平成19年度部課長研修 知事講話

ページ番号1050012  更新日 令和4年2月9日

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とき:平成19年7月10日(火曜日)
ところ:岩手県民会館中ホール
演題:「危機と改革」

「危機と改革」

 皆様ご苦労さまです。知事講話「危機と改革」と題しまして、手元にあるレジュメに従って話をしてまいりたいと思います。

 さきほど昼時間に外に出まして、盛岡市内のある商店街のお店に入って買い物をしたのですが、そこのおかみさんが言っていたのですけれども、かなり景気が悪いと。自分はそこに嫁いできたのだけれども、嫁に来てからこんなに厳しいことはなかったという話をするのですね。ですから、よくいざなぎ景気を越える景気の上昇、ただ、いま一つ実感はないかもしれないなどと言われるのですけれども、そもそも経済成長しているのかと、景気は上昇しているのかというところから始めないとだめなのではないかなと今日改めて思いました。

 それで、まず危機ですが、『ぎょうせい』が出している「ガバナンス」という月刊誌の最新号に神野直彦教授が書いていまして、今地方は3大危機に直面していると。第1に格差という危機、第2に社会崩壊の危機、第3に環境の崩壊の危機。岩手の場合は、環境崩壊というのは余り危機になっていないのではないかなと私は思いますけれども、経済格差の危機、そして社会の崩壊、限界集落の問題ですとか、商店街や農村、漁村、山村もそうですが、伝統的コミュニティの危機、そうした危機というのは、全国的に地方に見られ、岩手も例外ではないということのようであります。

 そして、資料として、これもお手元にあるかと思いますが、1人当たり県民所得の推移、年度別に額の順に都道府県が並んでいる資料です。全国平均もこの中に入っていまして、また岩手県の数字も入っているのですが、まず一つ注目すべきは、平成12年度から13年度にかけての所得の落ち込みであります。岩手県の場合、12年度260万6,000円あったものが13年度に240万7,000円になっている。全国平均も292万9,000円から284万円に落ち込んで、すべての都道府県がマイナスになった格好になっております。この260万6,000円から240万7,000円という岩手の落ち込みは、割合にすると7.6%です。7.6%の所得の落ち込みというのは、例えば、日本では戦後国民所得としては経験したことがありませんし、大概の先進国では戦後経験したことがない落ち込みだと思います。戦前の大恐慌とか、日本でもいろんな恐慌がありましたけれども、そういう恐慌のときにはこのくらいの落ち込みはあったかと思いますが、いわばそのくらいのひどい落ち込みが平成13年度に起きたということです。13年度に240万7,000円に落ち込みまして、以来見ていきますと岩手県は全然回復していないわけです。横ばいといいますか、むしろざっと見るとさらに落ち込んでいると言ってもいいようだと思います。ですから、いざなぎ景気を越える景気の上昇が5~6年間続いているという話とは違う数字がこのように出ているわけです。

 ちなみに、全国も平成13、14、15、16年度を見ますと、大体さらに下がってちょっと上がって、全国平均も決して回復はしていませんね。平成12年度の292万9,000円に比べると、平成13、14、15、16年度は、そこまで回復していません。

 実は、一番新しい数字が平成16年度なのですが、16年度の時点で激しく落ち込んだ13年度の前の12年度の水準まで回復している県というのは、上から2番目の愛知県と全国平均の四つ下にある徳島県。愛知県と徳島県しか落ち込み前の水準に復活していないのですね。この後平成17年、18年とあって、今年の19年になっているのですけれども、大して回復していないのだと思います、全国的にも、この岩手においても。

 また、この表を見ていろいろ気づくことがあるのですけれども、愛知県は平成16年度に344万円になって、12年度の340万8,000円よりも上回る、13年度の落ち込みから回復しているのですが、それ以前の平成11年、10年、9年、8年と遡りますと、実は平成8年、9年は、愛知県は県民所得が370万円ぐらいあって、そこに比べればまだまだ低いのですね。私は、この表を見るまで漠然と、愛知県のようなところが景気がうんと回復していて、それで岩手は余り景気が回復していなくて、全国平均をとると平成12年度から13年度に落ち込んだのがようやく最近回復したぐらいなのかなと漠然と思っていたのです。けれども、日本全体として12年度水準までも回復していないし、さらにそれ以前と比べても10年前よりよくなっているところというのは日本にほとんどないのではないかということに気がつくわけです。ただ、10年前と比べると、東京都は平成8年、9年のあたりよりも今の方が高くなっていますね。平成16年度の東京都は455万9,000円まで回復というか、そこまで上がってきていて、平成8年、9年の東京都は420万円とか430万円で、8年、9年のころは東京とその他の地方の間の差がそれほどなかったと言えるでありましょう。岩手と東京を比べますと、平成8年度のトップの東京は428万2,000円、岩手県は257万2,000円です。これを平成16年度と比べますと東京は455万9,000円になっていて、岩手は236万3,000円になっているわけですから、この辺が格差社会化、勝ち組、負け組と言われる所以ではないかと思います。

 こうした県民所得の推移に対して、いざなぎ景気を越える景気の回復、景気の上昇と言われているのですが、実質成長率というものはですね、県民所得が落ち込んでも物価水準がそれ以上に落ち込むと実質成長率は上がるという、そういうトリックのようなことが起きます。これは、所得が2%減ったとしましょう。所得が2%減っても物価が3%減れば、その差の1%、それだけ物を多く買えるということになって、経済成長率の実質成長率は1%上昇したということになってしまうのですね。所得が落ち込んでもそれ以上に物価が落ち込めば、統計上は実質成長率が上がったことになってしまう。これも景気はよくなっている、経済は成長しているという、そういう評価につながっているのかもしれません。

 ただ、今の物価が下がっていくデフレの現象といいますのは、同じデフレでも例えば農作物がたくさんとれて、それで値段が下がるというのは、農家にとっては困りますけれども、世の中全体としては農作物がたくさんとれて豊かになっているような格好だと思うのですが、最近起きているデフレは、みんなお金がないのでなかなか物が買えない、そこで安売り競争になって、どんどん食べ物屋さんでも、あるいは物を売る店でも安売り競争をする。安売り競争をするに当たっては従業員の給料も下げていかなければならない。その結果、勤労者の所得はどんどん下がって、ますます安いものしか買えなくなり、それに合わせてお店や企業もますます安売り競争を加速するという、これがデフレスパイラルという悪循環ですけれども、そういう世の中全体としてどんどん貧しくなっていくようなデフレの傾向の方が強いのではないかと思います。そういうデフレスパイラルに陥ったとしても、安売り競争が加熱して所得の下落よりも早く物価水準が落ち込んでいくと、統計上は実質成長率がプラスに出てきたりしますので、その点経済社会の実態の悲惨さというのが統計の数字にきちんと出てきていないのではないかというふうに疑った方がいいのではないかと思っております。

 また、そもそもこの平成13年度の全国、また岩手の所得の落ち込み、仮にいざなぎ景気を越える何がしかの上昇があったとしても、それは激しい落ち込みからようやく回復したというくらいの話でありまして、昔であれば2~3年で回復したようなところを5~6年かかってようやく回復してきたというくらいの話であり、決して喜ばれるような話ではないのだと思います。

 次に、「4.昔の格差、今の格差」と書いておりますけれども、高度成長時代にも格差はあったわけです。東京の都民の所得の平均と岩手の県民所得の平均は、やっぱり東京の方が高かったわけです。しかし、過去のある時点での東京の所得水準というのは、何年後かに岩手がそこまで追いつけるであろうという、そういう一種目標になるような格差だったわけですね。いつか追いつき追い越せ追い越せはしないのですがいつか岩手もそこまで行くであろうという格差、いつか追いつけるという、そういう格差、いわば希望につながる格差ですね。ところが、今起きている格差というのは、東京の所得がどんどん上がっているのに対し、岩手の所得はこの10年で下がっているというふうに、10年かかって差がどんどん広がっていく格差でありまして、こういう格差は戦後日本は経験したことがないタイプの格差だと思います。結局日本全体として落ち込んでいく中で差が広がっていく、そういうところの格差というのが日本全体として右肩上がりのときに生じていた格差とは本質的に違う悲惨な格差であり、危険な格差、希望も失ってしまうような格差、それが今起きているのではないかということであります。

 岩手県の場合、平成13年度から県民所得が横ばいだという話をしましたが、そういう中で県民所得、平均すれば横ばいなのですが、どんどん伸びている人、所得が増えている人たちもいるはずです。うまくいっている会社、岩手県内に結構あります。うまくいっている新しい事業、そして就職してその給料が毎年毎年増えていっている人も岩手県内にかなりいるはずです。公務員もまた給料が上がっていくというのが基本でありますけれども、ということは平均以下になっていっている岩手県民が一方にたくさんいるということが推測されるわけです。実際に私も衆議院議員時代、周りに親の時代、さらにその前からやっているような会社がついに力尽きて破綻してしまったとか、また倒産とか法的処理になると迷惑をかけるから、迷惑かけないように店じまいをしていった会社もあります。そういう倒産、失業、そうした事例は周りを見ると事欠かないと思います。平成12年度から13年度にかけて7.6%、1人当たり20万円の所得の落ち込みというのは、140万県民を掛け合わせますと2,800億円ですね、平成13年度には2,800億円の県民の富が失われたということなわけです。この2,800億円というのは、1人20万円ずつ均等に失われたわけではなく、この間も順調に給料が上がっていった人、会社として成功していったケース、そういうのがある一方でものすごく落ちた人がたくさんいたということだと思います。その辺はなかなか統計できちっと示すのは難しいわけで、推測が混じってしまうのですけれども、2,800億円という数字は、例えば2,800人が1億円ずつ失ったというようなことですし、1億円失うというのはちょっと極端だから1けた減らすとすれば、2万8,000人の県民が1,000万円ずつ失ったと。140万県民のうち2万8,000人の人たちが1,000万円ずつ失うような、そういうことが平成13年度に起きた。これが危機ではないかと私は思うわけであります。

 この平成13年度の激しい所得の落ち込みが発生した主な理由は、「5.危機の要因―財政再建と不良債権処理」のところに書いておりますけれども、財政再建と不良債権処理。これを国が強力に推し進めたのが平成13年度でした。これは、小泉政権がスタートした年であります。実は、小泉政権の前の森内閣のときから緊縮財政は始まっておりましたので、平成12年度の国の予算から緊縮財政というのは実は始まっているのですが、それが13年度さらに徹底し、さらに不良債権処理ということで金融庁から銀行に対してかなり厳しく貸し渋り、さらには貸しはがしの指導が行われ、国から地方へのお金の流れが財政政策面で大きく減ってしまった。それに加え、金融政策面でも国から地方へのお金の流れ、銀行を介するお金の流れが著しく減ってしまった結果、岩手に回ってくるお金が2,800億円、この年にごそっと減ってしまったということだと思います。この年は、岩手県において何かとんでもない失敗があったわけでもなく、とんでもないしくじりがあったわけでもなく、岩手県民が急に怠け者になって働かなくなったわけでもなく、ほとんどこういう、岩手にとっての外的要因でこういうふうになってしまったと言っていいのではないかと思います。

 こうした所得の落ち込みで人間はお金ばかりで生きていくわけではないので、県政を進めるに当たってはお金に、所得にとらわれてばかりいてはダメではないかというところもあるのでありますけれどもやっぱりこれだけ年に2,800億円という規模の所得の喪失が起きて、その落ち込んだところから少なくとも4年、恐らく5年、6年たってもまだ回復できていないと思うのです。そうすると平成13年度の落ち込みがなければ、岩手にはこの5~6年で2兆円余計にお金があったことになるわけでありまして、その2兆円が岩手から失われたということが、例えば医師不足の問題、やっぱり岩手では稼げないと、稼ぐのだったら東京に行くしかないというような、そういう医師不足の問題ですとかとにかく就職は給料として払えるようなお金が2兆円分なくなっているわけですからそのお金を求めて岩手から東京に出るとかそういう人口流出が起きてしまう。また、人口流出だけではなくて、若い人たちがきちんと就職できなくなりますと少子化に拍車がかかります。これは、ニート、フリーター、また非正規職員、いずれきちんと就職できないと配偶者や、さらに子どもの分まで稼ぐことができないので、いつまでも結婚できないという状況に陥ります。

 また、女性の人生設計の中で、昔はよく仕事か結婚か、あるいは仕事か出産、子育てかという、そういう選択が女性に突きつけられて、問題だというような時代があったわけですけれども、今やそれはぜいたくな悩みとなりつつありまして、仕事以外の選択肢はないと。女性にとって結婚して、その配偶者が女性の分と、さらに子供分まで稼ぐことができるというようなのは、公務員と、あとは成功している会社のサラリーマンとか経営者ぐらいしかなく、普通に働いている男の人と結婚したら、女性も働かないと食べていけないというふうになってきているわけですね。そうすると、結婚までは選択できても、子どもを産んで育てるという余裕が全然ない。とにかく食べていくために働かなければならない。それもパートとか非正規とか派遣とかになってしまうわけですけれども、ワーキングプアとか言われております。そういうことが人口流出に加え少子化にも加速要因となってきています。

 ちょっと前に全国各都道府県の人口の将来見通しが発表になりました。それで、岩手県は30年後には人口が100万人を割るというショッキングな数字が出ておりましたけれども、あの落ち込み方というのは、県が基本計画などで予測していた数字よりもはるかに急速な減少率になっているのですが、私は急激な減少率というのはここ5年間の減少率をそのまま伸ばしていく結果、30年後に100万を割るというふうに出てくるのだと推測しております。というのは、2000年から2005年にかけての岩手の人口減少率がそれまでの県の予測値よりもはるかに大きい数字になっていたのです。この5年間の大きい人口減少というのは、やはり経済的要因が大きかったと思います。7.6%なんていうめちゃくちゃな所得の落ち込み、それが回復しないなんていう、こういう5~6年でなければ、人口減少率は下げ止まっていて、30年後に100万人を切るなんていう数字は出てこないと私は思っておりまして、ですから県民所得のお金の問題ではありますが、それが回り回って岩手の未来を奪うというような、そういう数字になって出てきたりするので、ここは性根を据えて取り組んでいかなければならないと思っております。

 危機の話はそろそろ終わりますが、「7.危機はシステムチェンジのチャンス」に書いています。私がアメリカに留学したときに、クライシスマネジメントというのですけれども、危機管理という授業があって、中東紛争とかアフリカの部族間抗争とか、そういうことを仕事でやったような学者さんとか、元国務省の官僚とかが来てクライシスマネジメントを教えるのですけれども、その授業のテーマは、ここに書いてある「危機はシステムチェンジのチャンス」ということです。なぜそういう危機、クライシスが起きるかというと、それまでのシステムが今の世の中に通用しなくなってくるから危機が起こるのであって、仕組みを大きく変えることができれば危機を克服し、また新しい時代に合った仕組みにすることで、危機があったおかげでかえってよりよい未来をつかむことができると、そういうことです。

 危機という言葉、これは漢字では危ういという字にチャンス(機会)という字も組み合わせてあるのだということをアメリカ人が言っていまして、そういう単純な意味でもないとは思うのですけれども、いずれにせよ危機というのはうまくそれを乗り越えることができれば、そうでなければ得られないような希望につながっていく。そういう前向きな姿勢で危機に臨んでいくことで、この岩手の危機というよりも日本全体が直面している危機を岩手の暮らしや仕事の現場においてきちんと取り組んで克服していこうということであります。その克服するために必要なのが改革ということで、次に改革の話に入ってまいります。

 「1.情報化+国際化=グローバル化」のところで、情報化と国際化がグローバル化だと書いてあります。改革とは何かということなのですけれども、一つはグローバル化への対応、あるいは情報化と国際化への対応というふうに言っていいかと思います。情報化と国際化が大事だということは、1980年頃から日本で盛んに言われるようになったと思います。ですから、もう27年前なのですけれども、その頃国際化と情報化が大事だ、それに対応しなければならないということがいろんな分野で言われるようになったと思います。経済もそれまでの重工業中心の経済から、情報化ということで、コンピューターとか通信とか、そういう情報化産業、ポスト工業化、ポスト産業化の時代に入るのだということが言われ始めたのが1980年代。また、いろいろ交通、通信が発達することでいよいよ国際化の時代だと。ちょうど日本も経済が発展して個人の海外旅行も大分自由にできるようになり、また輸出主導型の成長で大分外貨も稼ぎ、それが貿易摩擦など引き起こしまして、国際化に対応していくことが大事だというように言われるようになったのが1980年頃だったと思います。

 改革とは何かというのを一つの側面から言うと、情報化プラス国際化という意味でのグローバル化への対応なのですが、別の角度から言いますと、内需拡大というのが改革の目的と言い切っていいと思います。1980年代にまさに情報化や国際化への対応として、日本の産業構造を情報化、国際化に対応したものに変えていかなければならない。それまでの重化学工業中心で、日本の工業地帯中心の経済、また東京一極集中の中央集権的な経済社会、そういう古い工業化、産業化時代の経済、社会の構造を新しい情報化、国際化の時代にふさわしい経済構造に変えなければならない。それは、一言で言うと内需の拡大だということが、一つは前川レポートのような、日本国内における研究や調査の結果として日本人によって主張されましたし、外国からも言われています。日本は経済成長を遂げて、1人当たりGDP、GNPも世界一の水準になってきた。でも、世界一の金持ちという割には、ウサギ小屋のような小さい家に住んで、都会では片道1時間以上かけて満員電車に揺られる通勤地獄を毎日やっていて、全然生活は豊かになっていないではないか。もっと内需を拡大して、外国に物を輸出して経済成長していくのではなくて、日本国内の消費を増やして、日本人相手に物を売り、そして日本人がどんどん物を買って、物をたくさん買うためには家も広くなければならないわけですから、もっと広い家に住んで、もっと物を買って、日本国民が日本国内でどんどん豊かになっていくような経済構造に変えなければならないのではないかと。このようなことが80年代に内外から言われていたのだと思います。そのために東京一極集中ではなくて、もっと地方に分散していかなければならないし、また情報化、コンピューターの時代であれば、何も東京に集まらなくてもいろんな仕事はできるはずだし、また地方が直接外国と結びつくことも可能になるのだから、そういう地方分散、行政、政治の面では地方分権、そうやって日本の構造改革を進めていこうではないかという話が改革の議論のそもそもの原点だったと思います。ですから、内需拡大につながらないような改革は改革ではないと言っていいと思いますし、もっと極端に言うと、消費が増えないようでは改革とは言えない。内需拡大というのは、地方の商店街で地方の住民がどんどん買い物をするということでありますし、地方の中小企業がどんどん仕事を得て稼いでいく、そして、地方の飲食店でもお金がどんどん使われるという、そういうことが内需拡大なわけであって、地方において消費が拡大していくようではないと改革とは言えないのではないですかと私は声を大にして言いたいわけです。ですから、危機の話にちょっと戻りますけれども、県民所得が7.6%も落ち込んでそこから回復しないというのは、これは改革の正反対、改革に逆行することではないかと思っております。

 本当は、80年代の日本の経済力にゆとりがあった時代であれば、どんどん外国に物を輸出して、お金が日本にどんどん入ってきて、日本は金余り状態になっていたのですね。そのお金を地方に回して、どんどん地方のインフラも整備し、また地方経済力を高めるということをあのときにやっていればよかったわけですけれども、残念ながらあり余っていたお金は土地投機に使われ、地価高騰が発生し、また株にどんどん流れて、株価が3万円を突破し、日経平均4万円にも近づくような、そういう異常な株価の高騰、せっかく国民生活を豊かにできるだけのお金があのときのですけれども、それがそういう投機に流れ、資産に流れ、バブルが膨らんでいったわけです。バブルはバブルでまだいろんな可能性がありますし、そういう中で地方を豊かにするチャンスもあったと思うのですけれども、非常に芸のない仕方でバブルを崩壊させてしまったわけですね、時の日本政府は。そのせいで一気に景気が冷え込みましてお金が足りない状態になってしまったわけです。厳密にはお金はあるところにはあったのですけれども、銀行は怖くて貸せなくなってしまうし、それで世の中にお金が回らないので、国は仕方がないから借金を増やしながら財政出動をして、それで世の中にお金が回る工夫をしていたというのがバブル崩壊後の日本の財政政策だったと思いますけれども。

 そこで「4.財政再建路線」というのがそこで立ちあらわれてきて、これは本当に考えものなのですけれども。銀行を初めとする民間に、社会にお金を回す余裕がなければ、国や地方がそのお金を回す作業をやるしかないのではないかという考え方は、これはかなり合理性があるのではないかと私は思っておりましたし、今も思っております。しかし、改革をめぐる議論が、改革の本質は内需拡大であり消費の拡大、それを地方に広げることだったはずなのですが、政治の世界では改革というのはまず政治改革だという議論になってしまったのです。これは、リクルート事件が当時の自民党の選挙に非常に悪影響を及ぼしまして、それで自民党の若手の人たちがもう政治改革をしなければだめだということで、亡くなった新井将敬さんとか、あと石破茂さんとか、太田誠一さんとか、そういう当時の自民党の1回生、2回生の若い人たちが盛んに「サンデープロジェクト」に出るようになったり、テレビに政治家が出るようになったのはあの頃からなのですけれどもとにかく政治改革だと、それはイコール小選挙区制の導入という、そういう選挙制度改革だという話になりまして、なかなか経済構造改革というものに政治が本格的に取り組めないでしまったのです。政治改革という話で小選挙区制が導入されて、政治も激動の時代に入ってくるのですけれども、それと並行して財政再建、国の借金を減らすことがまず必要であって、公共事業とかそういう財政出動、そういうむだ遣いはやめるべきだという議論が日本の主流を占めるようになってくるのです。これは、政治腐敗との関係で、かなり改めるべきことがあったのだと思います。公共事業にまつわるさまざまな政治腐敗は枚挙にいとまがないくらい起きていたわけでして、そういうのを正さなければならないという世論のうねりの中で公共事業悪玉論、財政出動悪玉論、国の借金はとにかく減らさなければならないという流れができてしまったのだと思います。

 「4.財政再建路線再考―国や地方にだれが貸しているのか」と書いていますけれども、国や地方が借金地獄になっていると言っていいと思います。この借金地獄というのは、多重債務者問題という分野でも借金地獄という言葉が使われていまして、サラ金や、さらにはヤミ金融からお金をどんどん借りて破綻していく借金地獄というのが問題になっています。この借金地獄の問題で問われるのは、貸している方が悪いという話になるわけですよね、そこは。ヤミ金融が悪いのはもちろんですけれども、消費者金融業者、いわゆるサラ金もテレビのコマーシャルを流し過ぎだとか、余りに安易に貸し過ぎているとか、そこはもう責任を持って債務免除とかやりなさいと。借金地獄に対しては、貸している人が悪いから、そんなに貸すから借金地獄になるのだという議論が行われます。しからば、国や地方の借金地獄は誰が国や地方にお金を貸しているのかということをよく考えますと、直接的にはまず大銀行が貸すわけですね。国債を引き受ける、県債を引き受けるというのは、大銀行や地方銀行がやるのですけれども、そういう金融機関が国や地方にお金を貸す。なぜそうするかというと、命令されてというよりは、民間にお金を貸すリスクを冒すよりは、国債を買って安定的に利息をもらう方がいいという、一種合理的な選択を金融機関がやっていると言ってもいいところがあるのですね。そういう意味で、本来は大銀行が民間にお金を貸す、地方の中小企業や商店街のお店、若い起業家、そういう人たちにお金をどんどん貸して儲けさせて、そこから利息をいただくというようなことをしていれば、それで景気はどんどんよくなって、税収もふえて、何も国が借金して財政出動する必要はなくなるのですけれども、如何せん民間経済がそういうふうに回らない。そこは大銀行も無理して民間経済をそうやって回すことにリスクを冒すよりは、国債を引き受けている方が楽だし、確実に儲けられる、株主からも文句は言われないだろうということで国や地方にお金を貸していたわけです。民営化される前の郵便局も財政投融資という形で国にお金をどんどん貸していたわけですね。

 この大銀行、銀行のお金、郵便局のお金というのは、元はといえば庶民の預貯金です。つまり日本国民、庶民が少しずつ国や地方にお金を貸すということを選択していたわけなのですね。何もそんな国や地方に義理立てして金を貸す必要はないので、これだと思う企業の株をどんどん買って、その企業を儲けさせ、その株でもうけるという道もあるし、資産運用の手段はいろいろあるはずなのですけれども、その資産運用の選択の結果として銀行や郵貯に預ける。預けられた銀行や郵貯は、それを国に貸すという、そういう流れがかつての日本ではできていた。そして、そうやって庶民から回り回ってきたお金を国や地方が公共事業など財政出動で世の中に回すという、そういうシステムがかつては行われていたわけでして、むやみにこういうやり方を否定することはできないのではないかと私は思っております。私が考えている唯一のマイナス要因、借金を増やし過ぎるのはよくないなという根拠は、信用不安に陥って国債の暴落、ハイパーインフレ、県でいうと県債の暴落とか、そういう信用不安に陥るというのはこれは非常にまずいので、歯止めのない財政出動、歯止めのない借金の積み増し、こういう何の計画性もない、戦略性もない借金財政というのはよくないと思います。ただし、きちんとした信頼に基づいて、クリーンでスマートな財政出動ということは、一時的に借金を増やしても世の中のためになるのではないか。そういう例の一つが「5.日経平均株価二万八百円を実現した小渕内閣の経済政策―財政出動と信用保証」のところに書いていますが、日経平均株価2万800円を実現した小渕内閣の経済政策なのです。

 この小渕内閣の経済政策は、あれはもう借金をただ増やしただけだと、せっかく財政再建路線、橋本総理のもとで財政再建路線がある程度形ができてきたのに、それをぶち壊して、また秋の補正予算に何十兆円も大盤振る舞いをしたり、そういうむだ遣いをして改革を遅らせたという評価があるわけですけれども、一方で小渕内閣のときに日経平均株価は2万800円、2万円超えまで行っていまして、それこそ経済成長率は3%ぐらいになっていたんですね。ここ10年、あるいはここ15年で一番株価が高かったのはあの頃ではないでしょうか。ですから、ここ15年で一番経済が調子良かったのは、あの平成11年度のあたりではないかなと思って、県民所得の表に戻ると、岩手県の県民所得は平成11年度から12年度のあたりがこの図の中では一番高いのですね。そういう意味で、内需拡大を進めるのが改革、地方において消費を拡大していくことが改革という観点からすると、あのときの政策、あのときはそういう財政出動を大きくやっただけではなくて、信用保証の強化ということで、信用保証協会の方に大分お金を国からも出して、中小企業がお金を借りやすくした。つまり財政政策と金融政策の両方で国から地方の中にお金が回るようにした。ここ10年で一番大々的にそういうことをやったのがあの時代だと思うのです。

 信用保証の強化についても、あのとき大盤振る舞いした信用保証がその後どんどん貸し倒れて、焦げついて、後から国が埋めなければならなくなって赤字につながったという評価もあるのですけれども、ただそれはその後の緊縮財政と不良債権処理を名目とした貸し渋り、貸しはがしの強化でバタバタつぶれたのであって、あのときやっていた財政出動と信用保証強化という政策をもう何年か続けていればつぶれないで済んだようなところが実際にはつぶれてしまったから、たくさん貸し倒れたのではないかという、そういう指摘もあり得るのだと思います。

 小渕内閣が終わって小泉内閣になってからお金の流れがどう変わったかという話なのですが、小渕内閣の財政政策はケインズ型の最後の政策だったと思うのですけれども、まず借金をして、そして公共事業など財政出動をして、それで地域経済を活性化させるということをやったわけです。小泉内閣になってからは、まず公共事業を中心に緊縮財政をして、国から地方へのお金の流れを大きく減らしたのですが、その結果国の借金が減ったかというと、基本的な流れとしてはかえって国の借金は増えているのですね。それは、最近ちょっと税収が増えたりしたことがありましたが、当初はやっぱり景気が悪くなって税収が減るということがありました。また、医療費、社会保障費が増えていくので、その分借金が増えたということもあります。そこも含めて県民所得、また全国の国民所得、そういう所得が増えていけば、そこから税収が上がってきて、医療や社会保障も手当てできるようなときに、そこをバッサリ切って、税収が上がってこないような瀕死の重症といいますか、そういう痛みを特に地方に与えた結果、痛んだ地方から税収が上がってこなくなっているので、その分借金を増やさなければならなくなった。小渕内閣のときには元気をつけさせるために借金をして、借金をした結果元気は出たわけです。ところが、小泉内閣の借金は元気を失ったのを補うために借金をするという、同じ借金をしているのだけれども、片方は地域が曲がりなりにも元気になり、片方は地域の元気が失われているという、どうせ借金するのであれば地域の元気が得られるような借金をした方がいいのではないかなと思うわけです。

 「(2)自己責任でアメリカの医療保険会社に頼る」と書いてありますけれども、国から地方へのお金を減らしていく中で、社会保障や医療の分野でも負担を増やし、給付を下げました。給付を下げるということと並行してアメリカの保険会社、医療保険のコマーシャルが世の中に非常に増えてきているわけです。アメリカの保険会社やそこで働いている方が悪いわけではないのです。多分まじめに働いてちゃんと法律に従って商売をしているのでしょうし、公のためになっているのだと思います。ただ公の仕組みとしてはどんどん給付水準を下げたり、また自己負担を増やしたりして、その結果、いざ入院しなければならないときに、手ごろでがっちり1日1万円とかという保険に自分で入っていれば入院しても1万円の保険がおりるのだけれども、そういう民間の保険に入る余裕のない人は入院費を自腹を切って払っていかなければならないというような、そういう新しい格差が社会保障とか医療の分野にも出てきているわけです。

 「(3)個人資産はアメリカのファンド会社やインド株へ」と書いてありますけれども、7月7日土曜日の日経新聞1面の「YEN漂流」という特集の第1回の記事に高利回りを求め海外に流出した個人金融資産は、3月末で約43兆円、わずか3年で倍増というふうに書いていまして、バブル期に日本の生命保険会社が外国に投資していた額以上の額を、今個人が外国に投資をしているのだそうです。3年で倍増して43兆円になったということは、この3年でその半分の20兆円ぐらい個人金融資産が増えている。この3年で岩手からは2兆円の半分の1兆円が失われている、そういうお金が一体どこに行ったのかというのの一つの答えが外国に行ってしまっているということなのです。岩手が1兆円とか2兆円とか失っていて、各地方の県もそのくらいの県民所得を失っているわけですけれども、何兆円規模で失われた、地方の県民所得のこれはかなりの部分かなと思うのですが、インド株とかいろんな国のファンドに行ってしまっている。これは、よく考えますと、さっき言ったように昔は庶民の預貯金が国を経由して日本の中に環流するような仕組みだったわけですけれども、それがなくなってきていますので、銀行も、そして日本郵政公社も投資信託をおやりなさいと勧めるわけですよ。郵便局が扱っている投資信託に外国ファンドも入っていたかどうかはちょっと定かではないのですが、回り回って外国に行ったりもするのではないでしょうか。ですから、今まで国内の公共事業のお金に使われたり、国内のいろんなものに使われていたお金が、今やそういう銀行や郵貯等々を通じて、インドの経済発展などに使われてしまっているわけですね。これがグローバル化の恐ろしさであります。若手の国会議員とか、政府の財務省の若手の中には、それでいいのだという人が結構います。それが市場原理、自由市場経済であって、結局日本国内に魅力のある投資先がないからお金がどんどん外国に投資されていく。そして、そこからリターン、利息が何%も返ってきて、そうやって儲けた人たちが儲かった分で国内でいろいろ食べ物を買ったり服を買ったり、そうやって消費もだんだん上がっていくだろうと、だからいいのだということを言う人は政府や国会の中にかなりいます。しかし、いやいや、それは余りにも教科書どおりの理屈で、そんな甘い話ではないぞ、結局日本からそうやって外国投資に行くお金のうちのかなりはだまされて失敗して、外国人の儲けにはなるけれども、日本人には戻ってこないのではないかとか、国内にいい投資先がないというのは、それはマッチングの問題であって、本当は国内に伸びていくかもしれない企業や、うまく働く人が集まって成功するかもしれない地域とか、国内にそういうのはいっぱいあるけれども、それがよく見えないから投資チャンスがないように見えるだけであって、そこをうまくアレンジして、そこにお金を回せば、そっちの方がインドやらどこやらにお金を投資するよりも、それこそ国のためではないかという議論をする国会議員はかなりいます。役所の中には余りいないですね。こういう民族主義的といいますか、そういう議論をする人は今の役所にはいなくて、というのは今の政府でそういう議論をすると偉くなれないというところがあるのかもしれませんけれども、いずれにせよそういうお金の流れになっております。

 「7.本当に必要なのは金融改革」と書いていますが、お金はあるところにはやっぱりあるわけで、それがどんどんインドに行ったりしているので、それを何とか岩手県内に持ってくることができれば、岩手も経済成長することができて県民所得も引き上げることができるわけです。小渕内閣のときのような政策をやるというのも一つかもしれません。ただ、これだけ世論が借金ということに敏感になって、財政再建じゃなきゃ改革じゃないみたいになると、やっぱり政治的に難しいのだと思いますし、またパニックになると国債の暴落などの信用不安の危険性がありますから、なかなか昔やったような大盤振る舞いの財政出動へ急に舵を切ることはできないのだと思います。だから、私も選挙のときはプライマリーバランスの均衡を目安にしてやっていくという公約を掲げ、この間の補正予算も、これは皆さんと相談してですけれども、プライマリーバランスの均衡の維持という、そこを守りながら最大限財政出動するような補正予算をつくるという格好になったわけであります。国の方でもなかなか急な舵切りはできないかと思うのですけれども、県から国に対しては、もう少し地方にお金が回るような政策にしていいのではないかということは言っていきたいなとは思っております。

 そういう急に舵が切れない中で、岩手に何とかいろんなところからお金を引っ張ってくるためには、改革とは何かという話で、改革とはまず内需拡大だ、改革とはまず地方における消費の拡大だということを言ったのですが、そのために一番必要なのは金融改革ということなのかもしれません。これは、あるところにあるお金をちゃんと岩手に持ってくることです。そのためには、それだけの信頼というものを、信用というか、信頼というか、それを岩手の中につくって、そしてそのお金を使って事業をして、そして稼ぐことができ、働く人はそこから給料をもらって、そしてそのお金のもとに配当をするなり利子を返すなり、そういうことをきちんとしていけるような仕組みを、これは銀行さんもいろいろ苦労しながらつくろうとしていて、銀行さんにも大きく期待はしたいのです。ただ今の現状ではそうなっていないわけですから、県としてもそういう金融政策ということにこれまで以上に知恵と力を使っていかなければならないのではないかなと思っています。

 この金融改革の方向性には、生き馬の目を抜く国際市場において成功していくというような、そういうマーケット志向の方向性が一つあります。アメリカは、米ソ冷戦が終わった後、核ミサイルの軌道計算をやっていたような人たちが大挙して銀行業界、証券業界などのそういう金融業界に流れて、デリバティブとか、そういう先物取引の新技術をコンピューターでバンバン編み出して、非常に発達していったわけです。日本の銀行はそういう流れに全然追いつけなくて、今は本当に竹槍で近代兵器に立ち向かうようなそういう金融業界、特に大銀行の世界でそうなのだと思います。地方銀行が稼ぎ出す力というのは、別にでっかいサイズである必要はなく、サイズでは世界の銀行のベストテンのうちの七つぐらいを日本の大銀行が占めていた時代がありましたけれども、でも利益率というところには日本の大銀行は全然入らないで、アメリカやヨーロッパの小さい銀行が利益率の高さではトップテンを独占していたわけですね。ですから、日本の地方銀行であっても、あるいはトヨタ銀行とか、イトーヨーカ堂などのアイワイバンク銀行(現セブン銀行)とかありますが、そういったところでもやりようによっては世界市場で十分戦えるような銀行になっていけるかもしれません。

 もう一つ、昨年、ノーベル平和賞をバングラデシュの経済学者が受賞したのですけれども、その人はバングラデシュで貧しい人にしかお金を貸さない銀行というのをやって、それが非常に成功してノーベル平和賞をもらったのです。これは、そういう市場原理まっしぐらの正反対の方向で、市場原理と全然違う原理でコミュニティの中で、顔の見える関係の中でお金を融通し、働いていない人に働いてもらって、働いて豊かになるというようなものをコミュニティの中につくっていく。こういう仕掛けという方向性もあって、この辺はかなり地方自治体も真剣に考えてもいいのではないかと思います。いわばNPO金融みたいなものなのですけれども、無尽とか頼母子とかという、そういう日本の伝統にも合っているのではないかとも思います。

 また、地域通貨というのがありますけれども、これは経済産業省が結構好きで、商店街とか、幾つかの自治体でも取り組んだりしていて、岩手の中にも例が幾つかあります。まさに日本円が地域に入ってこない、さあ、どうしよう、日本円が来ないのであれば別の通貨をつくってしまえというのが地域通貨の一つの発想ですけれども、働きたい人がいて、こういうサービスができる、こういう財を提供できる、でもお金がないからそれを買ってくれる人がいない。そういう財やサービスが欲しいけれども、お金はないが自分も何か財やサービスを持っているという、そういう一種の物々交換ができれば、日本円がなくても地域の経済は活性化するわけでありまして、古い物々交換に対してサービスとサービスを円滑に交換するための仕組みが地域通貨、エコマネーと呼ばれるものです。庭掃除などをしてあげて、かわりに自分の親の介護をしてもらうとか、そういうサービスとサービスの交換、それをパソコンに入力して帳簿をつけておくとか、あとはその地域でしか通用しないキューとかピューとかそういう名前の、通貨を交換することでそれを確認し合うとか、そういうことが必要になってくるのではないかと思います。

 地域通貨の本質は、そういう新しい通貨を出さなくても、自分はこういうことをした、こういうことをこの人からしてもらったという情報さえきちっと確認できれば、サービスとサービスの交換は成り立っていくわけです。そういう情報とか信頼とかということの交換、確認がコミュニティの中でできれば、日本円がなくてもそこに経済、社会というものが活性化し得るということでありまして、それが「8.金融は情報、情報は信頼」ということです。こういう情報や信頼を今日本全体としては、うまく処理できていないのだと思います。そもそも今の日本は、いざなぎ景気を越える景気の上昇局面にあって、国民はそれを実感できていないかもしれないけれども、経済成長はしているのですよ、ということがまかり通るというのは、これは情報処理の不具合だと思います。それぞれの地方で起きていること、私が今日昼時間に商店街のお店のおかみさんから聞いたような話、そういう情報がきちんと処理されて、必要な政策が実行されるというような体制に今の日本はなっていないと思うのですね。少なくとも岩手だけはそういう体制にしたいと思っておりまして、飛びますけれども、「III.新地域戦略とソフトパワー戦略」の最後の「3.知事の仕事は知る事、知るは統(し)るなり」と書いてありますが、今岩手で何が起きているのか、岩手のどこでどういう人が困っているのか、何を求めているのか、そこに何をすればいいのかということを知ることができればその問題を解決することができる。これは、何も知事個人が知ればいいということではなく、県庁として、組織として知ることができればいいわけで、そういう情報処理のシステム、単に情報処理するだけではなく、知行合一の情報処理システムといいますか、情報処理ということが懸案の処理、体を動かして問題を解決するということに即つながるような、そういう情報処理の体制を岩手県としてきちっとつくることができれば、それは非常に強い信頼ということにもつながって、うまくやればそれがお金の流入にもつながってくるでしょう。所得の向上にもつながってくるでしょうし、最悪、現金が入ってこなくても、所得の上昇という数字に出てこなかったとしても、地域の中に、コミュニティの中に活発な経済社会活動というものをつくっていくことができるのではないかと思っております。

 これは、一つの例え話ではあるのですけれども、「漆の実のみのる国」、米沢藩の上杉鷹山公を主人公にした本を伊藤勢至前議長からもらいました。伊藤勢至前議長は、ぜひ上杉鷹山公のようになってくださいと私にその本をくれたのですけれども、節約の話ばかり書いているのかなと思って読み始めましたら、木綿しか着ないとか、一汁一菜で済ましているとかという話はちょっとしか出てこなくて、実は結構お金を借りて公共事業をするということを上杉鷹山公はやっているのですよね。ただ、それまでの米沢藩は、ものすごい借金をして、そして返せなくなってしまっていて、利息を返すためにさらなる借金をするみたいなことをして、大商人たちから相手にされなくなっている。飢饉が起きてもお金を十分に借りられなくて、農村はどんどん疲弊していくという悪循環になっていたのを、米沢藩の改革派、家臣団の力も借りて、漆の木をこのくらい買ってきて、武士にもお百姓さんがやるような作業をしてもらって、その漆をこのくらいこの地方に植えれば、年間このくらいの収入が上がって、これだけ借金を返せるという、そういう事業計画をつくるのですね。その事業計画をもって大商人のところに行って、今までの借金は何とか勘弁してくださいと債務免除を求めるわけです。そしてさらなる借金を申し入れるのですが、そのかわり今度貸していただければ、これこれこういう事業をきちっとやることで返済はできますからということを言うのですね。そして、大商人の側も、私たちも商売ですから、そうやってちゃんと利息もいただけて儲かることができるのであれば、今までの分は泣いても今回お貸しいたしましょうということで、米沢藩にお金を貸すのですね。漆の植林というのが一直線にうまくいくわけではないから、また小説として非常におもしろいのですけれども、そこでの教訓は、大事なのはやっぱり信頼だということですね。情報を的確に処理して、そして信頼されるような、そういう未来ビジョン、事業計画をつくれば、お金を貸してくれる人はそこに貸すのだということです。というのは、やっぱり信頼できる計画があれば、貸した人だって儲かるわけですから、むしろ儲けたいから貸させてくれと、貸し手が殺到するようなことにもなり得るわけです。ですから、今、地方の財政が苦しい、お金がないというのを、国の政策が転換すればまた違うのでしょうが、そう簡単に転換しないとして、何とか生き残っていくための本質的なアプローチとしては、そういう的確な情報処理と信頼を勝ち取れる情報の処理ということなのではないかと思っております。

 そういう改革の方を進めていくための2大戦略として、今県民の皆さんに示しているのが、「新地域主義戦略」と「ソフトパワー戦略」ということでありますけれども、まず県全体の力、それから今ある市町村の力、ここはもうかなりいろいろやってみて、試してみて、かなり発掘し切っているのではないかという思いがございまして、であればまだ十分に開拓、開発し切っていないような分野とかフロンティアとか、そういうところがないかと探して、ひとつここは結構見込みがあるのではないかと目をつけたのが広域振興圏の枠組みであります。広域振興圏の枠組み、県北、県央、県南、沿岸、そういう広域の中で今ある市町村の枠を超え、県と市町村が対等なパートナーとなりながら、そこに民間企業、NPO、そういったものも巻き込みながら、今までできなかったような事業、これだったらお金を出せるみたいなものを引っ張ってこれるような事業、そういうものを広域の中でやっていく。

 また、岩手を四つに分けたうちの一つというのは大きいですから、四国4県が岩手一つに匹敵するのですから、岩手を四つに分けた一つというのは一つの県に匹敵するくらい、これは東京から見ても目立つし、日本の外から見ても目に入るくらいの大きさですから、そういうところがこういう事業をやっているぞとか、こういうふうにうまくいっているぞとなると、これは非常に対外的にも目立って、外からのお金の流れ、外からの人の流れ、こういうのをキャッチする受け皿というより取り皿ですね、取り皿としてそういう広域という地域が有効なのでないかということであります。

 もう一つ、コミュニティという、今度は今ある市町村の中のさらに小さい単位の地域でありますけれども、ここがさっき言いましたNPO金融みたいな、バングラデシュのお金のない人にしかお金を貸さない銀行みたいな、何かそういう新機軸をやる単位として、コミュニティでしかできない、コミュニティでならできる、そういうものがあると思います。日本全体を見ても、岩手の中には結いの伝統、いいコミュニティがたくさん残っています。農業の集落ビジョンにつながっていくような、そういういい集落がありますし、それはもう海も山もそうですし、町場の方にも明治以降、あるいは戦後にできたような町内会であっても非常にうまくいっている町内会もありますし、そういったところで情報化、国際化イコールグローバル化にふさわしい新しい試みをいろいろやっていくことができる。あるいは生き残りをかけてそういうところで戦っていくしかないという、そこで戦えば踏みとどまれるのではないかという場として、自治会、町内会、行政区、旧部落のようなコミュニティがあるのではないかと思うわけであります。

 ソフトパワー戦略、文化の力、心の力、これは平泉が来年世界遺産登録の見込みということで、非常にわかりやすい例なのですけれども、世界中が平泉に注目し、世界から人が来るであろうと、お金や人の流れが平泉に向かってくるであろうということで、これは平泉がそれだけの文化的な価値があるからです。ただ古いというだけではなく、ただ金色できれいというだけではなく、そこに前九年の役、後三年の役を通じて、本当にひどい目に遭った藤原清衡という人が、それだけひどい目に遭ったのを全部一種水に流すといいますか浄土の浄はさん(・・)ずい(・・)に争いで、争いを水に流すというような字を書くわけでありますけれども安倍氏も清原氏も源氏も、みんな平等に死を悼み、平和を祈るというような願文を書いて金色堂を建てた。敵も味方もどころか、鳥獣、草木、魚介、貝類に至るまで平等に平和を祈るという、そこが平泉の価値の本質でありまして、岩手の大地でいろいろ苦労に苦労を重ねたけれども、そこで真剣に生きて、そういう信頼を勝ち取った、その信頼が形になったものが中尊寺であり、金色堂なのだと思います。そういうものは、岩手に他にもいっぱいあると思いますし、そういう信頼を得られるような文化あるいは心、それは関東自動車工業の中で働いているパートの一端を担って、とにかくまじめに働いている20歳の若い人のところにそういう心があり、信頼のその力があるのだと思いますし、またウニ漁でウニを、今年は豊漁でちょっと値段が安くなっているようですけれども、ウニを一つ一つ採って集めるようなところに、そういう心の力というのが、信頼を勝ち取れるものがあるのだと思います。そういうものをお互い確かめ合いながら対外的に発信していくことで、今まで以上のお金や人の流れをつくることができるのではないか。また、これはそういうお金や人の流れにつながらなかったとしても、それでも貧しくとも誇りを持って、本質的な意味で豊かに岩手の中で生きていくために役に立つのではないかということも視野に入れながら、文化の力、心の力というものを戦略の基礎に据えていこうと、こうしているところであります。

 最後に「知事の仕事は知る事」の後に「知るは統るなり」と書いてありまして、これは私が去年の春ごろに教育基本法の議論を衆議院の特別委員会でやっていて、衆議院議員として最後の質問は、そのとき小泉首相に行った教育関係の質問だったのですけれども、そのときに教育基本法の中で教育を受ける権利、学ぶ権利というのは、21世紀情報化社会の中で、これは本当にかけがえのない権利ではないかということを訴えました。広く知る権利、単に役所の情報にアクセスする権利という知る権利だけではなく、そういうおよそ情報の処理とか、あるいは教育を含めた、そういう広い意味での知る権利というのが21世紀非常に重要ではないかと。思えば、日本は古事記とか日本書紀などで統治するという古語を「しる」と言うのです。これは、小泉首相にも紹介したのですけれども、明智光秀が本能寺の変で織田信長を討つ直前に、「時は今あめが下しる五月かな」という連歌の発句を詠むというのがありまして、あれの「時は今あめが下しる」という「あめが下しる」、これは雨が降っているということと、天下統一する、天下を統べる、天が下しる、日本語の古語で「統る」というのを「統治する」という意味で「しる」と言うのです。この「しる」という古語に古事記とか日本書紀では知識の知という字を当てておりまして、知る、トゥ・ラーンといいますか、そういう知るということが国をおさめるとか、地域をおさめるとか、おさめるという統べるですね、統治するということとイコールなのだという、そういう言葉の感覚を古代の日本人は持っていた。これは、21世紀情報化社会にあっても、国民一人一人が主権者として国政なり地方政治でもそこに参加して、自治ですよね、自分たちで自分たちをおさめる、統治するということにやはり教育を受ける権利とか知る権利というのがイコールなのではないかというようなことを最後の国会質問でしたのです。このことは知事として県政に臨むに当たっても大事にしていきたいと思っておりまして、これは知事が個人的にやるというよりは県庁としてやる仕事なわけですけれども、県庁が県政をきちっとやっていくためには、やっぱり何が起きているのか、何が問題なのか、どうすればいいのかというのをわかること、知ることが、それがイコール県政、自治になるのだということを胸に刻みながらといいますか、肝に銘じながらといいますか、やっていきたいと、こう思っております。

 今まで5月、6月、2か月ちょっと一緒に働かせていただきまして、補正予算の編成やいろいろな課題への取り組みの中で、皆さんから岩手がどうなっているのか、何が問題なのか、どうすればいいのかということをかなり的確に教えていただきながら仕事ができているなと思います。引き続きそういう情報を共有しながら、同時にそれが解決になっていく、そういう県庁のあり方に努めて頑張ってまいりたいと思いますので、よろしくお願いをしながら、知事講話を終わりたいと思います。ありがとうございました。

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