や志を苦しめ、筋骨を疲労させ、体を飢えさせ、努力を空(むな)しくし、混乱させる。これは、心を本当にその気にさせ、性分を忍耐強くし、できなかったことをできるようにするためである。人も国も、苦しみを乗り越えて、偉大なことを為すものだ。」と言っています。
 自分がやっていることに自信がある孟子は、他人を責めません。「人を愛しているのに相手が親しんでくれない時は、自分の仁を反省せよ。人を治めて治まらない時は、自分の智を反省せよ。」仁義礼智の智ですね。「相手が思うようにしてくれない時は、自分自身を反省せよ。自分自身が正しければ、天下も従うものだ。」と言っています。
 そのような孟子は、結果を問いません。「天下に道があれば道と共に世に出ればよく、天下に道がなければ道と共に隠れていればよい。」、「意図しなくても、そうなるのが天。求めなくても、来るのが命。」と言っています。人事を尽くして天命を待つ、という境地です。
 こうなりますと、話は最初に戻り、「利益よりも仁義」、即ち、「仁義と共にあれば利益は問わない」という境地になります。
 それがリアリズム(現実主義)なのか、という疑問がわくかもしれませんが、突き詰めて考えれば、世の中というものは不確かなものであり、絶対成功する道、というものが、あるはずがありません。全知全能ならざる人間が、不確実な世界で、絶対を求めることこそ非現実的であり、そのことを分かったうえでベストを尽くすのが、孟子のリアリズムであります。
 しかし、人間は「全知全能」ではありませんが、「良知良能」がある、と孟子は言います。これが「四端の説」と並んで、孟子の説で特徴のある「良知良能の説」であります。
 「学ばなくてもできるのが『良能』、考えなくても分かるのが『良知』。小さな子でも、親を愛することができ、成長するにつれて、年上の兄弟を尊敬することを知る。学ばなくても仁ができ、考えなくても義を知る。」ということですが、「良知良能」というのは、理解するのが簡単ではなく、また、誤解しやすい考えでもあります。
 「良知良能」の説は、中国明代の儒学者、王陽明が発展させて、日本にも伝わり、幕末にブームになります。「千万人といえども我行かん。」という孟子の言葉も合わさって、幕末の志士たちを駆り立てる思想となりました。
 吉田松陰が代表ですね。ただこれは、真心さえあれば、誠を貫いてさえいれば、何をやっても良いのだ、という過激な行動主義につながってしまったという面もあります。「良知良能」ということだけで突っ走っては駄目でありまして、あくまで「仁義礼智」に即して「徳」を拡充するところに、「良知良能」を働かせるようにしなければなりません。
 「全知全能」という言葉と対比させれば良いと思います。神とか仏とかは「全知全能」なのでしょうが、人間というのは、決して「全知全能」ではない。しかし、人間は色んな良いことをしますし、色んなことを上手くやったりします。それを「良知良能」というわけですね。「全知全能」ならざる人間は、それでも色んなことをうまくやる、それを「良知良能」と言うわけでありますけれども、それはあくまで、「四端の説」との組み合わせで、「仁義礼智」の端緒を拡充していく実践と共に意味を持つのが、「良知良能」の説であります。
 理論と経験に基づいて達観している孟子には、余裕があります。「音楽の神髄は、仁と義の調和である。音楽を楽しめば、自然に仁義の道を進みたくなる。」と言っています。ちなみに、孔子も音楽を愛好していまして、孔子とその弟子たちは、音楽を非常に愛好し、色々演奏したり、聞いたりしていました。
 孟子は、「私は『浩然の気』を養うのが得意だ。正義の道を進んでいれば、『浩然の気』は自然にわいてきて、うまく養えば天と地の間に満ちるものだ。」と言っています。
 盛岡一高の校歌に出てくる「浩然の気」ですけれども、これは「拡充」ということをイメージするのによい例えなのだと思います。孟子が使い始めて、その後、儒教倫理に親しむ、そういう人たちの間に広まった言葉であります。
 孟子は、自分の体を大事にすることを説く余裕もあります。体を大事にするというのは、リアリズム、現実主義の基本だと思います。「木を育てる時には、とても手間暇をかけるのに、自分の身体にそうしないのは、考えが足りない。」と言っています。自分の身体にも手間暇をかけて、大切にするよう述べているわけです。

6 孟子の自由主義

 孟子は、道を強制しません。仁義を押し付けません。「去る者は追わず、来る者は拒まず。」この言葉は、孟子にはっきり書かれています。「去る者は追わず、来る者は拒まず。」自由です。
 仁義礼智の端緒は全ての人にあるのですから、強制する必要がありません。「良知良能」で、自然に分かり、自然にできるはずです。ただ、適切な教えがあれば、端緒を拡充して徳を高めることが、より上手にできるようになる可能性があります。だから、初心者に求められれば教えますし、また、王に求められれば説明します。しかし、その結果にはこだわりません。教育はするけれど、強制はしない。この点、意外にクールですが、孔子も同様でした。
 ここで強調しておきますが、儒教倫理というのは、本質的に強制してはならないのです。儒教倫理を押し付けるということは、論理矛盾でありまして、あってはならないこと、やれば不幸をもたらすことです。
 親が子どもに親孝行しろ、と言うことは、とんでもないことでありまして、儒教倫理というものに対する無理解、そういう押し付けが、せっかく孔子や孟子が、こうすれば上手くいくのにな、という体系を後の世に残しているのに、それが上手く伝わらない、使われないということに繋がっています。
 仁義の道を進んで徳を高めること、王道を進むことは、人間の主体性に根差していることであり、主体的に取り組む以外にありません。やらせられるものではありません。したがって、孟子の道は、本質的に自由主義的です。
 自由主義的で民主主義的な孟子の道であります。西洋の歴史は、近代になって、個人が理性によって自己の徳性を育て、人格を高めていく生き方を良しとする「啓蒙思想」の域に達しましたが、啓蒙思想が説く「人の道」と「孟子の道」は、よく似ています。「個人の尊厳」が基本にあります。啓蒙思想が、アメリカ独立革命やフランス革命など近代市民革命の土台になったことを思えば、孟子の道も、近代デモクラシーの土台になり得ると言えます。
 実際、日本が明治の近代化、立憲民主主義の成立にそれなりに成功したのは、「孟子の道」というものが、日本人に広く共有されていたからだと思います。自由民権運動のような、草の根デモクラシーが、あっという間に日本国内に広がったのも、この「孟子の道」というものが土台にあったからだと思います。この辺は、新渡戸稲造博士が、『武士道』の中で、孔子や孟子の教えというのは、武士道の中にあって、そこにこういう自由とか民主主義の理念もあったということを述べています。江戸時代の幕府の公式の儒学は「朱子学」という、形式論理重視の、秩序を大事にし、あまり行動に結びつかないような学問だったのですが、王陽明の「陽明学」というのは、「朱子学」のライバルでありまして、心を大事にし、行動を大事にするのが「陽明学」で、これが幕末、大いに流行って、「陽明学」というのは、孟子を重視していました。
 あとは、江戸時代、伊藤仁斎という儒学者がいまして、江戸時代の最も優れた儒学者と言っていいと思うのですが、その伊藤仁斎が、論語と孟子をまず読めと、極端にいえば、論語と孟子さえ読んでいればよいと、そういう儒学を教えていたのですね。これは分かりやすいし、そもそも伊藤仁斎は、庶民に儒教を教える人でありましたので、江戸時代、庶民にも、こうやって論語と孟子を組み合わせた儒教倫理というものが、広く広がっていったということがあります。
 今日においても、西洋近代の啓蒙思想、理性で人間の徳性を育てて、人格を高めていく、それが人の道だという啓蒙思想か、孟子の思想か、どちらかが基盤にないと、デモクラシーは機能しないと思います。
 アメリカのデモクラシーが、今、危機に瀕しているのも、アメリカの人たちが、孔子も孟子も読んでいないでしょうし、せっかくの西洋の啓蒙思想も、理性を最重要視する生き方、そこから外れているから、そうするとデモクラシーというのは機能しないんですね。
 我が国において、西洋流の啓蒙思想から、デモクラシーの精神を学ぶというのも良いのですが、実は、論語・孟子を読む方が、ずっと簡単ですので、そちらをおすすめしたいと思います。孟子を読めば、大体、論語も読んだことになるので、孟子さえ読めば、デモクラシーの応用において、大きく誤ることはないと言えると思います。
 思えば、江戸時代、論語・孟子に普通に親しんでいた日本人が、明治に入って、論語・孟子を読まなくなったのでしょうね。第2次大戦に向かっていく頃になると、論語・孟子を読まなくても、ロックやルソーを読めば良いのですが、じゃあ、日中戦争とか太平洋戦争とかを起こした指導者たちは、ロック・ルソーか、論語・孟子を読んでいたかというと、どっちも読んでいなかった人たちが多かったのではないかと思います。
 ただ、要所要所に、論語・孟子くらいは読んでいた侍みたいな人がいたり、ロック・ルソーを読んでいたような人たちもいて、そういう人たちが何とか日本をそれなりに支えていたところもあったのでしょうが、今、その時と比べて、その時よりも良い状態に日本はなっているのかどうか、反省しなければならないかもしれませんが、孟子を読むのは簡単にできますので、まずは孟子を読むことをお勧めしたいと思います。

7 尚友

 孟子が「尚友」というものを紹介しています。「書を通じて、古人を友とする。これを尚友という。」尚というのは、さかのぼるという意味です。昔のもの、古いものを並べたところを尚古館などと呼んだりしますが、孟子が、彼の思想、生き方を、育むことができたのは、孔子の『論語』など、先人の書いたものを、熱心に読んだところから始まって、書を通じて古人から学び続けたからこそです。孔子もまた、古を好む、などと論語で言っていまして、古を好んで、周王朝の建設者、周公を尚友としていました。
 皆さんも、ぜひ孟子を尚友として、仁義の道を楽しんでいただきたいと思います。

 最後に、参考文献の紹介です。
 一番簡単に手に入るのは、岩波文庫の『孟子』上下二巻になります。一見、量が多いように見えますが、原文があって、書き下し文があって、現代語訳がありますので、現代語訳のところだけを、まずは読んでいけば、そんなに読み終わるのに時間はかかりません。
 それから、宮城谷昌光という歴史小説家がいまして、全く読んだことがない、知らない、という方も多いと思いますが、なぜならば、古代中国の歴史小説ばかり書いているからです。その人が色々と書いている中で『楽毅』、楽毅という将軍は、三国志の諸葛孔明が、「管仲楽毅のようでありたい」というようなことを言っていて、この『楽毅』という本が、春秋戦国時代において、儒教倫理というものが、いかに大切にされ、そして、それらを大事にする人たちが良くなり、それらをないがしろにする人たちが不幸になっていくか、非常に豊かに描かれていて、この『楽毅』というのが、お勧めできます。楽毅という将軍は、春秋戦国時代の最高のヒーローの一人と言って良いでしょう。
 そして、『楽毅』の話には、孟嘗君という、中国戦国時代の最大の人物の一人が、楽毅のメンターのような形で、でてきます。
 楽毅と孟嘗君という二人の人物を通じて、孟子が学んだこと、孟子が語ったことの、歴史に即した、実践・応用を知ることができるでしょう。
 そして、もう一つすすめると、山岡荘八の『伊達政宗』ですね。文庫本で何十巻もある、あの『徳川家康』を書いたのが、山岡荘八です。それより短いのが『伊達政宗』で、山岡荘八が描く伊達政宗は、若い頃は、覇道をまい進するんですね。権謀術数の限りを尽くして、東北を支配し、そして秀吉と渡り合うと。それが、徳川家康の時代になって、山岡荘八は、徳川家康を、極めて徳の高い、戦国、安土桃山、江戸時代初期における最も徳の高い人物であるというのが、山岡荘八の設定でありますから、そういう人物である徳川家康に触れることで、伊達政宗がどんどん「仁」に目覚め、おのれの「徳」を高め、天下に向き合うようになっていくという話です。
 これは、今読んでも感じ入るところは多いですし、孟子が言わんとしたことというのは、山岡荘八の『伊達政宗』を読めば、自分のものにすることができるというところがあります。

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