令和4年度部課長研修 知事講話

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ページ番号1062543  更新日 令和5年2月28日

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とき:令和5年1月17日(火曜日)
ところ:岩手県民会館 中ホール
演題:「今日における県の役割」

「今日における県の役割」

1 地方の衰退は本当か

(1) 地方衰退のイメージ

 何となく、地方の歴史は衰退の歴史というイメージが、世の中にはあるのではないでしょうか。

 戦後、高度成長時代は、地方にとって、人材を都会に取られていた時代。低成長時代は地方も低成長。バブルが膨らんでそれが崩壊した後は、日本全体がぱっとしないわけですが、その中でも地方は、少子高齢化、人口減少がどんどん進んで、一貫して衰退を続けているようなイメージがあり、その間に無駄な公共事業で財政赤字を膨らませているというイメージもそこに重なってくる。

 今の地方を語るときにも、衰退のイメージがついて回るのではないでしょうか。人口減少問題から話が始まり、地方消滅という話もある。人口が減り続けているという、地方だけ見ても、衰退のイメージがあるのですが、東京、首都圏などと比較したときに、中央と地方の格差というのが、一向に縮まらないという言い方で、やはり地方は衰退しているというイメージがあると思います。

 あとは、農業が衰退しているというイメージ。地方イコール農業、地方イコール農林水産業で、その一次産業が衰退しているというイメージが、地方の衰退というイメージに重なってきている。

 

(2) 大谷現象

 私は知事の仕事をしながら、そういうイメージは実態と違うのではないかと思い続けていたのですが、その思いが決定的になったのが、大谷翔平君の活躍です。

 私は「大谷現象」と呼んでいます。地方が衰退しているばかりであれば、大谷翔平君のような人材が生まれ育つものであろうかということです。大谷君を生み育て、世界に羽ばたかせるだけの力が、実は地方にある、岩手県にあるのではないかと感じました。

 また、大谷翔平君だけではないわけです。菊池雄星君がいて、佐々木朗希君がいて、小林陵侑君、岩渕麗楽さん、伊藤ふたばさんという、そういう人たちが、岩手に生まれ育ち、世界に羽ばたいている。全部ひっくるめて「大谷現象」と呼びたいと思います。

 去年、サッカーワールドカップをテレビで見たのですが、世界に羽ばたいている若者は、岩手だけではないのだなと思いました。サッカーワールドカップの日本代表には、岩手出身の選手は入っていないのですが、他県出身の選手たちが、今までの日本のサッカー選手がやったことがないような、すごいプレーをして大活躍をしている。「大谷現象」というのは、岩手県だけではない。

 藻谷浩介さんが指摘していましたが、大谷君と並んでダルビッシュ有君も、宮城の東北高校から、北海道日本ハムファイターズに行って、そして、そこからアメリカに行っている。今や日本では、地方こそ、世界的にも活躍できる人材を育てる場所ではないかということです。

 文化芸術に目を移しますと、岩手県の合唱や吹奏楽、器楽のレベルも非常に高くなっています。また、パフォーマンス書道を書道部がやるようになっていますし、いろいろな県のイベントで、高校放送部の部員に司会をやってもらいますが、滑舌が良く、非常に声がよくて感心することがあります。また、郷土芸能も、学校や地域社会をベースに新たな発展があり、若い人たちが、昔できなかったことができるようになっていることを実感します。

 年末年始に、藤井風君を発見しました。岡山県に生まれ育って、東京など大都会に出なくても、地方から、広く国際的にも人気があるアーティストとして活躍していて、そういうことが、今、日本で起きているということです。

 

(3) 失われた20~30年と地方

 失われた20年、失われた30年という言い方があります。大体バブル崩壊を起点にするのですが、バブル経済が崩壊して、そこから、日本経済が低迷を続けて、政治も社会もぱっとしないというイメージです。経済の低迷、政治の混迷、様々な改革の失敗というふうに、特徴づけられます。

 この間、バブル崩壊後の1990年代、世紀が変わって2000年代、そして2010年代の30年間、地方においては、文化・スポーツの発展、生活の向上、また、障がい者福祉の改善など、非常に発展が見られたのではないかと思います。

 農業については、ここ20年間で、日本全体で、経営体数が半分に減っているのですが、そこだけ見て、農業の衰退は著しいというイメージが持たれるわけですが、20年間、生産額はほぼ横ばいなので、日本全体として、1人当たりの生産額はぐいぐい伸びているということになります。

 そして、ここ20年、30年での農産物の品質の向上というのは著しいものがあり、これは皆さんも実感するのではないかと思います。とにかく美味しくなっていますし、見た目もどんどん綺麗になっていって、もう、宝石のようなお米であったり、果物であったり、野菜であったり、そういうものを日本の地方は生産できるようになっている。

 象徴的なこととして、NHKの「明るい農村」という番組が、昔あったのですが、これが今、「うまいッ!」という番組になっています。「明るい農村」は、農村の苦労話的な内容だったと記憶していますが、それが、いかにクオリティの高い、すばらしいものを生産しているかという産物自慢番組に移り変わっていて、日本の農業というのは、そういうふうに変化してきている。それが、日本の地方の変化を反映しているということでもあります。

 そこで、明仁様が天皇陛下の時に、平成15年、2003年に詠まれた御製「我が国の旅重ねきて思ふかな 年経る毎に町はととのふ」が、実態をあらわしているのではないかと思います。明仁様が天皇陛下になられて、47都道府県を回り終わった時の実感です。

 今の上皇陛下、明仁様は、非常にストレートな短歌を詠まれます。希望郷いわて国体を詠まれた御製は「大いなる災害受けし岩手県に 人ら集ひて国体開く」。もう、これ以上、付け加えるべきものもなければ、取り除くべき部分もない。日本における、地方の発展について、素直に、ストレートに詠まれた歌、それが、この「我が国の旅重ねきて思ふかな 年経る毎に町はととのふ」だと思います。

 

2 80~90年代の地方の発展 

(1) 高速大量交通時代

 1980年代から1990年代の地方の発展を振り返ってみますと、岩手県においては、「高速大量交通時代」と呼ばれるものがありました。1980年代から1990年代というのは、東京から見た全国共通のイメージとしては、バブルが膨らんではじけた、良くなかった時代というイメージであります。しかし、その間、地方は大いに発展したと言えるでしょう。

 岩手県の場合は、1980年代に、新幹線と高速道路が、東京と岩手県を結ぶようになります。こういうことは、日本のあちこちで、当時、起きていたわけです。そして、この新幹線と高速道路を基盤として、岩手県に対する投資が盛んに行われるようになりました。

 

(2) 地方への投資、地方でのイベント

 盛岡市内に生命保険ビルが、どんどん建ったのですが、建つ前と建った後の盛岡は、都市としての機能が、全然違うと言っていいと思います。

 そして、山の方では、リゾート開発です。安比の開発が有名ですし、雫石も中央資本によって開発されました。そして、夏油もまた中央資本によって開発が進んだところです。

 そのように、オールジャパンの民間資本が、都市で、また、リゾートで盛んに投資をして、岩手県が大いに発展したのですが、その間、公共事業も盛んに行われました。県や市町村が、文化施設やスポーツ施設、その他、交流拠点施設をどんどん建設したのです。こういった公共事業は、1990年代から2000年代にまで続いて、2000年代に県立美術館や県立大学ができて、オープンしています。

 そして、そのような民間と公共の投資による様々な社会基盤の発展をベースにし、イベントが盛んに行われたのが、岩手県の場合、1990年代です。1990年代に、岩手県に全国規模、国際規模の大型イベントが続きました。4大イベント「ねんりんピック」「三陸・海の博覧会」「アルペンスキー世界選手権盛岡・雫石大会」「国民文化祭いわて」です。

 リゾート投資、都市への投資、これは民間ですが、公共の様々なスポーツ施設、文化施設、交流拠点施設といった箱物の整備、これらは、都道府県によっては無駄な投資だったと批判されているものもあります。イベントについても、非常に赤字を生んで、あれは失敗だったというふうに批判の対象になっている地方イベントの例も、都道府県によってはあります。岩手県の場合は、「三陸・海の博覧会」は、予想以上にお客さんが来て、黒字が積み重なって、三陸基金として積み立てられ、今でも残っています。岩手においては4大イベントは、基本的に成功し、その後に役に立っていると言えます。

 

 (3) 黄金の1995年

 地方ではむしろ発展を見ていた1980年代から1990年代、そのピークが1995年だったと言えるでしょう。黄金の1995年と呼んでいいと思います。岩手県のいわゆる人口流出、人口の社会減が一番小さかったのが、1995年で、329人の減です。

 ちなみに、この年に私も東京を引き払って、岩手、盛岡に妻と子供と3人で、Uターンをしました。我々3人がそれをしなかったら、332人の減少だったのが、3人減少が減り、329人になったのが1995年です。この年は、全国的にも人口の地方回帰が顕著で、最高水準だったと言えます。

 地方から都会への人口流出というのは、一定のペースではないんですね。都会、ひいては日本全体が抱いているイメージとしては、人は地方や田舎を嫌がり、都会に出たがるものなので、一定のペースで、とうとうと地方から都会に向かう人の流れがあるのだというイメージだと思うのですが、実は、そんなことはありません。時代によって、年によって、人口移動が全然違います。大ざっぱに言いますと、偶数10年代と言いましょうか、1960年代、1980年代、そして2000年代が、都会に向かって東京一極集中が加速した時代です。その間の奇数10年代、1970年代と1990年代は、地方回帰が進んで、地方から中央への人の流れが少なくなった時代です。そのサイクルからいきますと、2010年代は、本当は地方回帰の時代であるべきだったのですが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、2010年代は東京への民間投資や政策的な誘導が起きていたので、逆に、東京一極集中加速の10年になりました。

 民間や公共の投資が人口にも影響するわけで、経済財政政策で地方から中央への人の流れというのは変えることができるはずです。かなりいい線だったのが、1990年代ということです。繰り返しますが、全国共通の東京から見た歴史感として、1990年代はバブルが崩壊して、どんどん悪くなっていったというイメージがあるのですが、地方では、その後の躍進の基礎が築かれていた、そういう時代だったと言っていいと思います。地域によっては、失敗もあったし、あまり発展しなかったところもあったでしょう。ただ、岩手県については、かなり上手くいった1980年代、1990年代だったのではないでしょうか。

 なぜ、東京を中心とした日本全体のイメージだと、そういう地方の発展を評価しないのでしょうか。財務省を中心とした政府の方針として、国から地方への予算を増やしたくない、増やしても無駄なのだという印象を広めたいという思惑というか、潜在意識があるのかもしれません。1980年代、1990年代は国のお金、中央のお金がどんどん地方に投資されたことで、地方は、大いに発展し、人口流出も減ったなどということが共通の認識になると、今からそれをやりましょうと大型財政出動が国に求められてしまう、それを避けたいところが政府にはあるのではないかと思われます。

 2010年代が本来、地方回帰の10年になるはずだったのが、東京一極集中加速になりました。2010年代は、地方創生をやった時代でもありますが、地方創生の基本的なルールとして、地方交付税交付金を増やさない、そして、地方での公共事業を増やさない、厳密には若干増えているのですけれども、1990年代みたいに激増させれば、それだけの効果があったと思うのですが、しなかった時代でもあります。

 

3 平成30年再考

 (1) 「失われた30年」で、失われない「地方」

 失われた30年という言い方と、平成30年はどんな時代だったかという回顧がだぶりますが、平成の30年がそのまま失われた30年で、経済の停滞、政治の混迷、改革の失敗に特徴付けられる30年になってしまったわけです。

 しかし、この間、地方においては、文化スポーツ施設、交流施設の充実、また、学校、病院、福祉施設など、より身近な施設も、平成30年の間にどんどん充実していって、地方の生活水準が向上したのが、平成の30年間というふうに見てもいいのではないかと思います。

 振り返ると、平成の天皇である明仁様が「我が国の旅重ねきて思ふかな 年経る毎に町はととのふ」という、平成の時代だったと言えるでしょうし、大谷翔平君、菊池雄星君、佐々木朗希君、小林陵侑君、岩渕麗楽さん、伊藤ふたばさんというような人たちが、岩手県に居ながらにして、それぞれの競技に関して、日本最高水準、国際水準のトレーニングとか、コーチングとか、様々な情報を入手することができ、必要な行動をとれる、人によっては、海外遠征もできるという基盤が、地方に作られた平成の30年です。大谷、菊池、佐々木、小林、岩渕、伊藤というような人たちは、平成の30年の中で、生まれ育って、羽ばたいていっているわけです。

 岩手の場合、さらに、人口密度が低く、ストレスが少ない日常生活であるとか、空気、水、食べ物が非常によいなどの、プラスの面がさらにあります。

 

(2) 東京における地方イメージ

 地方衰退のイメージが、東京で作られています。

 そこには、東京の人たちが地方を知らない問題もあると思います。悪気なく地方の実態を知らないので、地方のいい部分を知らない、だから、地方イコール衰退と思い込んでしまっているということです。

 国の復興推進委員会の委員さんが、被災三県、岩手、宮城、福島の被災の復興現場を視察するということを毎年やってくださっているのですけれども、その中で、私が非常に印象的だったのは、専門高校のレベルの高さに、委員の方々が驚いていたんです。それぞれの専門においては、日本を代表するような学者・有識者なのですが、工業高校、水産高校、農業高校、商業高校といった専門高校の現場を、見たことがある人はほとんどいなかったようなんです。授業の中身、実習で使う機械類のレベルも高いし、生徒たちのレベルも高いということに驚いていたんですね。やはり地方が知られていないということが、実態としてあるのだと思います。

 駅周辺だけでは、その地方を見たことにはなりませんし、街道沿いの全国にあるファーストフードのお店、ファミリーレストランとかばかり見ていても、地方というのはわからない。地方を本当に理解するには、やはり地方の生産の現場ですよね。農林水産業をはじめ、財やサービスの生産の現場まで見ないと、地方のよさとか、力とかはわからない。東京の人たちには、地方というのがなかなか知られていないと言っていいと思います。

 岩手は、宣伝下手とよく言われるのですが、他の県が宣伝上手かというと、例えば、幸福度ランキング一位の常連である福井県の、どこがすごいかというのをぱっと言える人は少ないと思います。むしろ、我々は同業者なので、東京の人たちよりは、我々の方が福井のよさを知っているのではないかと思いますが、東京の人たちに福井のどういうところがいいかと聞くと、なかなか出てこないのではないのでしょうか。

 栃木、茨城が、都道府県魅力度ランキングの最下位争いで有名になりましたけど、栃木、茨城で国体が開かれて、両方、私が行っているのですが、それぞれやっぱりよいところ、いいものがいっぱいあって、栃木も茨城も、それぞれ大変魅力的な県だなと思いました。

 地方のことを知らないがゆえに、また、政策的に地方に投資しても無駄だみたいなイメージが作られたりすることもあったりして、どうせ地方にいいものはない、地方が発展しているわけがないというステレオタイプ、固定観念ですね、これが、東京の人をはじめ日本全体を広く覆っているのではないかと懸念します。

 

4 地方の近代150年史

(1) お国のための地方→地方のための地方→個人のための地方

 地方の近代150年の歴史をざっと振り返ってみます。

 結論的には、昔は国のための地方、それが地方のための地方になり、そして、今では、個人のための地方になっているのではないかということです。

 明治、大正、昭和の戦争までは、地方の資源と人材は、基本的に富国強兵に使われていたわけで、岩手県もそうです。地方は、お国のため、と言っていいと思います。

 昭和の戦後、そして、平成にかけてですが、ようやく地方は、地方のために開発に勤しむことができるようになり、そして今、個人のため、平成から令和にかけては、個人が地方をベースにして、全国や海外も含めて、自由に活躍することができるという時代になってきていて、地方の存在意義というのが、お国のためから地方自身のため、そして、今や個人のためというふうに、発展してきているのではないかと思います。

 

(2) 原敬の「積極主義」=財政出動による地方の発展と、国際協調

 日本全体が、150年かかって到達した個人のための地方という地点に、100年前にもう少しというところまで迫っていたのが、原敬さんだと思います。

 原敬首相は、積極的な財政主導で、鉄道などのインフラを、地方にどんどん整備して、地方から産業振興を進めて、国を豊かにしようというビジョンと政策を持っていました。地方重視の内需拡大型の経済成長戦略を、原敬さんと政友会は持っていて、かなりの程度、実現もしたわけです。

 地方を発展させて、内需拡大型の経済成長路線に乗りますと、植民地に頼らなくても経済が発展していきますので、国際協調主義にも通じる、そういうやり方なんです。植民地主義を進める国というのは、国内的にも、地方がほったらかされていて、中央と地方の分断があって、宗主国と植民地の分断があるという傾向があるのですが、原敬さんが目指していたのは、そういう分断がないように、地方から、国を豊かにしていくことです。原敬さんの東京駅遭難がなければ、かなり順調に発展していって、国も地方も、すべては個人のためというような民主主義国が、もっと早く日本で実現していた可能性もあったのだと思います。

 

5 今日における地方自治体の役割

 (1) 個人のための地方自治体

 今日における地方自治体の役割という、本日の主題になりますが、個人のための地方自治体ということで、地方の役割は今、自由な主体性を持つ個人の、暮らし、仕事、学びのベースとして役に立つことなのではないでしょうか。

 個人の側から見ますと、地方自治体というのは、いわば戦略的に活用すべきもの、それがふるさとなのだと思います。

 江戸時代の封建時代は、生まれた場所や生まれた家の職業に一生を縛られたわけですが、明治維新以降、人々は、移動の自由や職業選択の自由を持つようになり、戦後、日本国憲法によってより強化されました。技術的にも、新幹線や高速道路、そういう時代になってきますと、出生地には縛られずに、個人はいかに自己実現していくかということになってきます。ただ、やはり出生地というのは、個人にとって戦略的に有利で、地縁・血縁がありますし、土地勘とか、人脈とか、生活をするにせよ、仕事をするにせよ、あるいは学びにせよ、やはり出生地が有利ということが一般的にあります。そして、出生地を離れて別なところに住んでいる場合、住んでいる居住地というのも、やはりそこに住みなれてくると、何かとそこは都合がいい。何をやるにしろ有利な場所になってくる。そういう個人の出生地や居住地ということを、うまく活かしながら、しかし、それらにとらわれず、縛られず、自由に自己実現しようとする個人たちと、地方の側が、うまく組んで一緒にやれるということが、それが、ふるさとということなのだと思います。

 「あまちゃん」の放映から10年になりますが、放映された頃に、ふるさとを複数持とうということが流行ったのを思い出します。岩手も東京もふるさと、というふうに、ふるさとというのは、複数あり得るし、また、どんなところでもふるさとにできるのだと思います。

 私も過去に、ワシントンDCと、シンガポールに2年ずつ住んだことがあって、それぞれ、ふるさと的な土地となっていますし、東京は、より長く住んでいたことがありますので、東京も私にとってふるさとと言っていいところがあります。でも、やはり岩手がふるさとであります。やはり出生地、居住地というのが、いろいろふるさとがあり得る中でも有力なので、地方の側としても、出生地としてのメリットを生かしてもらう、居住地としてのメリットを生かしてもらうというのを中心にしながら、今、岩手に居ない人たちにも働きかけて、岩手を活用してもらう、第2、第3、第4、更なるふるさとにしてもらおうというふうにやっていくのがいいと思うわけです。スローガン的には、「あなたのための岩手県」として、岩手に生まれた人、岩手に住んでいる人、更に、今、岩手には居ないけれど何らかの形で関わっている、これから関わるかもしれないすべての人たちに、あなたのための岩手県ですというイメージでやっていくのがいいのだと思います。

 大谷君のように羽ばたける人、羽ばたきたい人には、どんどん世界に羽ばたいてもらえばいいですし、また、困窮している人、とても世界だ全国だとか言っていられない、その日その日を食べていくことにも困っている人たちに対しては、その人たちに寄り添っていくような、いずれにせよ個人をエンパワーするということです。世界に羽ばたけるくらいエンパワーする、そういうエンパワーの形もあれば、日々の食事にも事欠くような人たちも支えていくというようなエンパワーの仕方、いずれ、個人をエンパワーする、個人の力を高めるというのが、今日における地方自治体のミッションなのだと思います。

 

(2) 現代地方自治体に求められる機能

 現代地方自治体に求められる機能という面から言いますと、問題解決、答えが得られるということが、大事なのだと思います。

 そこで今、相談支援が地方自治、地方行政で、非常に重要になってきていると思います。東日本大震災津波からの復興の際に、相談支援は非常に大事でしたし、今、コロナ対策においても、この相談支援は非常に大事です。今までにないような危機的状況に当たって、人々をエンパワーしていくのに、相談支援というのは、非常に重要ですし、また、妊娠出産、子育て、そして、健康保健、医療、また、お年寄りの介護等々、そうした普通のことについても、相談支援というのは、非常に重要です。もともと福祉の分野で発達したと言っていいのですが、教育とか、就職、中小企業対策にも重要ですし、医療保健もそうですし、第一次産業でも、農業普及など相談支援という形が、産業政策的にも大事なものとしてあると思います。今だと、スタートアップ、ベンチャーの起業にも、相談支援というのが決め手になったりしていますし、防犯とか、建設土木でも、まちづくりや防災などで、相談ということが、やはり重要になってきていると思います。

 分野はいろいろあるのですが、共通しているのは、情報によるエンパワーということです。

 

(3) 行政の発展段階

 ここで、私が昔から言っている、行政の発展段階という話に繋がります。行政は、昔は、物理的強制力が決め手でした。税を納めろとか、兵役とか、捕まえて言うことをきかせる、感染症対策も、隔離措置のような強制が、昔は行政のメインだったわけです。やがて戦後、福祉国家の時代になってくると、お金が行政の決め手になってきます。お金で支援するということです。

 そして、現代においては、物理的強制力や、お金が物を言う局面もあるのですけれど、情報のウェイトがどんどん高まってきていて、情報を提供する、あるいは情報をマッチングさせることで、県民の皆さんが、それぞれの分野で自分の力を高め、エンパワーされて、自己実現していくというふうな世の中になってきていると思います。

 

6 ステレオタイプの問題

 (1) ステレオタイプ

 最後に、ステレオタイプの問題について。ステレオタイプの意味を調べると、先入観、思い込み、固定観念、レッテル、偏見、差別とあります。

 

(2) 県とステレオタイプ

 まず、県とステレオタイプの関係では、中央の方が、地方より上だとか、偉いとか、そういうステレオタイプがあると思います。あと、同じ県でも、人口の多い都道府県の方が上だとか、偉いとか、経済力の高い都道府県の方が、低い都道府県より上だとか、偉いとか、都道府県だけではなく、市町村においても、人口の多い方とか経済力の高い方が上だとか、偉いとか、それがステレオタイプと言っていいのだと思います。

 東京人の方が地方人より上だとか、都市出身者の方が田舎出身者より上だみたいなステレオタイプになるのですけれども、私も大学時代に経験しました。何となく、今、言ったような、ステレオタイプが空気を支配していて、なかなか発言するタイミングを掴めないとか、発言してもしっかり聞いてもらえないということがありました。一方、学生時代の政治学のゼミの先生なんですけれども、私は岩手の出身で、東北の田舎から出てきましたという卑屈な自己紹介をしたところ、このゼミの先生は、いやいや、関東より東北の方が、はるかに豊かな歴史と文化を持っていますよ、関東なんか何もないですよと言ってくれて、ステレオタイプにとらわれていない人は、そんな感じに反応してくれました。今言ったような、卑屈な自己紹介というのは、東京でそう言っていれば、何か場の空気の中で、すっと受け入れられて、そういうキャラになっていって、都会出身者のキャラに対して、地方出身者のキャラとして、コミュニケーションを円満にできればいいみたいなことがあるから、今、日本全体として、どうも地方を下に見る、そういうステレオタイプが広まっているのではないかと思います。ただ、それは、先程述べたように、地方のよさを、地方が発展してきた、その成果を、見えないものにしてしまう。これは、地方にとって困った話なのですが、日本の国家経営を成功させるためにも、基本的な事実関係をきちんと把握できないというのは、非常によくないことでありまして、ステレオタイプにとらわれないようにしなければなりません。

 

(3) 主体に優劣無し

 組織の中でも、部長課長の方が上だ、主任とか主査、主任主査は下だというのは、これもステレオタイプと言っていいと思います。便宜上、組織の中では上下関係とか、上だ下だという言葉は使うのですが、それを偉い偉くないという意味で使うなら、ステレオタイプです。部長課長の方が偉くて、主任や主査、主任主査は偉くない、県庁舎で働いている人が偉くて、出先機関の現場に近いところで働いている人が偉くないとなれば、それはステレオタイプですので、気をつけて欲しいと思います。

 

(4) 国をめぐるステレオタイプ

 それぞれ役割に過ぎないんですね。たかが役割、されど役割ということではあるのですけれども、国と地方の関係も、役割の問題です。歴史上、国家主権とか主権者国民とか、国というのが絶対の存在で、国をベースにして、世の中が成り立っているから、国の方が偉い、国に関わる方が偉いというイメージが広がっているところがありますが、憲法に書かれているような、国の統治機関の位置付けも、それぞれ役割として内閣があり、国会があり、そして、天皇もまた役割として存在している。機関と言ってもよく、それぞれ機関としての役割があるわけです。

 ですから、国の大臣も、大臣だから偉いということは全然ないわけで、大臣であるというのは、そういう役割、そういう機関であるということですので、その役割をきちんと果たしているかどうかが問われなければならないのです。役割を果たしていれば、それは、評価されるべきことですけれども、役割を果たしていないとすれば、それは、役割を果たしている地方公務員、役割を果たしている入庁1年目2年目で担当に一生懸命向き合っている人よりも、駄目だということになります。

 

(5) 大事なのは「役割」と「機能」そして「主体性」と「かけがえのなさ」

 ステレオタイプにとらわれていると、そういう実質をよく見ないで、実質を突き詰めないで、何となく上と言われている方が偉い。だから、そこに任せておけばいいだろうとか、言うことを聞いておけばいいだろうなどというふうになってしまい、良くないです。むしろ、ステレオタイプ的には下に見られる、現場に近いところの人の方が、正しさに近い。

 県の仕事をしていて、皆さん、身にしみて気が付いていると思うのですけれども、人間が集団を作って、共同体で何かやろうという時に、共通の意思決定を時々しなければならないですよね。県として、今、岩手全体はこうなっているとか、経済情勢や農業は、今、こうなっているということを県として取りまとめて発信するのですが、これは、現場が直面している複雑性をかなり捨象して、単純化して、発表せざるを得ない。機能的にそういう構造があるので、本質的に常に間違っているものだと、そういう覚悟を持っていた方がいいと思います。

 東日本大震災津波の発災からの直後、その後、復興に取り組んでいるときもですが、答えは現場にある。やはり現場に近いところで働いている人の方が、真実に近いわけです。

 ただ、集団で、共同体で仕事をしていくには、全体をまとめて、一言で発信していくという中枢機能、中央の機能も必要になってきますので、そこで、現場との乖離が生じてくる。そういう中央と現場との乖離に、いかに自覚的になっていて、直すべきところは、現場の声をもとに直していくことが求められるわけです。

 そういう意味で、中央と現場で、どっちが偉い偉くないということはないわけで、現場の、県民経済、県民生活に近いところ、復興なら復興現場に近いところが、その真実に近くて、そこを把握しているという意味では、現場の方が偉いという言い方もできるわけです。

 本質的には、偉い偉くないの問題ではないので、現場に近いところがその役割を果たし、取りまとめるところが役割をきちんと果たす、そこは、連携し合わないと、お互いの役割を果たせない。そういうことが県組織について言えます。これは、国全体でもそうです。国と地方の関係で、実践的な例を出すと、今、新型コロナウイルスの流行はこうなっていますということを、国が発信するのですけれど、現場に近い我々からすると、いや、そうではないだろうと思うようなことがいっぱいあるわけです。そこは、中央の側はきちんと現場の声に耳を傾けて、現場の情報をどんどん吸って、中央としての発信を修正していかなければならない。中央としての認識を修正し、中央としての決定についても、修正していかなければなりません。そういう意味で、地方には、中央に対して、時々修正意見とか、場合によっては、反対意見を上げていかなければならない役割もあるということです。その両輪あって、中央、地方が一体になって、国として機能を果たすということになってきます。

 政治では、与党と野党というふうに役割が分担されていまして、日本では、何となく与党というのは、数も多いし、そちらの方が偉くて、野党というのは、数が少なく劣っている集団のような、そういうステレオタイプがあるのですけれども、国の中央と地方の例と同様に、本質的には、偉い偉くないの問題ではなく、多数というのは常に間違うという自覚が必要です。

 イギリスのジョン・スチュアート・ミルは「自由論」という本で、イギリス議会において、必ず少数を尊重しなければならないということを言っていました。多数は、常に間違い得るので、そこを指摘し得る少数派というのを集団は持っていないと、多数がみんなで間違った方にいって大失敗する可能性があるので、少数派には少数派の役割があるということです。特に、何か新しい、いいことを始めようとするとき、最初にそれを思いつき、実際やろうと思う人たちは、少数から始まることが多いので、そういう意味でも、多数だから偉い、少数は偉くないということではなく、政治の場においても、多数派と少数派がそれぞれの役割をきちんと果たすことによって、共同体、集団全体がうまくいくというわけです。

 結論としては、ステレオタイプにとらわれずに、主体的に県職員として、今、自分がついているポストの役割を果たしていく。そして、県組織全体としても、ステレオタイプにとらわれずに、国との関係、市町村との関係、様々な主体との関係について、それぞれお互いを尊重し、対等な関係という基本の中で、一緒に仕事をしていくことが大事だということです。

 そうしますと、国よりも県の方が、より強い主体性を持つということもあり得ると思います。個人が、仕事や暮らしや学びで自己実現を図ろうとするときに、頼りになるのは、国より地方の方だと、県を頼りにしてくれることも可能だと思いますので、そこを目指していければいいなと思います。

 自由な主体性を持っている個人の暮らし、仕事、学びのベースとして、岩手県が役に立つようになって、そして「あなたのための岩手県」というような形で、県内外、さらに、国内外でも評価が高まっていくように、頑張って参りましょう。

 

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